bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

共通テスト国語 第2問小説を国語教師が解いて考えた

共通テスト国語 第2問小説 「庭の男」黒井千次

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前書き

隣家の庭のプレハブ小屋に、男が描かれた看板が立ち、それが気になり始めた「私」

案山子をどけてくれと頼んでいる雀のようだと自身を感じる

 

特異な設定なので、前書きをしっかり確認しておきましょう。

 

形式段落のポイント

1・裏の家の息子に頼んでみたらー妻の示唆 私の側に立ってくれたことに救われ、気持ちが楽になった

・お前は案山子ではないかと言ってやる僅かなゆとりが生まれる

2・しかし所詮空威張りに過ぎぬーそんな焦り

・前にもまして凝視して止まない、男の視線の気配を覚える

・確かめるまで落ち着けない

3・隣に電話をかけ親に看板をどうにかしてもらうという手段

・フェアではないし、親を納得させる自信がない

・除去してくれたとしても、頭のおかしな人間と噂を立てられるのは恐ろしい

4・ある夕暮れ、散歩に出ると隣の少年を見かけ、彼の前に立つ

・少年は怯えた表情で立ち止まり、頭だけ下げ通り過ぎようとした

・「映画の看板かい」―警戒の色

・「素敵な絵、あのオジサンを横に移すか裏返しにするか」

・肩をそびやかす身振りで歩き出そう

・「待ってくれよ、頼んでいるんだから」

・振り返る相手の顔は無表情に近かった

・「もしもさー」

・私を振り切って離れていく

・「ジジイー」

5・吐き捨てるように俯いたまま低く叫ぶ声

・私は立ったまま見送る

6・礼を尽くして頼んでいるつもり

・中学生の餓鬼に無視され、罵られた

・身体の底を殴られたような厭な痛み

・こちらの申し入れが理不尽で、相手の反応は無理もないと考えてみた

・それなら申し入れを拒絶すればよかった、その方が私もまだ救われた

7・無視と捨て台詞に似た罵言は耐え難い

8・妻が寝室に引込んだ後、隣家の庭を窺った

・懐中電灯を灯すと男の顔は昼間より一層生々しい

・「馬鹿奴」―男か、少年か、自分かわからない

・玄関を出た

9・隣の家の裏の庭へ踏み込む

10・目指す小屋の横に出た

11・男はただの板―これではあの餓鬼に言うことが通じなかったとしても無理はない

12・しかし、板に触れると硬質のプラスティックに似た物体、断面は分厚く、裏に金属の補強材、土に埋められても腐ることのないしたたかな男だった

13・持ち合えようとしたが、太い針金でしっかり結ばれていて動かすことを諦めた

・少年の覚悟を認めてやりたい気分がよぎる

 

問1 「~彼の前に立っていた」とあるが、「私」をそのような行動に駆り立てた要因は

適当なものを二つ選ぶ。これを見落とさないようにしましょう。

1少年にどんな疑惑が芽生えるか想像し恐ろしく思っていたが×

2「少年の頭越しのそんな手段はフェアではない」と3段にあるので、これが〇

3「所詮空威張りに過ぎぬ」と2段にあるので×

4私の心理状態の説明として2段にあるが、駆り立てた要因とまでは言えないので×

5「アンバランスな組み合わせがおかしかった」と4段にあるので、「いぶかしく感じていた」が×

6「少年にどう説明すればよいのか見当もつかない」と1段にあるのでこれが〇

 

3,4の選択肢のように、本文に書かれてある内容と同じものは、設問の要求にあてはまるかどうかの判断が必要になり、まぎらわしい。

 

問2 「身体の底を殴られたような厭な痛み」とはどのようなものか

6段から「ひどく後味の悪い夕刻の出来事」「一応礼を尽くして頼んでいるつもり」「それを無視され、罵られたのは身に応えた」

7段から「無視と捨て台詞にも似た罵言~やはり耐え難かった」

これが「私」の心情

1が〇

2「妻にも言えないほどの汚点だと捉えたことによる、深い孤独と屈辱感」が×

3「説得できると見込んでいた歳若い相手」が×

4「少年を増長させてしまった一連の流れ」が×

5「妻の言葉を真に受け」が×

 

