bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

必見 大学入試 小論文対策のおすすめ 国語教師が教えます。 

 

大学入試 小論文対策のおすすめ

 

学研の小論文対策研究会に行ってきました。これがすごくよかったので、受験生のみなさんに小論文対策のポイントをお伝えします。

 

1「グローバル社会」のイメージ
 ・ポジティブばかりを答える
 ・出題はネガティブ面。 競争社会→格差社会へ

 

2「AI」
 ・2017年度から一気に出題量が増加
 ・出典は日経新聞がほとんど
 ・産業ロボットからサービスロボットへ
 ・モノからヒトへ
 ・工場内から一般社会へ

 

3「AI」を扱うときの留意点
 ・極端な発想はダメ 心や感情ーAIは人間を超えられない→ダメ
  逆にAIが人類を支配してしまうという発想もダメ
 ・どこまでが現実的かとふまえる

 

4 「AI」を考えるポイント
 ・人間の仕事に影響を与える
 ・代替、仕事を奪われてしまい格差が生まれる
 ・なぜAIを受け入れるのか
 ・どうやって乗り越えるか、共存できるか

 

参考:「AIの出題は、せいぜい2年しか持たない。2019年度には下火になる」そうです。

 

5 おすすめの本
 「AIの衝撃 人工知能は人類の敵か」小林雅一 講談社現代新書

この本からの出題例 2017年 長崎大学 教育学部 学校教育教員養成

第1章 最新AIの驚異的実力と人類滅亡の危惧─機械学習の光と陰
 「AIに脅かされる職種」という節の全文が出題されています。

 

 

赤本、過去問のおすすめ勉強方法  現代文編

 

赤本、過去問のおすすめ勉強方法  現代文編

 

夏休みもあとわずかになりました。基礎固めも一段落し、そろそろ過去問を解いて応用力をつけようと思っている受験生のみなさんに、おすすめの勉強方法をお知らせします。

1 まずは第一志望校の赤本からはじめよう。


 高校や塾で赤本を貸し出ししてくれるところも多いですが、第一志望校の赤本は買いましょう。返却日などを気にせず、いつでも手にとって勉強するためです。


赤本は結構な値段がします。おこづかいを貯めるか、スマホの通信費を節約してその分で買ってもらうかしましょう。


現代文は、評論、小説、随筆のどのジャンルなのか、さらに作者名、タイトルを確認しておきます。評論が九割以上の出題率でしょうが、なかには小説や随筆を出す大学もあります。
どのジャンルにも対応できるように対策を立てておきましょう。


2 最新版が終われば、古い赤本を借りてさかのぼってやっておこう。


 これは高校や塾で、古い年度の赤本をストックしてあれば可能です。もしない場合は、クラブなどの先輩に赤本を持っていないか聞いてみる、他の高校や塾に行っている友達に相談して借りてもらうなど、入手方法はあります。すぐに返却しないといけない場合は、コピーをとっておきましょう。


3 設問のパターンや選択肢の数、記述の有無や字数などを確認しておこう。


 公募推薦で、マーク式かどうか、4択か5択か、漢字や語意の設問はあるか、などを知って対策を立てておくと本番でもあわてることがありません。
 ちなみに関西の人気校の近畿大学は4択です。5択よりは時間がかからないはずですが、2つまでは絞れても、どちらかに決めにくい紛らわしい選択肢もあります。

 

4 問題は目と手で解く


 以前にブログに書きましたが、問題を解くときは、本文を読みながら、大事だと思う部分に線を引くことを必ずやってください。目で読むだけでは、どこが大事だったか覚えていられません。手を使って線を引くことで、著者の主張がまとめられている部分や、結論の部分がつかみやすくなります。

設問を考えるとき、この線を引いて印を付けた部分を中心に考えます。選択肢を選ぶときの根拠になります。この根拠を探し出すのが入試現代文を解くということの本質です。

 

夏休みに十分やれなかった人もいるでしょう。二学期が始まって焦りを感じる人もいるかも知れません。


でも、今からじっくり赤本に取りかかれば、大丈夫です。過去問のパターンを知り、それに慣れて対策をしっかり立てておきましょう。

 

大岡昇平「現代小説作法」第十二章「人物について」 これから小説を書いてみたい人に

 

第十二章「人物について」

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大岡昇平「現代小説作法」より、これから小説を書いていみたい人に参考になるところを取り上げます。

