bluesoyaji’s blog

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大岡昇平「現代小説作法」第十二章「人物について」 これから小説を書いてみたい人に

 

第十二章「人物について」

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大岡昇平「現代小説作法」より、これから小説を書いていみたい人に参考になるところを取り上げます。

 

主人公と副人物とは、決して同じようには描かれていません。この点については、これまでもたびたび授けをかりたフォースター「小説の諸相」にうまい区別があります。扁平人物(flat characters) と円球人物(rouund characters)の区別です。

 

 

フラット・キャラクターとラウンド・キャラクターという区別は初めて聞きました。


漱石の「坊っちゃん」からの説明です。

「赤シャツ」「野だいこ」「山嵐」「うらなり」と綽名がついているくらいですから、一つの観念あるいは性質を表しているのは明白でしょう。「赤シャツ」は夏でも赤シャツを着ている気取り屋の文学士で、同時に術策によって同僚の許嫁を奪う破廉恥漢、「野だいこ」は阿諛者、「山嵐」は反抗児、「うらなり」は弱気な旧家の息子と、それぞれ綽名の示す性質を持っています。
「扁平人物の大きな長所は、いつ登場しても、すぐわかることー固有名詞でまた出て来たなと気がつくという、読者の視覚的な目の作用によってではなく、読者の情緒的な目によってわかることです。(略)扁平人物が作家にとって非常に有用なのは、紹介のやり直しをしなくてもよいこと、けっして逃げないこと、性格の発展を見まもるに及ばず、自分自身で雰囲気を作り出していることです」とフォースターは続けています。

「扁平人物」とは、副人物の設定で、固定されたわかりやすいキャラクターと言ってよいでしょう。
では、「円球人物」とは、どういうものでしょうか。

フォースターの円球人物の人物の定義は、一つの文字あるいは文章に要約されえないということです。(中略)つまり小説中でわれわれの関心の中心をなすのは主人公ですが、作者が主人公の心理や行動を追求するうちに、その人物は自然と要約されがたくなってくるという事情がすでにあるからです。

 

 

 注意点として次のように指摘しています。

間違いはむしろ円球であるべき人物を扁平に書いたり、扁平人物が作品の中心に乗り出したりする場合に起こります。

 

以下で、有馬頼義の「失脚」という作品を例に挙げ、分析しています。私は未読なので、可否がわかりません。

円球人物と扁平人物を書き分けすることができればいいかというと、それだけでは不十分だそうです。
 

円形人物はあくまで円球、扁平人物はあくまで扁平では、劇は単調すぎます。理想をいえば、人物は全部円球で、その間に悠大な筋が進行すれば、それに越したことはないはずです。そうです。近代小説の大家は、それぞれの副人物を、ちょっとしたタッチで円球人物にすることを知っています。

 

 

なかなか初心者には難しそうですね。円球と扁平の書き分けでは済まず、人物は全部円球でという条件は、小説を書くハードルが高すぎます。

我が国の例として、紫式部(!)や樋口一葉を上げています。

そして志賀直哉の「暗夜行路」時任謙作を「円球に達していない。場面場面の小円球が、数珠つなぎにつながれたような印象を与えます。それでも藤村、漱石、潤一郎の主人公のように、人物の一部を切り捨てることによって、安定を保っているのよりは、ずっとましですが。」と述べています。
ここでも大岡昇平は、大家に厳しい点がうかがえます。

最後にフォースターの引用

「円球人物であるかどうかの基準は、それがわれわれを納得させながら驚かせることが出来るかどうかです。もしそれが少しも驚かさないなら、扁平です。納得させないなら、扁平のくせに丸いふりをしているのです。円球人物は人生ー小説中の人生ですがーの測りがたさを身辺に漂わせています」

 

円球人物と扁平人物の書き分けという視点、さらに主人公の人物像について、大岡昇平の考察を参考にして、小説を書いてみてはどうでしょうか。