bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

美禰子は露悪家か?三四郎を悩ますものは STRAY SHEEPのなぞ 「三四郎」夏目漱石  

 

広田先生宅訪問

美禰子にとらわれている三四郎ですが、三四郎の頭の中では美禰子をどう見ているのかを整理してみましょう。

そうすることで、美禰子との関係の問題点がはっきりとすると思われます。

本文は、青空文庫から引用しました。

 

三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である。三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚《ゆうよう》になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七|分方《ぶがた》この意味である。

 訪問理由の第三はだいぶ矛盾《むじゅん》している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。

 

 

広田先生が三四郎にとってのメンターなので、美禰子に関するもやもやした気持ちを整理するために訪問します。

しかし、直接先生に、美禰子への思いや美禰子と野々宮さんの関係を相談するわけではありません。

広田先生と話していると、「女の一人や二人どうなってもかまわない」と強気になるのです。「野々宮さんと美禰子との関係が自ずから明瞭に」なると思うのです。

ずいぶん都合のよい態度です。自分の恋心は隠して、いわば、恥をかいたり、傷ついたりするのを避けて、安心を得ようとしています。

広田先生も野々宮さんも、三四郎が目指していく世界の住人です。同じような仕事をし、生活をするはずの先輩であり、目標でもある人です。

同じ世界の住人だから、話も通じやすいし、安心していられるわけです。

ただ、親友に悩み事を相談するようにはつきあえない人でもあります。広田先生はいわば師匠であり、野々宮さんは尊敬すべき先輩です。そんな二人に、特に野々宮さんには美禰子のことは話せない。

三四郎なりに学問の世界で生きていくプライドもあるでしょうから、そう簡単に美禰子への恋心を相談できないのです。

三四郎もつらい立場ですね。

 

 

広田先生の話の後

「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」

「そりゃ……」

「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校で教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党の領袖《りょうしゅう》だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気《にくげ》がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人の金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身が目的である。それ自身が目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味《いやみ》のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障《きざ》だ」

ここまでの理屈は三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである。三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振《そぶり》をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎は自分の感受性が人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。

 

 

三四郎に足りないのは、与次郎のような正直さかも知れません。「万事正直に出られないような我々の時代」は「みんな気障」と言う広田先生。

三四郎は、美禰子の言動が、正直なのか、気障なのかわからないのです。

「自分の感受性が人一倍鈍いのではないか」と三四郎は、疑問を抱きます。

「その通りだ、三四郎」と断罪したいところですが、「美禰子に対しては」という条件付きで、その通りだと言っておきます。

 

露悪家

「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善としか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善を偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語はあくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっとも優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行《はや》らなくなる」

  広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場を説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたかも教場で講義を聞くと一般の感を起こさせる。しかし三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである。三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。

 

 

広田先生の露悪家の説明はややこしいですね。

「人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる」とか「偽善を偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色」とか、「きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっとも優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる」というものです。

今ひとつ、私もわかりにくい。

三四郎はこれを聞いて、美禰子を当てはめます。しかし、美禰子を露悪家とは断定できません。「しかし測り切れないところがたいへんある」と考えます。

 

一人の女性をひとつの露悪家というもの差しで判断しようとすることがそもそも間違っています。生身の人間ですから、当然、多様な面がある。

三四郎は批評家になってしまっています。

 

やってきた原口さんの話

美禰子の絵を描いている絵描きの原口さんが登場します。

 

 

三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議の因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。

「でも当人の希望なんだもの。団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」

「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」

「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」

「君もらっちゃどうだ」

「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」

「なぜ」

「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節《かつぶし》を買い込んで、これでパリーの下宿に籠城《ろうじょう》するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変《ひょうへん》したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄《あにき》からでも聞いたんだろう」

「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」

「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」

 

 

広田先生のサロン(?)に出入りするうちの一人、画工の原口さん。三四郎は耳をそばだてて、先生と原口さんの会話を聞いています。

原口さんの言う「美禰子が団扇をかざしている構図」とは、美禰子が初めて三四郎と池の畔で出会ったときに取っていたポーズです。三四郎はめずらしく「不思議の因縁が二人の間に存在しているのではないか」と、ロマンティックに受け止めます。

美禰子の結婚に関する話などは、三四郎がいちばん聞きたかった内容です。

「自分で行きたい所でなくっちゃ行きっこない」との言葉を聞いて、三四郎は少しは安心できたでしょうか。

美禰子は果たして「まったく西洋流」なのでしょうか。

 

野々宮さんが気になり、美禰子と向き合えない三四郎 STRAY SHEEPのなぞを考える「三四郎」夏目漱石

大学の運動会を見に出かけた三四郎。見学に来ている美禰子に合うことを期待しています。

審判をしている野々宮さんと談笑する美禰子を遠目に見て、おもしろくないと思って会場から離れます。

そして、美禰子とよし子の目につくように姿を見せた三四郎は、すねたような態度を見せた後、美禰子と二人になりました。よし子は用事で外しています。

三四郎は、美禰子にどんな話をするのでしょうか。

今回は、引用も考察も長文になります。お時間のあるときに、ゆっくり読んでみてください。

本文は青空文庫から引用しました。

 

 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松《まつ》と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰《こかげ》を指さした。

「あの木を知っていらしって」と言う。

「あれは椎《しい》」

 女は笑い出した。

「よく覚えていらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

 今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇《うちわ》を持って立っていたのは」

 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角《ひとかど》と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね

「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから

だってだいぶ得意のようじゃありませんか

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね

「なぜですか」

「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう

 三四郎はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」

「会場で?」

「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇《したくちびる》をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。

「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」

 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。

「あなた、原口《はらぐち》さんという画工《えかき》を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「そう」

「どうかしましたか」

「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」

 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。

 

 

