bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

「毒になる親」スーザン・フォワード 講談社+α文庫を読んで考えた

 

 

 親に対して複雑な感情を抱いた時、どう自分の心を扱えばよいのかわからなくなってしまうことがあります。


そんな時のアドバイスとして役に立つのではないかと思った本を紹介します。

 

「毒になる親」スーザン・フォワード 講談社+α文庫です。

 

「毒になる親」とは、著者によると、「世の中には、子供に対するネガティブな行動パターンを執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親がたくさんいる。子供に害悪を及ぼす親とは、そういう親のことをいう。」とあります。

 

あなたの親が毒親か、判断のヒントとしてあげられているのは、

1 あなたの親は、あなたの人間としての価値を否定するようなことを言ったり、ひどい言葉であなたを侮辱したり、ののしったりしたか。あなたを始終批判してばかりいたか。

2 あなたの親は、あなたを叱る時に体罰を加えたか。あなたはベルトやヘアブラシそのほかのものでぶたれたか。

3 あなたの親は、しょっちゅう酒に酔っていたり、薬物を使用したりしていたか。あなたはその光景を見て、頭が混乱したり、嫌な気がしたり、怖くなったり、傷ついたり、恥ずかしいことだと感じたことがあるか。

4 あなたの親は、いつも精神状態が不安定だったり、体が不調で、そのためにいつもひどくふさぎ込んでいたり、あなたをいつもひとりぼっちにして放っていたか。

5 あなたの親はいろいろな問題を抱えており、そのためにあなたは彼(彼女)の世話をしなければならなかったか。

6 あなたの親は、あなたに対して何か秘密を守らなくてはならないようなことをしたことがあるか。あなたに対して何らかの性的な行為をしたことがあるか。

7 あなたは親を怖がっていることが多かったか。

8 あなたは親に対して腹を立ててもかまわなかったか。それとも、親に対してそういう感情を表現することは怖くてできなかったか。

 

これらの要素がいくつか当てはまり、 どうも自分の親は「毒になる親」らしいという人は、どんな影響を受けるのでしょうか。

「一人の人間として存在していることへの自信が傷つけられており、自己破壊的な傾向を示す」ということである。そして、彼らはほとんど全員といっていいくらい、いずれも自分に価値を見いだすことが困難で、人から本当に愛される自信がなく、そして何をしても自分は不十分であるように感じているのである。

 

 自己肯定感が低くて、幸福感や充足感を感じることが少ない、自己破滅型の人生を送る可能性があります。

 

自分の人生は自分の力でいくらでも切り開くことができるというのが、私たちが受けてきた教育の基本です。「生きる力」を育むのが目標です。

しかし、毒親に育てられると、その「生きる力」は身につかないようです。

 

では具体的にどうすればいいのかは、この本を読んで学んでほしいと思います。

は、いつの日か自分の家が幸せな家庭になってくれたらという幻想を、今ここに捨てる。私は、もし親がああではなかったら、もしこうだったなら、などという希望や願望を、今ここに捨てる。私は、子供の時に親を変えるために何かできたのではないかという幻想を、今ここに捨てる。私は、愛情ある素晴らしい親を持つ事は永久にないであろうということを、今ここにはっきりと自覚する。私は、そのような親を持てなかったことを、深く悲しむ。だが私は、この現実をそのまま受け入れる。そして私は、すべての幻想には永遠に、そして心静かに、別れを告げる。

 

 

「毒になる親」とはショッキングな表現ですが、現実に毒親に苦しんでいる子供はたくさんいるでしょう。

私もそうですが、さらに、私の子供にとって、私自身が「毒親」になっていないかを点検する視点も必要だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

徳島県立博物館に化石展を見に行ってきました。徳島化石研究会長 鎌田誠一氏のコレクションがすごかった。

 

徳島に帰省中、県立博物館で、興味深い展示があったので行ってみました。

「太古の生命・化石を求めて」の著者 鎌田誠一氏のコレクションです。

 