2がまぎらわしいので注意

 

問3 「あ奴はあ奴で~よぎった」における「私」の心情

1「共感を覚えたことで、彼を見直したいような気持ち」が×

2「陰ながら応援したいような新たな感情」が×

3「少年が何らかの決意」「その心構えについては受け止めたいような思い」がCの説明になっているので〇

4「受け入れてしまったほうが気が楽になる」が×

5「多少なら歩み寄ってもよいという考え」が×

 

問4 ⅰ少年を示す表現に表れる「私」の心情は

少年に言及した表現を抜き出すと、

裏の家の息子、中学生かそこらの少年、少年、君、相手、彼、中学生の餓鬼、あの餓鬼、あ奴

1「我が子に向けるような親しみ」が×

2「君」「中学生の餓鬼」「あの餓鬼」とあるのでこれが〇

3「つねに『君』と呼んで尊重」が×

4「彼の若さをうらやんでいる」が×

5「彼の年頃を外見から判断」が×

 

ⅱ看板の絵に対する「私」の様子や心情

1「映画の看板」「素敵な絵」「あのオジサン」と変遷しているのでこれが〇

2「プライドを捨てて卑屈に振るまう様子」が×

3「態度を都合よく変えている様子」が×

4「親しみを込めながら『あのオジサン』と呼び直し」「慌てふためいている様子」が×

 

問5 新傾向問題で、ノート部の内容把握が求められます。

ⅰ XとYに入る組み合わせ

X―家の窓から見ていた時の私―「男」を恐れるーアが適切

Y―看板に近づいた時の私―窓から見える男が同一人物とは到底信じがたい、苦笑したー怖くない、みかけだおしーウが適切

したがって、1が〇

 

ⅱ「私」の看板に対する認識の変化や心情

1「大人げなさを感じている」が×

2「自分に危害を加えるようなものではないと理解していた」が×

3「怖さを克服しえた自分に自信を持つことができた」が×

4「心を乱されていた自分に哀れみを感じている」が×

5「自分に滑稽さを感じ」が「苦笑した」と対応しているのでこれが〇

 

まとめ

受験生に中年男性のやや神経症的な心情を読ませ、理解させることに、どんな意味があるのだろうか疑問だ。心情、描写を深く味わえる小説は他にいくらでもあるだろうに。

もっと人生の深いテーマにより添う小説を読ませた方がいいのではないか。単に情報処理能力を問う出題に陥ってないか。

受験生の何人かは、この問題の出題者に対し、「〇〇ジジイ」と内心で叫んだかも知れない。

 

 

 

共通テスト国語 第1問評論を国語教師が解いてみた

共通テスト国語 第1問 評論を解いてみました。

問題文は毎日新聞などでpdfファイルを見ることができます。

以下は画像です。

 

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文章Ⅰ「食べることの哲学」檜垣立哉
形式段落に通し番号を付け、要旨をまとめました

1「食べる」ことと「生」にまつわる議論

動物も人間も、自然のなかでの生き物としてまったく対等な位相にたってしまう

2宮沢賢治「よだかの星」は擬人化がなされ、その感情は人間的

よだかはみなからいじめられ、孤立してしまう

なぜ自分は生きているのか

鷹から自分の存在そのものを否定される

3しかし、よだかは羽虫や甲虫を食べてしまう

なぜ自分のような存在が劣等感を持ちながらも他の生き物を食べて生きていくのか、わからない

4引用(僕は 飢ゑて死なう 遠くの遠くの空の向かふに行ってしまはう)

5羽虫や甲虫を食べることは、食物連鎖上やむをえないこと

よだかは生のどこかに困難を抱えていて、次第に他の生き物を殺して食べるという事実の問いに転化

自分も鷹に食べられる、それなら絶食し、空の彼方に消えてしまおうというはなしに転変

6よだかは最後の力を振り絞り、燃え尽きることで自己の行為を昇華

7食べるという主題ではなく、むしろどうして生きつづけなければならないのかということ

そして無意識に羽虫や甲虫を咀嚼してしまう自分に「せなかがぞっとした」思い

8主題は食べないことの選択つまり断食

9食物連鎖からの解放だけではなく、むしろよだかが羽虫を食べる行為を無意識のうちになしていることに気づき「せなかがぞっとした」思いをもつこと

 