美禰子と初めて出会ったのが、会話にある池のそばで、その時のことをよく覚えている三四郎の言葉に美禰子の笑いが出ます。三四郎も笑い出します。

いい雰囲気になってきました。

ところが、美禰子の問いに対し、野々宮のことにこだわり、野々宮の話を続ける三四郎。

女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇《したくちびる》をそらして笑いかけている。

完全に三四郎の心を見透かしています。野々宮さんと美禰子の関係に疑念を持つ三四郎の心を察知して、逆に、絵はがきの返事をくれないのかと問いかけてきます。

絵はがきは、三四郎と美禰子を二匹の羊に模して、二人とも同じように迷える子だと示したものでした。

その美禰子の思いを描いた重要なはがきに、三四郎は返事を出しませんでした。

美禰子は三四郎の返事を期待していたのにです。

不意の問いに対して三四郎はまごつきます。美禰子は何も言いませんでした。

このすれ違いは美禰子に失望を与えたでしょう。

しかも三四郎がこだわる、今日の野々宮さんの行動は、美禰子とよし子に、絵描きの原口さんが二人を絵にしようと狙っているので注意するように伝言したものでした。

これを知った三四郎は、「自分がいかにも愚物のような気がした」と自覚します。

妄想を広げる三四郎の取り越し苦労でした。

もっと正直に自分の気持ちを出せばいいのに、と思うのは現代から見た考えでしょうか。

三四郎には、そうはできない何かがあるのでしょう。

 

「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」

 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家《うち》から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜《かま》、手桶《ておけ》などという世帯《しょたい》道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人《あるじ》から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹《きょうだい》は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。

 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒《はださむ》がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。

 

 

よし子の話題は避けなければならないのに、すぐ口にする三四郎。美禰子の立場に立って見ると、いい気がしないのに。

よし子については、以前に「よし子は当て馬か」という文を書いています。ご参考まで。

ここでは野々宮さんが下宿したことの、自分へのメリットとデメリットを考え込んでいます。野々宮さんのことを気にしすぎて、美禰子と正対することができません。美禰子には物足りない三四郎の態度です。

 

 

三四郎も女|連《れん》に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶《あいさつ》をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端《はた》を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

「お兄《あに》いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。

「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。

 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟《ひっきょう》野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。

 

 

戻ってきたよし子との会話から、美禰子が野々宮さんの人物評を語り出します。兄が大好きなよし子は黙って聞いています。

美禰子と野々宮の関係がわかるのでしょうか。

三四郎は美禰子の言葉をどう受け止めたのでしょうか。

 

 

 

三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分《おいわけ》の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄《ぐろう》した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、

「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

 

 

野々宮さんのようなかたは我々の考えじゃわからないと言う美禰子の意図は、三四郎と比較したものではなく、美禰子や三四郎とは次元の違う世界にいて、求めているものが違う、つまり、距離の離れた人だということです。

この発言から考えると、美禰子は、野々宮にたいして、尊敬はするが、愛情は抱いていないようです。

ところが、三四郎は、野々宮を意識しすぎているのか、そうは受け止めません。

「あの女からばかにされている」「恋に自分を愚弄した言葉かもしれない」と気づき、「きょうまで美禰子の自分に対する態度や言葉を悪い意味がつけられる」ように感じるのです。そして「往来のまん中で真っ赤になってうつむいた」のです。

だまされていた、恥をかかされた、悪意が込められていた、と極端な解釈をしてしまいます。

自尊心を傷つけられ、赤面する。

異常な反応だと思いませんか。

心理学的な見立ては私にはわかりませんが、三四郎の常軌を逸した被害者意識、自己中心的な、主観的な解釈、客観的な判断力を失った姿がうかがえます。

これでは美禰子はたまったものではありません。悪意のある女で、三四郎を惑わせ、もてあそぶ悪い女。

そんなイメージが作り上げられてしまいます。

もちろんそれは間違っています。

 

三四郎は、この「認知のゆがみ」に気づけばよかったのですが、これがこの後、美禰子との決別に繋がっていきます。

美禰子の描いた羊の絵の意味は STRAY SHEEPの種明かし「三四郎」夏目漱石

美禰子の本心をつかめるチャンスを逃した三四郎。美禰子の言った「STRAY SHEEP」の意味が分からず、とまどうばかりでした。

 

そんな三四郎の元に美禰子から絵はがきが届きます。

それには、二匹の羊と、大きな男が立っている絵が描かれていました。男は獰猛な顔つきで、

デビルと仮名が振られています。

本文は青空文庫から引用しました。

 

下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛《どうもう》にできている。まったく西洋の絵にある悪魔《デビル》を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名《かな》が振ってある。表は三四郎の宛名《あてな》の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray《ストレイ》 sheep《シープ》 の意味がこれでようやくはっきりした。

 与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽《こっけい》趣味がある。無邪気にもみえる。洒落《しゃらく》でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

 

  

美禰子は、先日の菊人形の混雑から逃れた美禰子と三四郎を羊に見立て、STRAY SHEEPとしているのです。

これを見た三四郎は、「はなはだうれしく思った」、「美禰子の使ったSTRAY BSHEEPの意味がこれでようやくはっきりした」と思います。

三四郎には謎だった美禰子の言葉は、二人は、どうしていいかわからない、決められない仲間同士、つまり、似たもの同士だというものだったのです。

STRAY SHEEPの種明かしをしています。

 

こんなイラスト付きの絵はがきを好きな女から送られたら、男はいちころになりますね。

洒落込んでいます。

美禰子は、すごかったのです。三四郎をあきらめたのではなかった。

より強烈な一手を三四郎に送りつけてきました。当然、三四郎の反応を待っているはずです。

三四郎は、「よし子のかいた柿の木の比ではない。ーと三四郎には思われた。」

よし子と比べてるどころじゃないぞ、三四郎。

すぐに返事を返さなくては。

 