以前にこの書物を購入し、鎌田氏の化石に対する深い思いと貴重な経験の数々に感動していたので、ぜひみたいと出かけました。

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徳島県立博物館のホームページの紹介文を引用します。 

 

徳島県在住の化石愛好家である鎌田誠一氏(徳島化石研究会長)は、長年、徳島県内外で化石採集を続けられ、数百点を超える化石コレクションを所有しています。2005年、これらの化石コレクションの内110点を掲載した書籍「太古の生命・化石を求めて ―出会いと感動、悠久のロマンを求めた我が人生―」を自費で出版されました。これらの110点の化石は、2017年1月に徳島県立博物館に寄贈されました。

この展覧会では、鎌田誠一氏より博物館に寄贈された徳島県内外の貴重な110点の化石を一堂に紹介します。

 

主に徳島県産の化石に関心があったので、勝浦町や上勝町で出たアンモナイトや二枚貝類の化石は、貴重でこんな色の石に入っているのかと大変参考になりました。

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何度も採集に行っていますが、全くこのような立派な化石に出会ったことはありません。

徳島だけでなく、日本各地のいろいろの時代の化石が展示されていました。

 

鎌田氏は多くの人との出会いを非常に大事にされて、交友を深められています。書物には、そんなエピソードがたくさん載っています。人との出会いがこれら多種多様な化石の発見につながっているのだろうと推し量りながら見学しました。

 

私の場合は、全くの単独行で、深い山の中にも一人で探しに行きます。気楽ですが、危険な面もあり、家族に心配をかけています。

また、産地の情報も皆無なので、適当に目星をつけていくという効率の悪い採集になっています。だから、ほとんど空振りなのです。

 

人とのつながり、化石を通じた結びつきが大切だなと思いました。

 

夏休みの研究に、ぜひおすすめです。

 

 

剣山スーパー林道探訪記 普通車で林道走行してみた

 

台風5号通過後の上勝町を訪問して、念願だった剣山スーパー林道に普通車で行ってみました。

よくオフロードバイクやジムニーが上っていくのを岳人の森の観月茶屋で見かけたものです。

私も徳島の自然が好きなので、一度は日本一の長さと言われる剣山スーパー林道を走ってみたいと思っていました。

 

夏休みが取れたので、上勝から神山まで抜けるコースを走ろうと思っていたところへ、台風5号の通過です。

上勝町の出発点から雲早山トンネル経由、岳人の森まで走ってみたかったのですが、もちろん、崖崩れや路面の荒れが予想されます。とりあえず、舗装のある安全な地点を行ってみることにしました。

 

 

長い距離はあきらめて、ほんの少しの距離ですが、今回の初挑戦となりました。

 

車はノーマルのレガシィツーリングワゴンです。BP型で10年以上乗っています。

4輪駆動というのだけが強みです。車高も低いし、普通の夏タイヤです。

 

以前に立川渓谷の奥から上勝町に抜ける林道をこの車で挑戦したことがあります。

狭い道幅と、生い茂る草、至る所みぞになった路面に何度か車の底をこすりながら、のろのろ運転で乗り越えて、やっとの事で人里に降りてきたときは、本当にほっとしました。

二度と行くまいと決意したのですが、懲りずに今回の挑戦です。

 

ただし、今回は家族を二人乗せているので、そのときのような行けるところまで行ってやれという気持ちは封印して、安全第一で挑みました。

 

出発点の標識を写真に収め、わくわくしながら走ります。

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勝浦川沿いの道は舗装もされていて、人家もあり、林道という感じがしません。

しばらく左岸を走り、右岸に渡ります。水量の増えた川の流れが美しい。小さな橋で左岸に渡り、山を登っていくと家もなくなり、山の中を走ります。左側に時折見える川が美しい。巨大な岩があちこちにあり、水の流れが変化に富み、見応えがあります。

 

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殿川内渓谷の紅葉峡という看板を見つけて停車しました。

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数十メートル下の川をのぞき込むと、轟々と音を立てて激しい流れが見えました。