大変おもしろい文章です。取り上げた宮沢賢治の「よだかの星」が秀逸ですね。これは仏教の影響が強い内容です。我が身を捨てることにより、苦悩からの解放、すなわち悟りが得られるという思想です。未読の人は、一読しておきましょう。

 

文章Ⅱ 「食べるとはどういうことか」藤原辰史

1豚肉(あなた)は口に運ばれ、食道を通って胃袋に入り、十二指腸、小腸を旅するあいだ、消化、分解され吸収され、大腸にたどり着く

2大腸では微生物が繊維を発酵させ、便となって肛門からトイレ、下水へ旅をする

3食べ物は時間をかけて徐々に変わっていく。どこまでが食べ物か決めるのは難しい

4二つの見方

5一つ目、人間は「食べて」などいない。食べ物は、口に入る前はすべて生きものであり、人間を通過しているに過ぎない。人間は生命の循環の通過点に過ぎない

6二つ目、循環のプロセスと捉えること。食べものは、次の生きものに生を与えるバトンリレーであり、ずっと食べものであるということ

7二つは似ているところがある

 

これもおもしろい文章です。表現がユニークで、軽妙な?印象を与えます。受験生は読みやすかったでしょう。

 

では、設問を見ていきましょう。

 

問Ⅰ ⅰ漢字

ア 過剰 1 冗長 2 剰余 3 浄化 4 常軌  2が正解

イ 傷  1勧奨 2 鑑賞 3 感傷 4 緩衝 3が正解 これは訓読を音読で探すパターンです。簡単でした。

エ 遂  1類推 2粋  3麻酔 4完遂 4が正解

 

ⅱ異なる意味を持つもの

ウ 襲い  1夜襲 2世襲 3奇襲 4来襲 2が正解

オ 与える 1給与 2贈与 3関与 4授与 3が正解

 

漢字、語意は簡単でした。

 

問2「よだかの思考の展開」をどう捉えているか。

5段落から、「自分の生のどこかに困難を抱えていて、」「他の生き物を殺して食べているという事実の問い」、「自分は何も食べず絶食し、空の彼方へ消えてしまおう」の部分に注目する。

これは選択肢1の「生きる意味が見いだせないままに羽虫や甲虫を殺して食べていることに苦悩し」「現実の世界から消えてしまおうと考える」にそれぞれ対応しているので、正解は1。

2は境遇を悲観し、彼方の世界へ旅立とうが×

3は弱肉強食の関係を嫌悪し、不条理な世界を拒絶しようが×

4は自分の存在自体が疑わしいもとのとなり、新しい世界を目指そうと考えるが×

5は矛盾を解消できず、遠くの世界で再生しようと考えるが×

 

読解ができていれば、難しくない問題です。

 

問3「われわれすべてが共有するものではないか」とはどういうことか。

傍線部Bの直前の「それは」が指すのは、「それでもなお羽虫を食べるという行為を無意識のうちになしていることに気がつき「せなかがぞっとした」思いをもつ」こと。

2番に「意図せずに他者の命を奪って生きていることに気づき」、「強烈な違和感を覚える」とある。これが言い換えになっているので、正解。

1はいつか犠牲になるかもしれないと気づき、自己の無力さに落胆するが×

3は他者の生命に依存していたことに気づき、自己を変えようと覚悟するが×

4は自己の罪深さに動揺するが×

5は知らないまま弱肉強食の世界を支える存在であった、自己の身勝手さに絶望が×

 

7段にも同じ根拠があるので、気づきやすいでしょう。

 

問4 「二つとも似ているところ」とあるが、どういう点で似ているのか。

5段と6段の要旨から、「生命の循環の通過点」という認識が共通しています。

2には「別の生きものへの命の受け渡し」という表現があるので、これが正解。

他の選択肢には「生命の循環」という認識がないので×

 

5段6段の要旨が読み取れていれば難しくありません。

 