ところが、「ぐずぐずしているうちに」出かける時間になってしまい、結局、返事は出さなかったのです。

また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔《デビル》をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがきに匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

 

  

挙げ句に「既読スルー」です。

はがきをもらって相手の思いがわかって、うれしかったのなら、とりあえずの返事くらいは出しましょうよ。普通の男なら。

 

三四郎の、この間の悪さ、気の効かないところは、コミュニケーション能力の欠如というよりも、一種、病的なものに思えてきます。

考えすぎて行動できない病か、完璧を求めてかえって何もしない病か、要するに、頭でっかちで、自分のことにとらわれて、相手のことに心が及ばないのです。

 

そら、あかんやろ、三四郎。

三四郎の残念なところです。

この後、三四郎はどう挽回するのでしょうか。

 

続く(予定)

STRAYSHEEPの謎を考える 美禰子が口にした「ストレイシープ」とは「三四郎」夏目漱石

いよいよストレイシープの登場です。「迷える子」を美禰子はどんな意味で言ったのでしょうか。

「三四郎」最大の謎を考えてみました。

 

本文は青空文庫から引用しました。

 

美禰子に誘われて三四郎は、広田先生、野々宮兄妹と五人で菊人形を見に出かけます。

途中で急に体調不良になった美禰子。気づいた三四郎は他の三人を置いて会場から出ます。

三四郎は群集《ぐんしゅう》を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。

 ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、

「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹《あおだけ》の手欄《てすり》に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧《おの》をさした男が、瓢箪《ひょうたん》を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。

「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼《ふたえまぶた》に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸《ひとみ》とこの瞼《まぶた》の間にすべてを遺却《いきゃく》した。すると、美禰子は言った。

「もう出ましょう」

 眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄《てすり》から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。

 二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦《うず》を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。

「どうかしましたか」

 

 

美禰子の様子は、単に人混みの中で気分が悪くなったのとは違うものです。

「霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。」

 

精神的な疲れ、肉体的な疲れ、それらが苦痛となって訴えているのです。

美禰子は、菊人形の会場に来る前に、野々宮さんと軽く口論をしています。考えのすれ違いがあったのです。

 

会場までの道中で、物乞いをする乞食、七歳ぐらいの女の子の迷子に出会います。

それぞれに広田先生と野々宮さんが批評をします。その時の広田先生の言葉が「責任をのがれる」です。あとで美禰子がこの言葉を引用しています。

 

 三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。

「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」

女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。

「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。

「休みましょうか」

「ええ」

「もう少し歩けますか」

「ええ」

「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」

「ええ」

 一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。

 向こうに藁《わら》屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子《とうがらし》を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。

「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手《はで》な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。

「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。

「ありがとう。これでたくさん」

「やっぱり心持ちが悪いですか」

「あんまり疲れたから」

 三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。

 

やや回復した様子の美禰子を見て安心する三四郎。さらに歩けないかと促します。

足元が悪い中、「わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。」

と三四郎は思うのです。

 

ここは、手を貸して介添えするところでしょう。遠慮しているときではありません。まして「わざと女らしく甘えた歩き方をしない」なんて批評する場面でもありません。

相手(美禰子)のことを心配しているなら、そんな遠慮や分析は不要です。

まして、好きな女なら、もっと近づいて介助したくなるでしょうが、三四郎はそれができないのです。

 

腰を下ろす美禰子に対して、さらに歩けないかと促す三四郎。拒む美禰子。仕方なく、きたない草の上に腰を下ろします。

美禰子との間は四尺、およそ1.2メートルの距離があります。

三四郎は、パーソナルディスタンスを取り過ぎじゃないですか?

もっと距離を縮めておく場面です。

 

空を眺める美禰子とのやりとりは、今ひとつかみ合っていません。そこへ、

 ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものとみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯《ひげ》をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪《ぞうお》の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、

「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。

「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」

「迷子だから捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、

「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」

「だれが? 広田先生がですか」

 美禰子は答えなかった。

「野々宮さんがですか」

 美禰子はやっぱり答えなかった。

「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」

美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種の屈辱をかすかに感じた。

 

突然、見知らぬ男から憎悪を向けられた二人。若い男女が二人でいることが許せなかったのでしょう。

現代から見れば、「変なおじさん」ですが、これが当時の男女の交際に対する世間の認識なのです。一種の自粛警察です。

 

三四郎は、男が去ったあと、広田先生や野々宮さんのことを口にします。美禰子と二人きりになったことをまずいことだと認識したのでしょうか。

これに対して美禰子は痛烈なひと言を返します。

「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」

これは、乞食や迷子に対して見向きもしない人々を広田先生が評した言葉でした。

 

つまり、現実に関わろうとしない人、傍観者の意味です。

 

美禰子から見ると、広田先生も野々宮さんもそのような存在に見えているということです。

 

三四郎は驚きます。

「その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種の屈辱をかすかに感じた。」

 

美禰子の不調よりも、広田先生や野々宮さんへの体面を気にする三四郎。

美禰子に内心を見通されたと思い込んで勝手に屈辱を感じています。

 

下心を見ぬかれたならまだしも、体面を気にすることを見抜かれたと思い、屈辱まで感じる三四郎。

美禰子への恋心よりも、世間(広田、野々宮)へのメンツを重視するような男では、美禰子の心は動かないでしょう。

しかも見透かされたといって屈辱まで感じるプライドはいったい何なんでしょうか。

 

東大生だから?

広田先生や野々宮さんのように学問研究の世界に生きようとしている人間だから?