迫力のある流れをIphoneのビデオで撮影しました。

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道沿いの崖には所々、小さな滝になって水が落ちてきていました。その小さな滝壺には糸トンボの姿が。繊細で美しいフォルムです。トンボ好きの方はたまらない場所でしょう。
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落ちている石は赤と緑のチャートと思われる石が多くありました。

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滝壺にいると、上から吹き下ろす風が冷たく、天然のクーラーとなって心地よく感じました。流れる水も手をつけるととても冷たい。

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しばらく景色を楽しみながら休憩しましたが、その間一台の車も通りません。もちろん人の姿も全くなし。自然を独り占めした贅沢な時間を過ごしました。

「GO WILD」と言う本を読了したところだったので、狩猟生活をしていた頃の人間に一瞬でも返ったかのような気分になりました。少しでも健康を取り戻せたかなあと思います。

この先に進むのはあきらめて、引き返しました。

 

今後の課題は、車高を上げる、車の下部をガードする、マッドフラップを取り付けるなど、ダートを走れるようにすることです。

いつか剣山スーパー林道を全線走行してみたいです。

 

今回の走行の一部です。以下のリンクからどうぞ。

https://youtu.be/XEiFBaOhDuM

 

 

 

 

 

台風5号通過後の上勝町で化石採集しました。 クワガタムシとトリゴニア化石を発見

 

上勝町で化石採集

以前トリゴニアの化石を見つけた場所に行ってみました。

道端に草が生い茂り、台風の通過後のため、枝や石ころが道にいっぱい落ちていて通るのに気を使います。


化石を見つけた場所も草がいっぱいで、マムシが怖くてちょっと足を踏み入れることができませんでした。


手の届く範囲で石を探していると、小さなクワガタムシを発見しました。3cmほどで、元気よく動き回ります。金色のうぶ毛が生えていて美しく、かわいい。まだ若造だと思います。

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ビデオを撮り、逃がしてやりました。


クワガタくんが乗っている石は、トリゴニアの化石が少しだけ入っていました。

孫でもできたら、クワガタムシをじいじが取ってくると喜ばれるかもしれないなと妄想しました。

 

剣山スーパー林道を目指して移動中、道端の落石に大量のトリゴニア化石が入っているのを見つけました。

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ひと抱え以上の大きさです。とても一人では動かせない重さがあり、道の斜面から落ちてきたようです。
もう少しの所で、杉林の斜面に転げ落ちるのを踏みとどまったかのようです。

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博物館か学校にでも飾れば、りっぱな標本になるのに惜しいなと思いました。

それとも、この程度ならどこにでも転がっているのかもしれません。

さすがトリゴニアの町、上勝町!


写真だけを撮り、立ち去りました。

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印象化石です。 

 

これから小説を書いてみたい人に 大岡昇平「現代小説作法」ちくま学芸文庫がおすすめ 第六章 「プロットについて」を読んで考えた

 

「現代小説作法」第六章 「プロットについて」

私は、小説は筋があるものが好みなので、プロットという語に惹かれて読みました。
まずはプロットの説明です。

 

プロットは普通「筋」と訳され、ストオリーと混同されがちですが、実ははっきりした区別があります。(略)ストオリーは時間の順序に従って、興味ある事件を物語るけれど、プロットは物語る順序を、予め「仕組む」ことを意味します。

 

 

「ストオリー」という表記に少し違和感がありますが、気にせず読み進めていきましょう。

 「王が死に、それから王妃が死んだ」と書けばストオリーだが、「王が死に、悲しみのあまり王妃が死んだ」あるいは「王妃が死んだ。そのわけは誰も知らなかったが、王の崩御を悲しんだためであることがわかった」と書けばプロットだ、と「印度への道」の作者フォースターが書いています。(「小説の諸相」田中西二郎訳 新潮文庫)

 

 