問5 文章Ⅱの表現に関する説明

 まったく抵抗できぬまま、たっぷりかけられ、舌になぶられ、わずかな分身に別れを告げ、トイレの中へダイビング、旅をしますなど、比喩(擬人法)の多用と軽妙な説明が特徴でしょう。

この二つの要素に触れている4が正解。

1は心情を印象的に表現が×

2は消化酵素と微生物とが共同して食べものを分解する様子を比喩的に表現が×

3は擬態語を用いて表現が×

5は誇張して表現することで、消化の複雑な過程を鮮明に描いているが×

 

集中力を切らさずに選択肢を吟味しましょう。

 

問6 新傾向の設問が最後に出てきました。これがないと、文章Ⅰと文章Ⅱを組み合わせて読ませた意味がないので、必須問題というところでしょうか。

ⅰ空欄Xに入る最も適当なもの

これは消去法でいきます。

1は一般論×

2は文章Ⅰの9段に「食べるという行為を無意識のうちになしている」とあったので、これが根拠で正解。

3は2の正反対なので×

4は文章Ⅰの9段に「食物連鎖からの解放という事態だけをとりだすのではない」とあるので×。ひっかけ選択肢ですね。

 

ⅱ空欄Yに入る最も適当なもの

これも消去法です。

1は他者の犠牲によってもたらされるよだかの苦悩、自他の生を昇華させる行為は、地球全体の生命活動を円滑に動かすために欠かせない要素が×

2はよだかが飢えて死のうとすることは、生命が本質的には食べてなどいないという指摘に通じるが×

3は地球全体の生命活動を循環させる重要な意味がある、生命がもっている生きることへの衝動(食べる)こそが、循環のプロセスを成り立たせているとあるので正解。

4は食べることによって生じる順列が不可欠であるが×

 

選択肢がややわかりにくいですね。集中力を切らさずに慎重に吟味しましょう。(時間があれば…)

 

まとめ

文章が二つ、それぞれの分量は少ないです。問1から問5までがそれぞれの文章について単独の設問です。問6のみ、二つの文章を関連させた設問となっています。

受験生にとっては、一文の文章量が少なくなり、読みやすかったかもしれません。しかし、深い論理の展開を読解し、思考するという力は問えない設問形式になってしまったと思います。深い論理の展開には、やはりある程度の文章の長さが必要になります。

その意味で、情報処理能力は測ることができる問題ではあったと言えるでしょう。

また別の視点から一つ。

文章Ⅰは評論文で宮沢賢治の小説「よだかの星」を取り上げたものです。これは今年の4月から実施される新学習指導要領で設定された「論理国語」と「文学国語」の区分けに抵触する問題があります。

「論理国語」では文学作品を扱わないという国の指針は、高校現場に大きな波紋を投げかけました。ところが、文章Ⅰでは、文学作品の中にも論理性があることをはからずも示したことになっています。

そもそも、文学と論理とを分けるという発想自体が間違っています。

来年度はさらにどのような問題が出題されるか注目していきます。

 

 

 

 

共通テストの直前に、読んでおくことをおすすめします。共通テスト国語のポイントをまとめました。#共通テスト国語 #大学入試

共通テストが近づいてきました。

昨年に共通テストを解いて記事にしていました。参考になればと思い、再掲します。

 

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初めての共通テストだったので、いろいろと記事にしています。

 

直前ですが、現代文の対策をやりたい人におすすめなのは、河合塾 小池先生のこの本です。

 

 

 

 私は昨年、旧版を買って読みました。旧版は試行問題の分析が載っています。これが秀逸でした。説明がとてもわかりやすく、納得のいくものでした。

この新版は、昨年度の第1回共通テストの問題が載っています。

時間がない人には、初めの分析や対策のページだけでも読むと役に立つと思います。30ページ分くらいかな。

時間に余裕のある人は予想問題をやっておきましょう。

 

昨年の第1回の問題は、センター試験とあまり変わらないものでした。

基本の解き方はセンター試験と同じでいいです。

センターの過去問を解き慣れておくことも大事です。

追記 以下2文(2022.1.5)

ただし、実用的な文章が出題される可能性もあります。今年4月から、新学習指導要領が実施されるので、試行テストのような問題が出されるかもしれません。

 