 これが漱石の言う「自己本位」なのでしょうか。

たしかに、それも大事ですが、今、現実には美禰子が目の前で苦しんでいる、それが一番大事にすることではないでしょうか。

 

それではダメだろう、三四郎!と叱りたくなる場面です。

 

 

「迷子」

 女は三四郎を見たままでこの一言《ひとこと》を繰り返した。三四郎は答えなかった。

「迷子の英訳を知っていらしって」

 三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。

「教えてあげましょうか」

「ええ」

「|迷える子《ストレイ・シープ》――わかって?」

三四郎はこういう場合になると挨拶《あいさつ》に困る男である。咄嗟《とっさ》の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間《はんま》であると自覚している

 |迷える子《ストレイ・シープ》という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉の意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。

「私そんなに生意気に見えますか」

その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。

三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻《もど》せるものではないと思った。女は卒然として、

「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味《いやみ》のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものとあきらめるように静かな口調《くちょう》であった。

 

「ストレイシープーわかって?」と美禰子に問われた三四郎は、黙り込みます。そして「半間」であることを自覚しています。

半間とは、まぬけなこと。気のきかないこと。

反応できない三四郎の態度は、discommunicationディスコミュニケーション(相互不達)の極致ですね。

いいかっこしなくていいので、何かひと言、美禰子に返していたら、違っていただろうに。

 

三四郎は、

「わかるわからないはこの言葉の意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。」

三四郎は、考え込んで黙り込んでしまいます。

その結果、美禰子は、

「私そんなに生意気に見えますか」

と口にします。

 

ここまで言わせるとは、

美禰子が哀れでなりません。

 

ところが三四郎は、これに対して、

「今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。」

 

美禰子の本心がわかりかけたのに、そのことが「恨めしい」と思うのは、なぜでしょう?

現実よりも理想の方が大事だと考えているからです。

美禰子の態度をもとのような意味のあるものにしたかったと願う三四郎。

三四郎に気に入られたい美禰子の気持ちを理解することができないのです。

三四郎のこの態度が美禰子を傷つけたのは間違いありません。

 

帰りましょうと言う美禰子。

「ただ三四郎にとって自分は興味のないものとあきらめるように静かな口調であった」

 

野々宮さんとの交際はあるが、考えが合わない。しっくりしない。

そこに現れた三四郎に美禰子は、自分を理解してくれる者ではと期待しています。

ところが、三四郎の態度もどこか煮えきらず、つかめない。

美禰子の失望を思うと、気の毒になります。

 

三四郎は、美禰子に対して、せめて共感なり、理解なりができなかったのでしょうか。

 

 空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息《じいき》でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。

「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」

「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、

「|迷える子《ストレイ・シープ》」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。

 美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子のそばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺《わらぶき》のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。

「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」

 女は片頬《かたほお》で笑った。そうして問い返した。

「なぜお聞きになるの」

 三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘《ぬかるみ》があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎はこちら側から手を出した。

「おつかまりなさい」

「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりとこちら側へ渡った。あまりに下駄《げた》をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。

「|迷える子《ストレイ・シープ》」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸《いき》を感ずることができた。

 

せっかくのチャンスを棒に振った三四郎。さらに、よし子のことを尋ねて美禰子に不審を抱かれます。いや、不興を買ったというほうが適切です。

 

最後に美禰子が口にした「ストレイシープ」。

美禰子に対する態度を決めかねている三四郎に向かって、「あなたも私と同様、迷える子なのよ」と言いたかったのでしょう。

 

続く(予定)

STRAY SHEEPの謎を考える よし子は当て馬か?「三四郎」夏目漱石

 

 

 

STRAY SHEEPの謎を考える中で、よし子という存在が気になります。

 

女性に慎重な三四郎が、よし子のことは最初から全肯定なのです。

疑ったり、考え込んだりすることなく、よし子を素直に受け入れて、まるで母親のように感じるのです。

 

 よし子に始めて出会う場面

野々宮さんに頼まれて、入院している妹のよし子に届け物をする場面です。

青空文庫から引用しました。

 女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色《ねいろ》があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬《ほお》を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。

 

美禰子に劣らず若くて美しいよし子に対して三四郎は、美禰子とは正反対の受け止め方をしています。

 

広田先生の引っ越し手伝いの場面で、美禰子と急接近した三四郎は、美禰子、広田先生、与次郎の四人で楽しそうに談話していると、野々宮さんがやってきます。
野々宮さんが登場した後、三四郎の言葉は一言だけ。あとは黙ってすわっています。

三四郎の、野々宮さんに対する警戒心がうかがえます。


そして、次の章では三四郎は驚きの行動をとっています。

野々宮の家に出かけていき、妹のよし子から、美禰子と野々宮の関係を聞き出そうとします。

その時の、よし子とのやりとりを見てみましょう。

 
現代から見ると、ふさわしくない表現が含まれています。文学鑑賞という次元で考察するため、そのまま引用します。

「おはいりなさい」

 依然として三四郎を待ち設けたような言葉づかいである。三四郎は病院の当時を思い出した。萩を通り越して椽鼻まで来た。

「お敷きなさい」

 三四郎は蒲団を敷いた。門をはいってから、三四郎はまだ一言《ひとこと》も口を開かない。この単純な少女はただ自分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫《ごう》も返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持ちがした。命を聞くだけである。お世辞を使う必要がない。一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、唖《おし》の奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である。三四郎は子供のようなよし子から子供扱いにされながら、少しもわが自尊心を傷つけたとは感じえなかった。

 (中略)

 茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖《ふすま》を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっとも女性的な顔であると思った。

 よし子は茶をくんで椽側へ出して、自分は座敷の畳の上へすわった。三四郎はもう帰ろうと思っていたが、この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする。病院ではかつてこの女の顔をながめすぎて、少し赤面させたために、さっそく引き取ったが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話を始めた。

(中略)

三四郎はよし子に対する敬愛の念をいだいて下宿へ帰った。 

 

 