この本は引用が多いです。わかりやすい引用文です。

 近頃誰それは、「すぐれたストオリー・テラーだ」といわれることがありますが、実際はプロットの立て方のうまいことを意味する場合が多いのです。新派や歌舞伎で「趣向」といわれたものに当たるので、自然主義以来、趣向は実感の伴わないものとして排斥されていました。
 小説家が小説に取りかかる前に、プロットを考えておく方がいいといわれるようになったのは、読者がそういう実感尊重や写実的短編に飽き、筋のある長編小説を求めるようになった昭和中期以降です。しかし実際は作家がこの問題をどんな風に処理していたかは、次の川端康成の証言にあらわれています。
 「実際創作に当たっている人の体験を聞くと、日本の作家にはあまり筋(プロット)を考えず、書き出しに色々と苦心をし、あとはその場その場でもっとも妥当と思われる方向に小説を運んでゆくという人がかなりいるようである。また最初から作品の筋を全部考えておいて、それに従って整然と書き進めるという方法による作家もある。これは両方ともプロットが有るのであって、前者はとかくプロットがないというように考えられがちであるけれども、これは間違いである。主題がはっきりときまって作者の肚が出来上がっていれば、プロットは自らきまってゆくことが多い」(「小説の研究」角川文庫)
 これは川端康成氏の体験に基づいた言葉であるだけに貴重です。事実今日でも新聞雑誌の連載小説は、たいていその場その場の即興で運ばれ、結末で辻褄を合わせるという風に書かれることが多いので、厳密な意味でプロットを立てて書いた作家は、藤村、荷風、潤一郎ぐらいなものかも知れません。

 

プロットを考える上で貴重な文章だと思うので、長い引用をしました。

 

川端康成は厳密な意味でのプロットは立てなかったようです。

私は、島崎藤村は読んでいないのでわかりません。

永井荷風、谷崎潤一郎は両者とも愛読する小説家です。

大岡昇平は、「彼等の作品がいつまでも読むにたえる理由の一つはここにあります」と述べています。谷崎は小説を建築にたとえていたような文章を読んだ記憶がありますが、はっきり思い出せません。

若い人は荷風も谷崎もほとんど知らないでしょう。高校の教科書には谷崎の「陰影礼賛」が載っていたことがありますが、最近はあまり見かけません。残念です。

 

谷崎潤一郎のおすすめは、「蘆刈」という作品です。プロット云々も結末部で確認できます。

 

さて、「現代小説作法」にもどって、このあとを見ると推理小説について文庫で7ページにわたり書かれています。むしろこのあとがこの章のメインかもしれません。

著者は推理小説に重きを置いているようです。

 

私は推理小説は読まないので、推理小説をお好きな方は是非原典で確認してください。

 

『マチネの終わりに』で話題の平野啓一郎さんの『私とは何かー「個人」から「分人」へ』が2017年の明治大学の入試問題に出ていたので、読んで考えてみた

 


『マチネの終わりに』で話題の平野啓一郎さんの『私とは何かー「個人」から「分人」へ』が明治大学の入試問題に取り上げられていたので、読んでみました。

 

2017年 明治大学 政治経済学部 『私とは何かー「個人」から「分人」へ』平野啓一郎

 

以下はその要旨の要約です。

「個人」という概念ー西洋文化独特のもの
・一神教であるキリスト教の信仰ー人間には幾つもの顔があってはならない
・論理学ー分けられない最小単位「個体」
 ↓
もうこれ以上は分けようがない、一個の肉体を備えた存在ー「個人」

日常生活で、多種多様な人々と向き合う
ごく自然に、相手の個性との間に調和を見いだそうとし、コミュニケーション可能な人格をその都度生じさせ、その人格を現に生きている
 |
複数の人格ー不可分と思われている「個人」を分けて、その下にさらに小さな単位を考え、「分人」とする。

疑問ーそんな複数の人格だけで生きていけるのか
一人の人間の中には、複数の分人が存在している。
個人を整数の1だとすると、分人は分数
相手との関係により分子も変わる
分人には中心が存在しない。常に環境や対人関係の中で形成されるーオートマチックに
継続性を持って特定の人と関わるー人格は反復で形成される一種のパターン
生身の人間だけでなく、ネット上の相手や文学・音楽・絵画でも分人を所有

 

