小学生のころ戯れに行った絵画教室で、同年代の生徒が描いた絵を指導という名目でズケズケと塗りつぶしながら修正した教師をそばで見ていた。その時の「こんな悪人が世にいるのか」と思った記憶が今なお人格の一部として機能してる実感がある。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2019年3月6日
痛みがなければ理解できないという理由で、暴力を正当なものだと挿げ替えようとすることの浅ましさ。その胸には暴力に耐え切った優秀なケースだけが成功体験として残り、足元に積み上がった失敗には一切目を向けない。自分の指導能力のなさを子供に押し付ける態度でしょうね。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2019年3月6日
子供ながらの「純粋な表現」が必ずしも美しいとは全く思わないけど、自分には何かができるという過信が才能なんだとすれば、それを叩き折る行為に意義なんてない。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2019年3月6日
米津玄師さんの活躍は、みなさんご存じのとおり。音楽はもちろん、絵やダンスも超一流です。マルチタレントを持っているのは間違いなし。
子どもの頃の米津玄師さんは、ギフテッド・チルドレンだったと推測されます。
その米津さんが、ツイッターに三連投していた内容が、子どもの才能の伸ばし方に関するものだったので、以前に読んだギフテッド・チルドレンについての本のことを思い出しました。
「才能の見つけ方 天才の育て方 アメリカ ギフテッド教育最先端に学ぶ」石角友愛 文藝春秋 から、ギフテッド・チルドレンとはどういうものかを紹介します。
ギフテッド・チルドレンの定義
「ギフテッドとは、知性、創造性、芸術性、リーダーシップ性、または特定の学問での偉業を成し遂げる能力がある個人を指す。」
「ギフテッドとは、例外的な論理能力と学習能力の才能を持つ個人を指す。分野は大きく分けて二つあり、一つは言語化・記号化された分野(数学、音楽、言語等)と、二つめは感覚運動能力の分野(絵、ダンス、スポーツ等)がある」
特別な能力を持つ子どもと聞くと、東大に合格するような、いわゆる学力の高いことをまず連想しますが、それも含めて、もっと幅広い能力を持つ子どものことです。
ところが、日本の学校の物差しは、学力重視であり、歌やダンス、さらにリーダーシップ性すら重きを置かれていません。個性を重視しようというのが、実際は、かけ声だけだということがわかります。
日本からはスティーブ・ジョブズのような独創的な製品を生み出す天才は出てこないのでしょうか。また、米津玄師さんのような芸術分野で大活躍する人は、稀な存在なのでしょうか。
アメリカでは 、伝統やブランド、世間からの評価などよりも、親が「本当に我が子にとって一番よい選択は何なのか」という視点で学校を選んでいる
日本では、小学校のお受験や、中学校受験などをする際に、どれだけの親が、偏差値、ランキング、世間一般的なブランドイメージなどを排除し「我が子の個性を伸ばし、学びに対する興味を一番育んでくれる学校はどこか」「教育理念に共鳴できるか」という本質的観点から学校を選んでいるでしょうか。日本では学校側にあまり選択肢のバラエティがないように思います。それが、ランキングで学校を選ぶ以外にあまり方法がない理由なのかもしれません。
偏差値ランキングや世間の評判で学校を選んでしまう親と、それに従う子どもたち。
本当に子どもの特性を見つめ、見きわめる努力をしているといえるのでしょうか。
むしろ、子どもの可能性を奪っているのかもしれません。
子どもの持つさまざまな才能を見つけ、伸ばす手助けをすること、これが日本の社会には欠けているのでしょう。
子育て中の人も、これから子育てする人も、ギフテッド・チルドレンということを知っておくことが必要です。
ぜひ、この本を一読してみてください。