 

兄の野々宮を敬愛し、だだをこねるように甘えるよし子。野々宮と恋愛関係にあるのか今一つはっきりしない美禰子。

 

三四郎が訪問したとき、絵を描いていたよし子。原口さんに絵を描かれている美禰子。

 

三四郎には単純な少女、無邪気な女王、子供のようなと思われているよし子。美禰子は謎めく女性。

 

二人は対照的です。「三四郎」の中で、よし子の存在は、美禰子のアンチテーゼとして、美禰子とはパラレルな関係を示しています。

 

 

 よし子の存在を考えてみると、漱石は、三角関係を設定しようとしたのではないでしょうか。三四郎と美禰子とよし子。

しかし、うまくいかなかったようです。

すでに野々宮さんと美禰子、三四郎という三角関係があるので、さらによし子が加わると、ややこし過ぎて読者はついて行けません。

 

三四郎の求める理想の女性は美禰子で、現実はよし子なのかも知れません。

 

三四郎に後日談があるとすれば、美禰子に振られた三四郎は、よし子と結婚することになるでしょう。

STRAY SHEEPのなぞを考える 美禰子と恋人同士のようにいちゃつく「三四郎」夏目漱石 

引っ越しの手伝いで、美禰子と心が通うようになった三四郎。

広田先生の本を片付ける場面では、二人が恋人同士のようにいちゃつく、ほほえましい様子が描かれています。

 本文は青空文庫から引用しました。

美禰子と三四郎が戸口で本をそろえると、それを与次郎が受け取って部屋の中の書棚へ並べるという役割ができた。

「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り回す。

「だってないんですもの」

「なにないことがあるものか」

「あった、あった」と三四郎が言う。

「どら、拝見」と美禰子が顔を寄せて来る。「ヒストリー・オフ・インテレクチュアル・デベロップメント。あらあったのね

「あらあったもないもんだ。早くお出しなさい」

 三人は約三十分ばかり根気に働いた。しまいにはさすがの与次郎もあまりせっつかなくなった。見ると書棚の方を向いてあぐらをかいて黙っている。美禰子は三四郎の肩をちょっと突っついた。三四郎は笑いながら、

「おいどうした」と聞く。

「うん。先生もまあ、こんなにいりもしない本を集めてどうする気かなあ。まったく人泣かせだ。いまこれを売って株でも買っておくともうかるんだが、しかたがない」と嘆息したまま、やはり壁を向いてあぐらをかいている。

 三四郎と美禰子は顔を見合わせて笑った。肝心《かんじん》の主脳が動かないので、二人とも書物をそろえるのを控えている。三四郎は詩の本をひねくり出した。美禰子は大きな画帖を膝《ひざ》の上に開いた。勝手の方では臨時雇いの車夫と下女がしきりに論判している。たいへん騒々しい。

「ちょっと御覧なさい」と美禰子が小さな声で言う。三四郎は及び腰になって、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪《あたま》で香水のにおいがする。

 絵はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴がぐるりと腰を回って、向こう側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛《くし》ですきながら、すき余ったのを手に受けながら、こっちを向いている。背景は広い海である。

「人魚《マーメイド》」

「人魚《マーメイド》」

 頭をすりつけた二人は同じ事をささやいた。この時あぐらをかいていた与次郎がなんと思ったか、

「なんだ、何を見ているんだ」と言いながら廊下へ出て来た。三人は首をあつめて画帖を一枚ごとに繰っていった。いろいろな批評が出る。みんないいかげんである。

 

 

コミュニケーション能力が低いこれまでの三四郎とは打って変わって、別人のように美禰子と楽しそうにいちゃつく三四郎の姿が印象に残ります。

なんだ、やればできるじゃないか三四郎、と声を掛けたくなる場面です。

顔を三四郎に寄せてくる美禰子。三四郎の肩をつつく美禰子。ボディタッチです。そしてふたりは顔を見合わせて笑います。

ひそひそ声で話しかける美禰子。顔を近づける三四郎。美禰子の髪から香水の香りがたちあがります。これが三四郎の本能を直撃したことは間違いありません。

裸体の女の絵(人魚像)を見て、頭をすりつけた二人は同じ事をささやきます。

「マーメイド」!

漱石先生にしては珍しく、官能的な描写が続きます。これでふたりが互いに好意を抱いていないとは決して言えません。恋人同士のじゃれ合いとしか読み取れないのです。

 

次には、現代から見るとふさわしくない表現が含まれます。文学鑑賞という次元で考察するため、そのまま引用します。

「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」

 三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概《こうがい》を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷《どれい》に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚《じっけんだん》だとして後世に信ぜられているという話である。

「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。

「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」

「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」

「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、

「書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地《ここち》である。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。

 

 

与次郎と美禰子の軽妙な会話のカモにされた形の三四郎ですが、美禰子の振りに対して、気の利いた反応ができません。

ああ、三四郎が関西出身なら、どんなによかったでしょう。

美禰子のせっかくのツッコミに対して、ボケで返すことができない三四郎。

会話の妙を楽しむ訓練を受けてきていない三四郎が気の毒でなりません。

酔った心地でいる場合じゃないだろう、三四郎。

 

先に見た恋人同士のような親密さは、所詮、美禰子が演出したものだったのでしょう。

三四郎はこの後、チャンスを活かせるのでしょうか。気になります。

 

続く(予定)

STRAY SHEEP ストレイシープ 共同作業で美禰子と親しくなる 「三四郎」夏目漱石を読んで考えた

美禰子の身体の描写を指摘しておきます。これまでは肌の色と目だけでした。

本文は青空文庫から引用しました。

女は白足袋《しろたび》のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁《ふち》がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいな色である。女は箒を取った。
「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖《そで》の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端《はじ》からは美しい襦袢《じゅばん》の袖が見える。茫然《ぼうぜん》として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。