 

主人公と副人物とは、決して同じようには描かれていません。この点については、これまでもたびたび授けをかりたフォースター「小説の諸相」にうまい区別があります。扁平人物(flat characters) と円球人物(rouund characters)の区別です。

 

 

フラット・キャラクターとラウンド・キャラクターという区別は初めて聞きました。


漱石の「坊っちゃん」からの説明です。

「赤シャツ」「野だいこ」「山嵐」「うらなり」と綽名がついているくらいですから、一つの観念あるいは性質を表しているのは明白でしょう。「赤シャツ」は夏でも赤シャツを着ている気取り屋の文学士で、同時に術策によって同僚の許嫁を奪う破廉恥漢、「野だいこ」は阿諛者、「山嵐」は反抗児、「うらなり」は弱気な旧家の息子と、それぞれ綽名の示す性質を持っています。
「扁平人物の大きな長所は、いつ登場しても、すぐわかることー固有名詞でまた出て来たなと気がつくという、読者の視覚的な目の作用によってではなく、読者の情緒的な目によってわかることです。(略)扁平人物が作家にとって非常に有用なのは、紹介のやり直しをしなくてもよいこと、けっして逃げないこと、性格の発展を見まもるに及ばず、自分自身で雰囲気を作り出していることです」とフォースターは続けています。

「扁平人物」とは、副人物の設定で、固定されたわかりやすいキャラクターと言ってよいでしょう。
では、「円球人物」とは、どういうものでしょうか。

フォースターの円球人物の人物の定義は、一つの文字あるいは文章に要約されえないということです。(中略)つまり小説中でわれわれの関心の中心をなすのは主人公ですが、作者が主人公の心理や行動を追求するうちに、その人物は自然と要約されがたくなってくるという事情がすでにあるからです。

 

 

 注意点として次のように指摘しています。

間違いはむしろ円球であるべき人物を扁平に書いたり、扁平人物が作品の中心に乗り出したりする場合に起こります。

 

以下で、有馬頼義の「失脚」という作品を例に挙げ、分析しています。私は未読なので、可否がわかりません。

円球人物と扁平人物を書き分けすることができればいいかというと、それだけでは不十分だそうです。
 

円形人物はあくまで円球、扁平人物はあくまで扁平では、劇は単調すぎます。理想をいえば、人物は全部円球で、その間に悠大な筋が進行すれば、それに越したことはないはずです。そうです。近代小説の大家は、それぞれの副人物を、ちょっとしたタッチで円球人物にすることを知っています。

 

 

なかなか初心者には難しそうですね。円球と扁平の書き分けでは済まず、人物は全部円球でという条件は、小説を書くハードルが高すぎます。

我が国の例として、紫式部(!)や樋口一葉を上げています。

そして志賀直哉の「暗夜行路」時任謙作を「円球に達していない。場面場面の小円球が、数珠つなぎにつながれたような印象を与えます。それでも藤村、漱石、潤一郎の主人公のように、人物の一部を切り捨てることによって、安定を保っているのよりは、ずっとましですが。」と述べています。
ここでも大岡昇平は、大家に厳しい点がうかがえます。

最後にフォースターの引用

「円球人物であるかどうかの基準は、それがわれわれを納得させながら驚かせることが出来るかどうかです。もしそれが少しも驚かさないなら、扁平です。納得させないなら、扁平のくせに丸いふりをしているのです。円球人物は人生ー小説中の人生ですがーの測りがたさを身辺に漂わせています」

 

円球人物と扁平人物の書き分けという視点、さらに主人公の人物像について、大岡昇平の考察を参考にして、小説を書いてみてはどうでしょうか。

 

トイレのタンクからの水漏れを自分で直してみたら、簡単にできました。ゴム玉の交換なら誰でもできそう。

 

トイレのタンクから便器に水が少しずつ漏れていて、気になる上に水道代が増加することを思うと、一刻も早く直したいと思い、検索してみました。

プロの業者の方や素人の方のも、たくさん情報があります。動画でもみられます。

それらを参考にして、ホームセンターで、取替用フロートゴム玉(大)を購入しました。INAX用のLIXILの製品です。大と小があり、解説でタンク内のストッパーよりはみ出している場合は大を使えとあったので、確認をして大にしました。

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部品を組み立てて、タンクのふたを開け、元のものを取り外し交換するだけです。