設問は、接続語や四字熟語を問うもの、空欄補充、50字以内の理由記述、欠文補充、主旨など多岐にわたります。私大の入試問題の典型です。

 

「分人」という抽象的な概念を取り上げていますが、じっくり読めば理解できると思います。


こういった入試問題の文章を通じて新たな知が開けるところがいいですね。
単に点が取れた、取れなかったの次元だけでなく、自分の頭がよくなったと思える文章に出会えるところが入試問題の魅力でもあります。

 

ちなみに著者の平野啓一郎さんは、この明治大学の問題を解かれたのでしょうか?気になりました。

 

kindle paperwhiteを購入して10ヶ月 使ってみてのメリット、デメリットと内田樹先生「活字中毒者は電子書籍で本を読むか?」宮城教育大学入試問題を読んで考えたこと

 

2017年 宮城教育大学 入試問題「活字中毒者は電子書籍で本を読むか?」内田 樹


宮城教育大学の入試問題で、内田達樹先生の電子書籍に対する意見が出題されていたので、読んでみました。
以下は要点のまとめです。

 

電子書籍の出現によって紙の本の命脈がつきるのではないか

結論ー紙の本はなくならない、紙の本という確固とした基盤抜きには電子書籍は存立できない


理由
電子書籍の第一の難点ーどこを読んでいるかわからない
全体のどの部分を読んでいるかを鳥瞰的に絶えず点検することー読書に必須の作業
マッピング(自分の位置を記すこと)は、人間が生きてゆく上で必須の能力
物語を読み終えた未来の私という仮想的な消失点を想定

電子書籍は読み終えた私への小刻みな接近感をもたらすことができない

 

第二の難点ー宿命的な出会いが起こらない
書店では、題名も著者名も知らない本に、引き寄せられるように近づき、「自分が今まさに読みたいと思っていたその本」に出会う。


理由
・本の送り手が敬意と愛情を込めているー固有のオーラ
・「たまたま」手に取ってしまったという偶有性の保証ー「宿命の本」
電子書籍は、直感はなく、実需用対応の情報入力源
紙の本ー人間の本然的な生きる力の死活にかかわる

 

電子書籍の哲学的考察となっていました。大変興味深く読みました。


私自身は、ネット記事でブロガーがすすめていたamazonのkindleを購入し、使用しています。
それらの記事では、割引だ、何冊も持たなくて身軽だ、SNSに投稿しやすい、家が本に占拠されなくなったなど、kindleの多くのメリットが謳われています。


しかし、活字中毒といってよい私の感想は、内田樹先生が書かれているものと同じです。

私にとってkindleの難点は、ハイライトがうまくできないこと。他の人はどうなんでしょうか。私は一回で、ねらった部分をうまくなぞって設定できたことがほとんどありません。
何度か繰り返すうちに読書の集中力が切れてしまいます。


また、ページをめくる動作がうまくいかないことも多く、イライラしてきます。
この二点は使っているうちに慣れるだろうと思っていましたが、ダメでした。


最大の難点は、内田先生のいう「どこを読んでいるかわからない」ことです。


先が気になって、少しめくってみることや、全体のどのあたりを読書中なのか確認するといったことがやりにくいです。目次を見ても、ピンとこないのです。
実用書であれば、先に図やまとめのページに目を通しておいて、前から説明を読んでいくと理解しやすいこともあります。電子書籍ではそれができません。ページを自動でパラパラめくるモードがあればいいのに。

また、寝転がって読むことが多い私は、kindleのwhitepaperですら、片手で持つのは重く感じます。手首がだるくなる。kindleを支えるために、自撮り棒のようなアームが必要かもしれません。

デメリットばかりでなくメリットも当然あります。
部屋のあちこちに積み上げた本の山から、読みたい本を見つけ出すという作業が必要ありません。狭い自室を片づけるのに本の山が邪魔をすることもなくなるでしょう。

 