美禰子の二の腕を見て茫然とする三四郎。色気に当てられてしまったのでしょうか。

 

親しくなるには共同作業をするのがよいそうですが、三四郎と美禰子は掃除をすることで「だいぶ親しく」なります。
今までの三四郎の奥手ぶりとは違って二人の関係の進展が期待できそうです。

 美禰子が掃くあとを、三四郎が雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。
 三四郎がバケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。
「ちょっと来てください」と上から三四郎を呼ぶ。
「なんですか」とバケツをさげた三四郎が梯子段《はしごだん》の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎はバケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。
「なんですか」
「なんだか暗くってわからないの」
「なぜ」
「なぜでも」
 三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟《さん》のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。
「まだあからなくって」
 美禰子は反対の側へ行った。
「こっちです」
 三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。

薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。」

 

一尺は約30cmです。パーソナルスペースは、「排他域50 cm 以下。絶対的に他人を入れたくない範囲で、会話などはこんなに近づいては行わない。」(Wikipediaより引用

)とあるので、異常に密接しています。

 

「三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。」


三四郎の心臓がドキドキする音が聞こえてきそうです。その刹那、バケツを蹴飛ばすなんて、よしもと新喜劇のギャグみたいでほほえましいですね。漱石先生のサービス精神でしょうか。

 

やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面《そと》をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾をバケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。
「何を見ているんです」
「あててごらんなさい」
「鶏《とり》ですか」
「いいえ」
「あの大きな木ですか」
「いいえ」
「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」
「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」
 なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。
「駝鳥《だちょう》の襟巻《ボーア》に似ているでしょう」
 三四郎はボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、
「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、
「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉《こ》で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風《ぐふう》以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、
「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、
「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。
「なぜです」
「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」
「そうですか」
「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」
「あなたは高い所を見るのが好きのようですな」
「ええ」
 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。

 

 


「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。
「なぜです」
「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」


野々宮さんの受け売りを披露した三四郎ですが、美禰子には否定されてしまいます。
そんな科学的なうんちくよりも、「遠くから眺めているかい」のほうが、美禰子には価値があるのです。


美禰子が野々宮さんとは根本的に合わないことの暗示とも受け取れます。(後に美禰子と野々宮の会話で、かみ合わなくて対立する場面が出てきます)

 

「あなたは高い所を見るのが好きのようですな」
「ええ」
 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。

 

美禰子は何か考え事でもしているのでしょうか。他でも、美禰子が空を見上げている場面が出てきます。


美禰子と親しく会話が出来るようになった三四郎。ほのぼのとした場面ですが、この後の展開が気になります。

 

続く(予定)

STRAYSHEEP 美禰子に急接近 「三四郎」夏目漱石を読んで考えた

美禰子に急接近

 


広田先生の引っ越しを手伝う三四郎と美禰子

二人が急接近する場面です。

三四郎の態度を考察します。

 本文は青空文庫 から引用しました。


そのうち

そのうち高等学校で天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎はベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒《ほうき》がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。

 二方は生垣《いけがき》で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪《き》って、瓶裏《へいり》にながむべきものである。

 この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。

「失礼でございますが……」

 女はこの句を冒頭に置いて会釈《えしゃく》した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉《のど》が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸《ひとみ》に映った。

 

 


池の女とは、三四郎が野々宮さんを訪ねて行ったときの帰り、池のほとりで出会った女のことです。

 
そして、野々宮さんの妹よし子の入院先に用事で行った時、再び出会って言葉を交わした女です。

名前はわかっていませんでした。

三四郎は、この女に出会いたくて池の周りをよくうろついていたのでした。

その女が広田先生の引っ越し先に突然現れたので、三四郎は驚きます。

 


初めの印象は、「花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである」

綺麗な花は切って花瓶に入れて愛でるのがよいという意味です。

ゆっくりと身近に置いて鑑賞したいということでしょうか。

まるで俳画のようです。三四郎にしては、余裕のある心境ですね。

会釈をして三四郎を見つめる女の目が三四郎の瞳に映ります。『夢十夜』にもこんな描写がありました。

 


二、三日まえ

 二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶《えん》なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪《た》えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。


女の目の描写がややこしい。

美学の先生が用いたヴォラプチュラスという語を女に当てはめて、官能に激しく訴えくるもので苦痛であり、ぜひこびたくなる残酷な目つきと説明しています。

ちょっと漱石の筆が滑りすぎではないのかとツッコミを入れておきます。

目は心の窓と言いますが、これでは女の内面から欲望が溢れ出ていることになります。

獲物を見つけた猛獣といったところでしょうか…

 


広田さんの

「広田さんのお移転《こし》になるのは、こちらでございましょうか」

「はあ、ここです」

 女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである。三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。

「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。

「まだ来ません。もう来るでしょう」

 女はしばしためらった。手に大きな籃《バスケット》をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞《しま》だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである。

 

 
三四郎は、探し求めていた女が目前に出現したにもかかわらず、気の利かない反応をしてしまいます。

 


上から桜の

上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋《ふた》の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。

「あなたは……」

 風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。

「掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから、三四郎は自分でおかしくなった。すると女も笑いながら

「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、

「あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。

 名刺には里見美禰子《さとみみねこ》とあった。

 

 

「風が女を包んだ。女は秋の中に立っている」

ここも俳句が浮かびそうな描写です。

 
「『あなたは…』風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。」

 

「風が止んだ時」と言わないところがいいですね。「風が隣へ越す」という表現は初めて見ました。おしゃれな感じです。

恋愛ドラマを観ているみたいです。

 
「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言う女の言い方に「大いに愉快」になる三四郎です。ぶっきらぼうに「ああ」と答えます。

 
三四郎は、言葉が続かないのです。女を前にして、緊張しているのか、女性と話すのが苦手なのかわかりません。とにかく三四郎は不器用です。

 


あなたにはお目に

 

「あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂《たもと》へ入れた三四郎が顔をあげた。

「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。

「まだある」

「それから池の端《はた》で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、

「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、三四郎は、

「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人《ふたり》は桜の枝を見ていた。梢《こずえ》に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越しの荷物はなかなかやってこない。

「なにか先生に御用なんですか」

 三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である。

「私もお手伝いに頼まれました」

 

 


女は病院と池の端で三四郎と出会ったことを覚えています。

三四郎には美禰子と会話を続けるチャンスです。

ところが、「それで言う事がなくなった」。

 

三四郎のコミュニケーション能力が低すぎます!