後は、複数の資料を用いる問題をどうするか。

本文(もとの長い文章)との関連をつかみ、ひもづけすることでしょう。

そこは、情報処理力が求められているのかもしれません。

時間がかかる場合もあるので要注意です。

それらの分析も上記の問題集には書かれているので、一度目を通しておくとよいでしょう。

 

この数年は、大学入試改革で、生徒も教師も振り回されてきましたが、新傾向ということに惑わされず、日頃の勉強の成果をぜひ発揮してください。

 

 

 

 

 

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タブレットを導入した授業のために 高校国語 現代文の授業で試してみた方法です 「富嶽百景」太宰治

来年(2022年度)の高校一年生からは、全員タブレットを使うことになっています。

私が今年の四月から担当している一年生は、全員タブレットを導入しています。

 

授業でタブレットを活用するために、授業用シートを作りました。

教材は、国語総合の現代文、小説教材の「富嶽百景」太宰治です。

教科書は数研出版を使っています。

 

予習用に、穴埋めをする授業シートを作り、グーグルクラスルームで配信しておきます。

原稿は一太郎で作り、Pdfファイルに変換します。

(その際に矢印が変な方向に変わってしまいます。修正方法がわからないので、そのまま載せています。)

 

括弧の中には、おもに登場人物の心情がわかる語句を抜き出すようにしています。

小説の読解では、心情の把握が重要なので、筋を追うよりも心情に注目させます。

 

問いのシートと解答シートを用意して、教室では黒板に貼り付けた白いマグネットシートにプロジェクターでシートを投影します。

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富嶽百景問いシート

問いのシートで本文の読みを進めながら、解答を生徒にあてていきます。

解答シートに切り替えて、確認をします。

この時、生徒にはタブレットのカメラで解答を写してもよいと言ってあります。

ノートを取る手間と時間の短縮のためです。

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富嶽百景解答シート

 

こちらも板書する時間を省けるため、授業をテンポよく、進めることができます。

 

マスクをしているため、生徒の発言が聞き取りにくいことが多くなっています。

生徒の発言を何度も聞き直すのもよくないし、授業の流れも滞るので、あまりあてないで授業を進めるようになりました。

 

その分、授業シートの配信で、予習をしておき、授業ではそれを確認するという流れになってきています。

 

ちなみに、私はヘッドセットのマイクを着用し、小型アンプで音声を拡大しています。マスク着用のため、大声を出さないと生徒に届かないのでは、感染防止の観点から本末転倒ですから。

 

コロナは授業の進め方にも影響しています。

 

問題点

 

私は自分のノートパソコンを持参して、教室に備え付けのプロジェクターにHDMIケーブルで接続しています。

校内のWi-Fi回線には繋がっていないので、その場でグーグルクラスルームを使いたい時は、さらに学校のタブレットを借りて持参します。

 

パソコンとタブレットの二台を設置する時間が結構かかります。前の授業が終わって休憩時間になるとすぐに、教室に行って設置の準備を始めます。

授業が続いてある時は設置と撤収が大変です。

教室にパソコンが設置されていて、常時使えるような体制があれば、もう少し楽になるかもしれません。

 

回線の遅さが…

 

来年からの全国一斉のタブレット使用ですが、学校の回線(県教委)が遅ければ、授業で使うのは厳しいでしょう。

今でも同時に複数クラスがタブレットを使ってWi-Fi回線につないでいると、ほとんど動きません。

新しい機器を導入して教育改革を進めるなら、回線などの整備にもお金を使って欲しいですね。

富嶽百景段落要旨問い.pdf - Google ドライブ

富嶽百景段落要旨解答.pdf - Google ドライブ

映画「サマー・オブ・ソウル」を観て思ったこと

サマー・オブ・ソウル

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往年のソウルミュージックのファンとしては、観ておかないといけない映画だと思い、コロナで観に行くのを自粛していた映画館に、二年ぶりに足を運びました。

 

感想を先にまとめると、音楽映画としては、やや物足りなく80点、ドキュメンタリーとしては、とてもよくできていて満点、というのが結論です。

 