タンク内に黒カビや汚れがあり、ちょっと我慢します。古いゴム玉を触ると手が真っ黒に汚れました。劣化しているためです。これじゃ水漏れするのも無理ないなと思いました。

ゴム玉に案内棒というまっすぐな棒がついており、これを台座の穴に入れるのが少し手間取りました。しかし5分とかからなかったです。

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ボールタップというタンク内の水位を調整するものも交換しなければならないかと思いましたが、ゴム玉の交換だけでちょろちょろ音はなくなりました。

 

業者の方にお願いすれば、結構な費用がかかるでしょうが、今回は部品代1000円以下で修理できました。終わってスカッとしました。

 

DIYというほどの作業ではないけれど、少しの手作業で日常生活がほどよく維持されるのは、精神的にもいい効果がありそうです。

 

「毒になる親」スーザン・フォワード 講談社+α文庫を読んで考えた

 

 

 親に対して複雑な感情を抱いた時、どう自分の心を扱えばよいのかわからなくなってしまうことがあります。


そんな時のアドバイスとして役に立つのではないかと思った本を紹介します。

 

「毒になる親」スーザン・フォワード 講談社+α文庫です。

 

「毒になる親」とは、著者によると、「世の中には、子供に対するネガティブな行動パターンを執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親がたくさんいる。子供に害悪を及ぼす親とは、そういう親のことをいう。」とあります。

 

あなたの親が毒親か、判断のヒントとしてあげられているのは、

1 あなたの親は、あなたの人間としての価値を否定するようなことを言ったり、ひどい言葉であなたを侮辱したり、ののしったりしたか。あなたを始終批判してばかりいたか。

2 あなたの親は、あなたを叱る時に体罰を加えたか。あなたはベルトやヘアブラシそのほかのものでぶたれたか。

3 あなたの親は、しょっちゅう酒に酔っていたり、薬物を使用したりしていたか。あなたはその光景を見て、頭が混乱したり、嫌な気がしたり、怖くなったり、傷ついたり、恥ずかしいことだと感じたことがあるか。

4 あなたの親は、いつも精神状態が不安定だったり、体が不調で、そのためにいつもひどくふさぎ込んでいたり、あなたをいつもひとりぼっちにして放っていたか。

5 あなたの親はいろいろな問題を抱えており、そのためにあなたは彼(彼女)の世話をしなければならなかったか。

6 あなたの親は、あなたに対して何か秘密を守らなくてはならないようなことをしたことがあるか。あなたに対して何らかの性的な行為をしたことがあるか。

7 あなたは親を怖がっていることが多かったか。

8 あなたは親に対して腹を立ててもかまわなかったか。それとも、親に対してそういう感情を表現することは怖くてできなかったか。

 

これらの要素がいくつか当てはまり、 どうも自分の親は「毒になる親」らしいという人は、どんな影響を受けるのでしょうか。

「一人の人間として存在していることへの自信が傷つけられており、自己破壊的な傾向を示す」ということである。そして、彼らはほとんど全員といっていいくらい、いずれも自分に価値を見いだすことが困難で、人から本当に愛される自信がなく、そして何をしても自分は不十分であるように感じているのである。

 

 自己肯定感が低くて、幸福感や充足感を感じることが少ない、自己破滅型の人生を送る可能性があります。

 

自分の人生は自分の力でいくらでも切り開くことができるというのが、私たちが受けてきた教育の基本です。「生きる力」を育むのが目標です。

しかし、毒親に育てられると、その「生きる力」は身につかないようです。

 

では具体的にどうすればいいのかは、この本を読んで学んでほしいと思います。

は、いつの日か自分の家が幸せな家庭になってくれたらという幻想を、今ここに捨てる。私は、もし親がああではなかったら、もしこうだったなら、などという希望や願望を、今ここに捨てる。私は、子供の時に親を変えるために何かできたのではないかという幻想を、今ここに捨てる。私は、愛情ある素晴らしい親を持つ事は永久にないであろうということを、今ここにはっきりと自覚する。私は、そのような親を持てなかったことを、深く悲しむ。だが私は、この現実をそのまま受け入れる。そして私は、すべての幻想には永遠に、そして心静かに、別れを告げる。

 

 

「毒になる親」とはショッキングな表現ですが、現実に毒親に苦しんでいる子供はたくさんいるでしょう。

私もそうですが、さらに、私の子供にとって、私自身が「毒親」になっていないかを点検する視点も必要だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