読者は、三四郎の態度にイラっとするでしょう。

まるで大人と子供の対話みたいです。

さらに、「何か先生に御用なんですか」と問うあたり、間が抜けています。

これには、さすがに女も、「あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった」のです。

 

しかし、不器用でも誠実さがあれば、好感度が上がります。

さて、三四郎はどうでしょうか?

 

三四郎はこの時

 三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。

「砂でたいへんだ。着物がよごれます」

「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、

「掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。

「まだやらんです」

「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」

 

 

 


凝った派手な模様の着物が砂で汚れるのに気づき、注意する三四郎。気にしない女。

掃除はしたのかと尋ねる女の笑顔に、三四郎は「慣れやすいあるもの」を認めます。

女の示す親近感を意識します。

 


続く(予定)

 

STRAY SHEEP「三四郎」夏目漱石 美禰子と三四郎の出会いⅡ(美禰子と再会する)

美禰子と三四郎の出会いⅡ(美禰子と再会する)

 

美禰子の容姿と行動について見ていきます。

本文は青空文庫から引用しました。

 

 

美禰子との再会

 

野々宮さんに頼まれて、妹よし子の病室に荷物を届けに行った帰りに、病院の廊下で美禰子(池の女)と再会する場面です。

美禰子は、よし子の病室を尋ねてきており、三四郎に病室の位置を尋ねます。

 

 挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布《カンバス》の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道の廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋《はつあき》の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢と服装を頭の中へ入れた。

 

 

 

長い廊下の先が明るい四角になっており、そこに美禰子のシルエットが逆光で浮かび上がります。

「暗く描かれた女の影」とあるように、絵画としてとらえているのは最初の出会いと同じです。

振り返る美禰子の先には何もありません。これは意図的な所作でしょうか。

三四郎に早くから気づいて、交差するタイミングを計っているのでしょうか。

 

美禰子の容姿

 

着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木《ときわぎ》の影が映る時のようである。それはあざやかな縞《しま》が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三|分《ぶ》一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。

 うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。

 

 

明治時代の中頃の着物を調べてみると、「銘仙」と呼ばれるものがありました。モダンな柄のものもあったようです。美禰子の着物も銘仙だったのでしょうか。

「ハンケチ」は、後に重要な小物として出てきます。

 女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼《ふたえまぶた》の切長《きれなが》のおちついた恰好《かっこう》である。目立って黒い眉毛《まゆげ》の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。

 

 

 

美禰子の一瞥、第二弾です。第一弾は、池の畔で初めて出会ったときでした。

今回はより具体的な描写があります。

二重瞼の切長、黒い眉、きれいな歯、つまり、笑顔を伴った一瞥です。

三四郎に効き目があった事は間違いありません。三四郎に「忘るべからざる」印象を与えました。

 

 

きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光《ひ》にめげないように見える上を、きわめて薄く粉《こ》が吹いている。てらてら照《ひか》る顔ではない。

 肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。

 

 

薄化粧の趣味もよく、肉の引き締まった顔は平坦ではなく、柔らかさと奥行きを感じさせる。

なんとも細かく描写されています。

これだけの情報を、わずかの間に三四郎は美禰子の顔から読み取っているのです。驚くべきべき集中力、観察力を行使しています。それだけの緊張感を強いる存在と言ってもよいでしょう。

 

美禰子の行動

 

 

女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。

「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいだから出た。きりりとしている。しかし鷹揚《おうよう》である。ただ夏のさかりに椎《しい》の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。

 

 

美禰子の上品で洗練された所作が三四郎を驚かせます。

「夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそう」とは、美禰子と初めて出会った場面で、美禰子が連れの看護婦に尋ねたことを指しています。

秋に実がなることを知らない、そんな当たり前の事がわかっていない子供じみたところがある、と言った意味でしょうか。。

椎の実は、それを生で食用にしたそうです。明治時代とはいえ、都会の東京では、そういった習慣はなかったのかも知れません。田舎育ちの三四郎には、知っていて当然の事なので、気になったのでしょう。

 

美禰子との会話

 

「十五号室はどの辺になりましょう」

 十五号は三四郎が今出て来た部屋である。

「野々宮さんの部屋ですか」

 今度は女のほうが「はあ」と言う。

「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」

「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。

「ええ、ついその先の角です」

「どうもありがとう」

 女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎は赤面するばかりに狼狽《ろうばい》した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。

 三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。

 

 

美禰子と初めて言葉を交わします。野々宮の妹、よし子の部屋を尋ねるものでした。

ついさっきまで、その部屋にいた三四郎は、直接案内する事を思いつきません。美禰子の後ろ姿に見とれて立ちすくむだけです。

そこへ、突然の振り返り。美禰子の視線にとらえられて三四郎はうろたえます。にこりと笑う美禰子。三四郎が気の毒に思えるほど、余裕たっぷりです。

もう、勝負は最初からついているようなものです。

 

三四郎の行動

 