個人的に注目したのは、若いころよく聴いていた、デビット・ラフィン(テンプテーションズ)、グラディスナイト&ザ・ピップス、B・B・キングの三人。

 

この三人のライブシーンは鳥肌が立ちました。なんといっても、プロフェッショナルを感じさせるパフォーマンスがすごい。

デビット・ラッフィンは驚くほど長身で、スリム。ファルセットが魅力的。

グラディスナイトは、初々しさが残る?ルックスがキュート。ピップスのソウルフルなダンスが最高にカッコいい。

B・B・キングは、画面に出てくるだけで、圧倒的な存在感がありました。完璧な歌声とギター演奏。もっと観たかった。

 

この映画では、ゴスペルに焦点が当てられているように感じました。

ゴスペルの比重が高く、出演者や演奏シーンも多かったです。

ステイプル・シンガーズのメイヴィス・ステイプルズが、なぜブルースを弾くのかと疑問を話すシーンがあり、興味深かったです。

ゴスペルは、ブルースを世俗的な音楽として、敵視していたことがあったそうで、それを裏付ける証言としておもしろかったです。

 

ドキュメンタリーとしての視点でいえば、黒人の公民権運動に教会の果たした役割は非常に大きかったため、教会音楽としてのゴスペルをこの映画で取り上げる比重が大きくなったのかもしれません。

 

ニーナ・シモンとスライ&ザ・ファミリー・ストーンが後半で大きく取り上げられていました。

メッセージ性の強いパフォーマンスを披露していて、ドキュメンタリーとしてのまとめに大きく貢献しているように思いました。

個人的には、両者の音楽を今まで聴いてこなかったので、映画の最後に盛り上がるという感動は起きませんでした。

 

6回にわたるフェスティバルということで、この映画に取り上げられなかったミュージシャンが他にもたくさんいたと思います。

1969年当時の黒人音楽シーンを記録し、後世に伝えるという意味で、映画に登場しなかったミュージシャンの映像も、何らかの形で公開、保存されることを期待します。

コロナ禍のモヤモヤが少しは晴れました。最悪の予感 パンデミックとの戦い 早川書房 読了しました

 ツイッターやテレビで流れてくる、コロナ禍のニュースを聞いていると、なぜこんなことができないのかとか、対応が遅すぎとか、フラストレーションがたまりっぱなしになります。

 

そこで、アメリカはこのコロナのパンデミックにどう対応したのかを描いたこの本を読んでみました。

 

日本と同じで、アメリカも連邦政府や州政府が、コロナに対して、対応を誤っていたことがよくわかりました。

アメリカには、CDC と呼ばれる組織があります。以下、ウィキペディアから引用

CDCは1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず人々の健康と安全の保護を主導する立場にあるアメリカ合衆国連邦政府の機関である。健康に関する信頼できる情報の提供と、健康の増進が主目的である。結核など脅威となる疾病には国内外を問わず駆けつけ、調査・対策を講じる上で主導的な役割を果たしている[4]

本センターより勧告される文書は非常に多くの文献やデータの収集結果を元に作成・発表されるため、世界共通ルール(世界標準)と見なされるほどの影響力を持ち、実際に日本・イギリスなどでも参照・活用されている。

私はこの本を読むまで、 CDCは世界最強の感染対策ができる組織だと思っていましたが、全くそうではなかったことがわかりました。

官僚主義、硬直化した組織、非常時に全く対応できない組織。読んでいると、ため息が出ます。日本の役所と一緒じゃないか……

 

本では、政府の中枢には属さない、科学者や専門家の活躍が紹介されています。どうパンデミックに向き合ってきたのか、その姿は、非常に示唆に富んでいます。登場人物が多いため、やや混乱しましたが、彼等の勇気や献身が、社会を支えているのだと確信しました。

 

現場で積み上げてきた知識や、体験を活かし、あるいはたぐいまれな発想で、パンデミックに対応する。彼等の活躍ぶりを読むと、痛快な気分になりました。日本にもこんな人がいて欲しい。

日本でも、マスコミで取り上げられる専門家、医師は多いですが、大きな違いを感じます。

 