しかし、紙の本も読み終えたら、ブックオフやバリューブックスに売り払うという方法もあり、私もたまに利用しています。手軽にできます。

 

kindleは、おすすめの本を友達に貸してあげるということができません。
私は自分が読んでためになった健康関係の本を、帰省したときに母に読んでもらいたくてあげています。
kindleは、SNSに引用を投稿するのには便利ですが、友達に本をすすめるときは不便です。

若い頃、LPレコードを収集するのが好きで、数百枚集めました。たまには中身を知らずにジャケットがかっこいいから買うというジャケ買いをしました。はずれもありますが、たまに大当たりして、すばらしい音楽に出会ったこともありました。

 

kindleは漫画や雑誌が読みにくいです。特にカラーのものは、kindleが白黒なので、読む気にならず残念です。

 

現在はkindleで買っている方が多いですが、これは大事だと思う本は、紙の本を買っています。

人それぞれ、何を優先的に考えるかで、電子書籍の価値が違ってきます。

 

衝撃的過ぎる!?『「文系学部廃止」の衝撃』が大阪大学と法政大学の入試問題で被り過ぎ

 

 以前に、大阪大学の入試問題を取り上げました。

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出典の『「文系学部廃止」の衝撃』が2017年の法政大学の入試問題でも出題されていました。

 

今回は、二校の問題を比較して気づいたことを報告します。

 

驚きその1

引用箇所がほとんど同じです。

 

法政大学は、「十二、十三世紀の西欧で、キリスト教的な秩序のもとに大学が生まれます。」から「「ここには、文系的な知が絶対に必要ですから、理系的な知は役に立ち、文系的なそれは役に立たないけれども価値があるという議論は間違っていると、私は思います。」まで。

 

一方、大阪大学は、法政の2段落後から始まり、終わりは法政の1文だけ後までです。

ほぼ、問題文に使っている部分が重なります。

こんなことある?と思うのは私だけ?

たしかに、中核をなす内容の箇所だから、重なることもあり得るでしょう。しかし、それにしても驚く一致度です。

 

驚きその2

設問が同じ箇所を使っています。

法政大学の問三 傍線部3「「役に立つ」ことには二つの次元があります」とあるが、その「二つの次元を説明したものとして最も適切なものをつぎの中から選び、記号をマークせよ。

 

大阪大学の問二 傍線部(1)「二つの次元」について、それぞれを端的に示す言葉を本文中から抜き出しながら、両者の違いを八〇字以内で説明しなさい。

 

マーク式と記述式の違いはありますが、「二つの次元」は同じ箇所です。

 

もう一問あります。

法政大学の問六 傍線部5「理系的な知は役に立ち、文系的な知は役に立たないけれども価値があるという認識は間違っている」とあるが、そう言える根拠となる筆者の考えを、本文全体を要約して三十字以上、四十字以内で記せ。

 

大阪大学の問四 傍線部(3)「役に立たないけれども価値がある」という議論の立場と、筆者の立場との相違点について、理系の知に対する文系の知の違いに言及しながら二〇〇字以内で説明しなさい。

 

どちらも最後の設問です。おそらく配点が高いと思われる設問の箇所が同じです。

 

今回、法政大学でも同じ出典からの出題だと気づいて、両校の問題を見てみたところ、共通点が多いことに驚きました。

 

日程的には、法政大学が先に入試があり、大阪大学が後です。もし法政大学を受験し、大阪大学も受験した人がいたなら、驚愕するでしょう。いや、狂喜するでしょう。

 

現代文の評論に同じ文の同じ箇所が使われるなんて、まずありません。

 

両校の問題作成委員の先生は、興味が同じだったのでしょうか。あるいは、この本の「衝撃度」が大きくて、大学の先生がたは、ぜひ入試で取り上げてやろうと思ったのでしょうか。

 

どこかの予備校が下請けで作成した?いや、プロが同じ素材を使い回すなんて考えられません。

 

驚きの一致度、おそらく2017年度入試の筆頭でしょう。

 

 

 

これから小説を書いてみたい人に 大岡昇平「現代小説作法」ちくま学芸文庫がおすすめ 続きです。国士舘大学の入試問題でも出題されていました。

 