三四郎はどうすればよかったでしょうか。

野々宮よし子の部屋を尋ねられたとき、自分も用件があって訪れていた事を話して、直接部屋まで案内する、その際に自己紹介をして、相手の名前とよし子との関係を尋ねる、これくらいの事は、やってもおかしくありません。

でも、三四郎は、それが出来ないのです。人見知りなのか、勇気がないのか、慎重なのかわかりません。

事後にあれこれ考えつづけるぐらいなら、瞬発力を持って行動した方がよいように思えるのですが。

 

ところで、この場面だけをみると、三四郎のふがいなさが目につきます。しかし、この場面までの流れを確認してみると、また違った見方も出来ます。

  

 これまでの流れ

三四郎は、野々宮さんに用事があり、野々宮宅を訪問します。野々宮さんには妹がいて、入院しています。その妹から電報が来て、野々宮さんは三四郎に留守番を頼んで、病院に出向きます。

その夜、三四郎は「ああああ、もう少しの間だ」と言う声を聞きつけ、直後に汽車が轟音を立てて通り過ぎます。若い女が身投げをして、上半身だけの轢死体になっているのを目撃します。若い女の死ぬ直前の声を聞き、直後の死に顔を見てしまうという体験をしています。

翌朝、帰宅した野々宮さんから妹への用事を頼まれ、病院に出向きます。

初対面のよし子は、三四郎には好ましい女に映ります。病名や病状はわかりません。

そして、病室を退去した直後に、美禰子に出会うのです。

 

自殺した女、病気の女、生き生きした女、つまり、死→病→生という流れがあります。

三四郎は、これらを一日も経たないうちに経験しているのです。

平常心でいられるほうが不思議です。過酷な(?)心理状態に置かれた中で、美禰子と遭遇し、言葉を交わしています。その時の反応がふがいないからといって、三四郎を責めるのは酷かもしれません。

三四郎にとっては、昨夜の女の死体、初対面のよし子に続いて、再会した美禰子の美しさは、際だって印象深かったでしょう。

 

「三四郎」には、こういった重層的な仕掛けがあります。

この他も美禰子と三四郎について、さまざまな点から見ていきます。

 

続く(予定)

STRAY SHEEP 夏目漱石「三四郎」美禰子と三四郎の出会いについて考えた

美禰子と三四郎の出会い

「三四郎」本文は、青空文庫から引用しました。


三四郎が初めて野々宮さんを理科大学に訪ねていった帰り、池の畔で孤独を感じていると、

活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。――現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。

「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と三四郎に言った、同宿した女の事を思い出していると、美禰子が登場します。

 ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖《がけ》の木立《こだち》で、その後がはでな赤煉瓦《あかれんが》のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇《うちわ》を額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋《たび》の色も目についた。鼻緒《はなお》の色はとにかく草履《ぞうり》をはいていることもわかった。もう一人はまっしろである。これは団扇もなにも持っていない。ただ額に少し皺《しわ》を寄せて、向こう岸からおいかぶさりそうに、高く池の面に枝を伸ばした古木の奥をながめていた。団扇を持った女は少し前へ出ている。白いほうは一足|土堤《どて》の縁からさがっている。三四郎が見ると、二人の姿が筋かいに見える。

団扇をかざす美禰子の姿は、後に原口さんによって絵に描かれます。二人の姿に見とれる三四郎に、女は近づいてきます。

団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それをかぎながら来る。かぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、目は伏せている。それで三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいととまった。
「これはなんでしょう」と言って、仰向いた。頭の上には大きな椎《しい》の木が、日の目のもらないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水ぎわまで張り出していた。
「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。

1間は、1.8メートル。至近距離まで来た美禰子は、三四郎を一瞥します。

「そう。実はなっていないの」と言いながら、仰向いた顔をもとへもどす、その拍子《ひょうし》に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒目の動く刹那《せつな》を意識した。その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬある物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。

どうですか、この美禰子の破壊力。一瞥しただけで、三四郎を震え上がらせるほどの力は何なのでしょうか。
それは「なんともいえぬある物」と表現されています。
しかも、汽車の女(同宿した女)に「度胸がない」と言われたときの感じに似るそうです。
三四郎を打ち砕いたあの感じ。出会いのこの一瞬で、三四郎の敗北が決まったかのように感じます。
美禰子は、三四郎の言う「現実世界」の権化なのでしょうか。
こののちの、三四郎の美禰子に対するあれこれが、敗者の悪あがきにも見えてしまう、なんとも強烈な出会いです。続きを見ましょう。

 二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。看護婦は先へ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色のなかに、白い薄《すすき》を染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇《ばら》を一つさしている。その薔薇が椎の木陰《こかげ》の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。

美禰子は三四郎の前に、今まで嗅いでいた白い花をわざと落としていく。まるで飢えた犬の前にえさを投げるようなものです。
あるいは、打ち砕かれた三四郎にさらなる一撃を与えたものとでも言えるでしょうか。
気の毒な三四郎は、混乱してしまいます。

三四郎はぼんやりしていた。やがて、小さな声で「矛盾《むじゅん》だ」と言った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目つきが矛盾なのだか、あの女を見て汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二道に矛盾しているのか、または非常にうれしいものに対して恐れをいだくところが矛盾しているのか、――このいなか出の青年には、すべてわからなかった。ただなんだか矛盾であった。
 三四郎は女の落として行った花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いている。

美禰子は一瞬の出会いで、これだけ三四郎に深刻な思索をさせるほどの影響をもたらしています。今後、美禰子の一挙手一投足が三四郎に与えるであろう影響(ダメージ)が明示された場面です。
当然ですが、白い花そのものには何の効果もありません。美禰子が持っていたからこそ、三四郎は拾い上げ、香りを嗅いでみたくなったのです。単なる物体なので、三四郎は池に投げ込みます。

 

続く(予定)

 

マンガで読む名作 三四郎

マンガで読む名作 三四郎