徳島県立博物館に化石展を見に行ってきました。徳島化石研究会長 鎌田誠一氏のコレクションがすごかった。

 

徳島に帰省中、県立博物館で、興味深い展示があったので行ってみました。

「太古の生命・化石を求めて」の著者 鎌田誠一氏のコレクションです。

 

以前にこの書物を購入し、鎌田氏の化石に対する深い思いと貴重な経験の数々に感動していたので、ぜひみたいと出かけました。

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徳島県立博物館のホームページの紹介文を引用します。 

 

徳島県在住の化石愛好家である鎌田誠一氏(徳島化石研究会長)は、長年、徳島県内外で化石採集を続けられ、数百点を超える化石コレクションを所有しています。2005年、これらの化石コレクションの内110点を掲載した書籍「太古の生命・化石を求めて ―出会いと感動、悠久のロマンを求めた我が人生―」を自費で出版されました。これらの110点の化石は、2017年1月に徳島県立博物館に寄贈されました。

この展覧会では、鎌田誠一氏より博物館に寄贈された徳島県内外の貴重な110点の化石を一堂に紹介します。

 

主に徳島県産の化石に関心があったので、勝浦町や上勝町で出たアンモナイトや二枚貝類の化石は、貴重でこんな色の石に入っているのかと大変参考になりました。

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何度も採集に行っていますが、全くこのような立派な化石に出会ったことはありません。

徳島だけでなく、日本各地のいろいろの時代の化石が展示されていました。

 

鎌田氏は多くの人との出会いを非常に大事にされて、交友を深められています。書物には、そんなエピソードがたくさん載っています。人との出会いがこれら多種多様な化石の発見につながっているのだろうと推し量りながら見学しました。

 

私の場合は、全くの単独行で、深い山の中にも一人で探しに行きます。気楽ですが、危険な面もあり、家族に心配をかけています。

また、産地の情報も皆無なので、適当に目星をつけていくという効率の悪い採集になっています。だから、ほとんど空振りなのです。

 

人とのつながり、化石を通じた結びつきが大切だなと思いました。

 

夏休みの研究に、ぜひおすすめです。

 

 

剣山スーパー林道探訪記 普通車で林道走行してみた

 

台風5号通過後の上勝町を訪問して、念願だった剣山スーパー林道に普通車で行ってみました。

よくオフロードバイクやジムニーが上っていくのを岳人の森の観月茶屋で見かけたものです。

私も徳島の自然が好きなので、一度は日本一の長さと言われる剣山スーパー林道を走ってみたいと思っていました。

 

夏休みが取れたので、上勝から神山まで抜けるコースを走ろうと思っていたところへ、台風5号の通過です。

上勝町の出発点から雲早山トンネル経由、岳人の森まで走ってみたかったのですが、もちろん、崖崩れや路面の荒れが予想されます。とりあえず、舗装のある安全な地点を行ってみることにしました。

 

 

長い距離はあきらめて、ほんの少しの距離ですが、今回の初挑戦となりました。

 

車はノーマルのレガシィツーリングワゴンです。BP型で10年以上乗っています。

4輪駆動というのだけが強みです。車高も低いし、普通の夏タイヤです。

 

以前に立川渓谷の奥から上勝町に抜ける林道をこの車で挑戦したことがあります。

狭い道幅と、生い茂る草、至る所みぞになった路面に何度か車の底をこすりながら、のろのろ運転で乗り越えて、やっとの事で人里に降りてきたときは、本当にほっとしました。

二度と行くまいと決意したのですが、懲りずに今回の挑戦です。

 

ただし、今回は家族を二人乗せているので、そのときのような行けるところまで行ってやれという気持ちは封印して、安全第一で挑みました。

 

出発点の標識を写真に収め、わくわくしながら走ります。

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勝浦川沿いの道は舗装もされていて、人家もあり、林道という感じがしません。

しばらく左岸を走り、右岸に渡ります。水量の増えた川の流れが美しい。小さな橋で左岸に渡り、山を登っていくと家もなくなり、山の中を走ります。左側に時折見える川が美しい。巨大な岩があちこちにあり、水の流れが変化に富み、見応えがあります。

 

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殿川内渓谷の紅葉峡という看板を見つけて停車しました。

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数十メートル下の川をのぞき込むと、轟々と音を立てて激しい流れが見えました。