前回、大岡昇平の「現代小説作法」ちくま学芸文庫を紹介しました。

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今回も、続いて紹介します。武庫川女子大学の他に、2017年の国士舘大学でも出題されていたのを見つけたからです。

 

国士舘大学では、「現代小説作法」の第二十二章 「文体について」が問題文として使われています。ちくま学芸文庫の217ページから220ページの8行目まで。このあと、226ページまで続くので、省かれた部分が多いです。

 

文体について、参考になる箇所を引用します。

文章はいかに美しく、無疵に書かれるかより、たしかにあの人が書いた文章だ、あの人でなくちゃ書けない文章だ、と思われる方が尊敬されるようになった。破格な調子の悪い文章も、その人の特徴を示すものとして、尊ばれたのです。

よき日本語を、よい文章を、と言う理想が、明治以来西欧のロマンティシズムに感染した文人に、どの程度あったか疑問です。漱石がアテ字や俗語を、勝手気儘に使ったのは周知のことですし、鴎外が字引にないような稀語難字を好んで使い、外国語はたいてい横文字のまま挿入しました。読者が理解しようがしまいがどうでもいいので、人の知らないことを知ってる自分というものを、読者に示すのに、むしろ誇りとよろこびを感じていたようです。彼らは人生と文学の理想を追うのに忙しかったので、文章の風格とか品とかいうものがやかましく言われるようになったのは、大正以来のことなのです。 

身もふたもない意見ですね。この章から文体の作り方など創作の秘訣を学ぼうとしても残念ながら無駄です。 書かれていませんから。

 

入試問題で取り上げられていない後半の部分では、森鴎外、谷崎潤一郎、太宰治、島崎藤村が引用されています。いずれも悪口まではないにしても、決して高く評価しているわけではありません。しいていえば、disっている感じでしょうか。

 

大岡昇平はなかなか有名作家には厳しいのかな。さすがに大学は、この部分は使っていません。いや、使えないでしょう。

 

国士舘大学の入試問題の設問は、語句の意味や文学史など知識を問うものが中心で、深く掘り下げた設問はありません。その意味では難しい問題ではないでしょう。

 

 

これから小説を書いてみたい人に 大岡昇平「現代小説作法」ちくま学芸文庫がおすすめ

 

「現代小説作法」大岡昇平 ちくま学芸文庫

 

 

25章まであり、たとえば、16章は「モデルについて」。実践的な内容が、語り口調で書かれています。

 

この本を知ったきっかけは、大学入試問題です。

武庫川女子大学の推薦入試問題で、この16章「モデルについて」が全文、取り上げられていました。

 

武庫川女子大学は、関西ではトップレベルの女子大学です。

 

問題を解いてみると、なかなかこの本文がおもしろくて、ためになる。もちろん、小説を書く上での「ためになる」です。

 

受験生には少し専門的すぎる題材なのかもしれません。しかし、大学生になって、一般教養の内容として、この程度の文章を読んで理解する力を求められることは十分あります。

 

人物が勝手に動き出したからいい作品になるとは限りませんが、人物の自分から動くに任せる、これはトルストイも「アンナ・カレーニナ」について、漱石が「明暗」執筆中に言っていることでこれは作者の経験から出た貴重な忠告なのです。

 

私は小説は書かないのですが、モデルの有無が作品に大きな影響を与えることがよく理解できました。

もし、小説を書く機会があれば、身近にいる人をよく観察して、モデルにして書いてみたいと思います。

 

著者の大岡昇平は、フィリピンで米軍の捕虜になり、そのときの体験を元に書いた小説で知られる作家です。「俘虜記」は、高校の教科書にも載っていました。

 

私は若い頃、「武蔵野夫人」や「レイテ戦記」を読みました。

特に「レイテ戦記」はすごかった。

いつ、どこで、だれが、どんな戦闘で死んだかを詳細に記述しています。戦闘がリアルに迫ってきます。読んでいると少し苦しくなりました。

 

この「現代小説作法」は、小説が好きな人、小説を書いてみたい人、小説の勉強がしたい人におすすめです。

ぜひ読んでみてください。