迫力のある流れをIphoneのビデオで撮影しました。

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道沿いの崖には所々、小さな滝になって水が落ちてきていました。その小さな滝壺には糸トンボの姿が。繊細で美しいフォルムです。トンボ好きの方はたまらない場所でしょう。
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落ちている石は赤と緑のチャートと思われる石が多くありました。

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滝壺にいると、上から吹き下ろす風が冷たく、天然のクーラーとなって心地よく感じました。流れる水も手をつけるととても冷たい。

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しばらく景色を楽しみながら休憩しましたが、その間一台の車も通りません。もちろん人の姿も全くなし。自然を独り占めした贅沢な時間を過ごしました。

「GO WILD」と言う本を読了したところだったので、狩猟生活をしていた頃の人間に一瞬でも返ったかのような気分になりました。少しでも健康を取り戻せたかなあと思います。

この先に進むのはあきらめて、引き返しました。

 

今後の課題は、車高を上げる、車の下部をガードする、マッドフラップを取り付けるなど、ダートを走れるようにすることです。

いつか剣山スーパー林道を全線走行してみたいです。

 

今回の走行の一部です。以下のリンクからどうぞ。

https://youtu.be/XEiFBaOhDuM

 

 

 

 

 

台風5号通過後の上勝町で化石採集しました。 クワガタムシとトリゴニア化石を発見

 

上勝町で化石採集

以前トリゴニアの化石を見つけた場所に行ってみました。

道端に草が生い茂り、台風の通過後のため、枝や石ころが道にいっぱい落ちていて通るのに気を使います。


化石を見つけた場所も草がいっぱいで、マムシが怖くてちょっと足を踏み入れることができませんでした。


手の届く範囲で石を探していると、小さなクワガタムシを発見しました。3cmほどで、元気よく動き回ります。金色のうぶ毛が生えていて美しく、かわいい。まだ若造だと思います。

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ビデオを撮り、逃がしてやりました。


クワガタくんが乗っている石は、トリゴニアの化石が少しだけ入っていました。

孫でもできたら、クワガタムシをじいじが取ってくると喜ばれるかもしれないなと妄想しました。

 

剣山スーパー林道を目指して移動中、道端の落石に大量のトリゴニア化石が入っているのを見つけました。

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ひと抱え以上の大きさです。とても一人では動かせない重さがあり、道の斜面から落ちてきたようです。
もう少しの所で、杉林の斜面に転げ落ちるのを踏みとどまったかのようです。

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博物館か学校にでも飾れば、りっぱな標本になるのに惜しいなと思いました。

それとも、この程度ならどこにでも転がっているのかもしれません。

さすがトリゴニアの町、上勝町!


写真だけを撮り、立ち去りました。

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印象化石です。 

 

これから小説を書いてみたい人に 大岡昇平「現代小説作法」ちくま学芸文庫がおすすめ 第六章 「プロットについて」を読んで考えた

 

「現代小説作法」第六章 「プロットについて」

私は、小説は筋があるものが好みなので、プロットという語に惹かれて読みました。
まずはプロットの説明です。

 

プロットは普通「筋」と訳され、ストオリーと混同されがちですが、実ははっきりした区別があります。(略)ストオリーは時間の順序に従って、興味ある事件を物語るけれど、プロットは物語る順序を、予め「仕組む」ことを意味します。

 

 

「ストオリー」という表記に少し違和感がありますが、気にせず読み進めていきましょう。

 「王が死に、それから王妃が死んだ」と書けばストオリーだが、「王が死に、悲しみのあまり王妃が死んだ」あるいは「王妃が死んだ。そのわけは誰も知らなかったが、王の崩御を悲しんだためであることがわかった」と書けばプロットだ、と「印度への道」の作者フォースターが書いています。(「小説の諸相」田中西二郎訳 新潮文庫)

 

 

この本は引用が多いです。わかりやすい引用文です。

 近頃誰それは、「すぐれたストオリー・テラーだ」といわれることがありますが、実際はプロットの立て方のうまいことを意味する場合が多いのです。新派や歌舞伎で「趣向」といわれたものに当たるので、自然主義以来、趣向は実感の伴わないものとして排斥されていました。
 小説家が小説に取りかかる前に、プロットを考えておく方がいいといわれるようになったのは、読者がそういう実感尊重や写実的短編に飽き、筋のある長編小説を求めるようになった昭和中期以降です。しかし実際は作家がこの問題をどんな風に処理していたかは、次の川端康成の証言にあらわれています。
 「実際創作に当たっている人の体験を聞くと、日本の作家にはあまり筋(プロット)を考えず、書き出しに色々と苦心をし、あとはその場その場でもっとも妥当と思われる方向に小説を運んでゆくという人がかなりいるようである。また最初から作品の筋を全部考えておいて、それに従って整然と書き進めるという方法による作家もある。これは両方ともプロットが有るのであって、前者はとかくプロットがないというように考えられがちであるけれども、これは間違いである。主題がはっきりときまって作者の肚が出来上がっていれば、プロットは自らきまってゆくことが多い」(「小説の研究」角川文庫)
 これは川端康成氏の体験に基づいた言葉であるだけに貴重です。事実今日でも新聞雑誌の連載小説は、たいていその場その場の即興で運ばれ、結末で辻褄を合わせるという風に書かれることが多いので、厳密な意味でプロットを立てて書いた作家は、藤村、荷風、潤一郎ぐらいなものかも知れません。

 

プロットを考える上で貴重な文章だと思うので、長い引用をしました。

 

川端康成は厳密な意味でのプロットは立てなかったようです。

私は、島崎藤村は読んでいないのでわかりません。

永井荷風、谷崎潤一郎は両者とも愛読する小説家です。

大岡昇平は、「彼等の作品がいつまでも読むにたえる理由の一つはここにあります」と述べています。谷崎は小説を建築にたとえていたような文章を読んだ記憶がありますが、はっきり思い出せません。

若い人は荷風も谷崎もほとんど知らないでしょう。高校の教科書には谷崎の「陰影礼賛」が載っていたことがありますが、最近はあまり見かけません。残念です。

 

谷崎潤一郎のおすすめは、「蘆刈」という作品です。プロット云々も結末部で確認できます。

 

さて、「現代小説作法」にもどって、このあとを見ると推理小説について文庫で7ページにわたり書かれています。むしろこのあとがこの章のメインかもしれません。

著者は推理小説に重きを置いているようです。

 

私は推理小説は読まないので、推理小説をお好きな方は是非原典で確認してください。

 

『マチネの終わりに』で話題の平野啓一郎さんの『私とは何かー「個人」から「分人」へ』が2017年の明治大学の入試問題に出ていたので、読んで考えてみた

 


『マチネの終わりに』で話題の平野啓一郎さんの『私とは何かー「個人」から「分人」へ』が明治大学の入試問題に取り上げられていたので、読んでみました。

 

2017年 明治大学 政治経済学部 『私とは何かー「個人」から「分人」へ』平野啓一郎

 

以下はその要旨の要約です。

「個人」という概念ー西洋文化独特のもの
・一神教であるキリスト教の信仰ー人間には幾つもの顔があってはならない
・論理学ー分けられない最小単位「個体」
 ↓
もうこれ以上は分けようがない、一個の肉体を備えた存在ー「個人」

日常生活で、多種多様な人々と向き合う
ごく自然に、相手の個性との間に調和を見いだそうとし、コミュニケーション可能な人格をその都度生じさせ、その人格を現に生きている
 |
複数の人格ー不可分と思われている「個人」を分けて、その下にさらに小さな単位を考え、「分人」とする。

疑問ーそんな複数の人格だけで生きていけるのか
一人の人間の中には、複数の分人が存在している。
個人を整数の1だとすると、分人は分数
相手との関係により分子も変わる
分人には中心が存在しない。常に環境や対人関係の中で形成されるーオートマチックに
継続性を持って特定の人と関わるー人格は反復で形成される一種のパターン
生身の人間だけでなく、ネット上の相手や文学・音楽・絵画でも分人を所有

 

設問は、接続語や四字熟語を問うもの、空欄補充、50字以内の理由記述、欠文補充、主旨など多岐にわたります。私大の入試問題の典型です。

 

「分人」という抽象的な概念を取り上げていますが、じっくり読めば理解できると思います。


こういった入試問題の文章を通じて新たな知が開けるところがいいですね。
単に点が取れた、取れなかったの次元だけでなく、自分の頭がよくなったと思える文章に出会えるところが入試問題の魅力でもあります。

 

ちなみに著者の平野啓一郎さんは、この明治大学の問題を解かれたのでしょうか?気になりました。