アメリカは、コロナウィルスによる感染者数や死者の数で見ると、とてもパンデミックとの戦いに勝利したとは言えないでしょう。しかし、日本も今後の感染状況によっては、厳しい結果になるのではと危惧します。

 

この本を読んで、アメリカも日本と同じで、政府やCDCなどの専門機関が全く機能していなかったことがわかりました。

日本だけじゃなかったのか……これが一番印象に残りました。

 

「失われた時を求めて」の翻訳比べをしました。どの訳が読みやすいか検証してみました。第1巻スワン家のほうへ

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光文社古典新訳文庫

高遠弘美訳

そして、私の思考も、そんな椅子に似た揺籃のようなものではなかったか?外界で生起することを眺める場合でも、私はその中にどっぷりと身を沈めているー私はそう感じた。外界の事物を見ているとき、自分がそれを見ているという意識が私と事物の間に残って、事物そのものを精神の薄い縁飾りで囲んでしまうので、私は事物を構成する素材に直接触れることができなくなる。私が接触する前に、その素材はいわば気化してしまうのだ。濡れた物体に赤熱した物体を近づけても、濡れた部分には直接触れることができないのと同じことだ。間に蒸気の層ができるからである。本を読んでいる間、同時に、私の意識によって広がってゆくー自分自身の最も深い部分に隠された望みから、庭のはずれの、目が届く範囲内で視界に入ってくる外的な光景にいたるまでのーさまざまな状態が織りなす多彩な一種のスクリーンのなかで、もっとも親しいものとして最初から私のなかにあるもの、ドアのノブがドア全体を支配するように、いつも活動しながら残りのすべてを統率しているものは、どんな本であれ、いま読み進めている本が持つ哲学的な豊かさや美しさに対する確信であり、それらを自分のものにしたいという欲求であった。私がその本をコンブレーの、家からは遠すぎて、フランソワーズとしてはカミュの店のようには利用できなかったが、文房具屋や本屋としては食料品屋以上に流行っていたボランジュ食料品店の店先で、両開きのドアにモザイクのように飾られた仮綴じ本や分冊本(それがドアを大聖堂の扉よりずっと神秘的で多くの思想に満ちたものにしていた)に混じって紐で結ばれているのに気がついて買ったのだとしても、それは、先生か、当時の私には、真理と美の秘密を握っていると思われたある友達から、注目すべき本だと言われていたからであって、まだ半ばしか予感できず、半ばは理解できないままのそうした真理や美を知ることこそが、漠然としてはいるが、変わることのない私の思考の目的だったのである。

 

集英社文庫

鈴木道彦訳

そのうえ思考もまた一つの避難所のようなものではなかったろうか?私は外で起こっていることを眺める場合でも、自分がその避難所の奥に深くもぐりこんでいるのを感じていた。外部にある対象を眺めるとき、それを見ているという意識が私と対象のあいだに残っていて、その対象を薄い精神的な縁でかがってしまい、そのためにどうしても私には直接その物質にふれることができなかった。いわばそれは、私がその物質に接触する前に蒸発してしまう。ちょうど濡れた物体に赤熱した物体を近づけても、いつもまず蒸発した気体の膜が先行するために、湿気にはふれ得ないようなものだ。ところで本を読んでいるときの意識は、私自身の内部の最も深いところに隠されている渇望から、目の前の庭のはずれで視界を限られたおよそ外的なものの姿にいたるまで、さまざまな状態を同時にくり広げるのであるが、その状態によって彩られる一種のスクリーンのなかでまず私にとって最も親密なもの、常に活動しながら残りのすべてを支配するハンドルのようなものは、読んでいる本の哲学的な豊かさと美しさとに対する信頼であり、またそれがどんな本であれ、その哲学的な豊かさとその本の美しさとわが物にしようとする願いであった。なるほど私はその本を、コンブレーのボランジュ食料雑貨店の店先で見つけて買ったのかもしれない。この店は家から遠すぎるので、フランソワーズもカミュの店のようにそこまで買いに行くわけにはゆかなかったが、しかし文房具屋や本屋としてもなかなか繁盛している店で、その両開きのドアは、仮綴じ本や分冊本のモザイクに飾られて、大聖堂の入り口よりもいっそう神秘的でいっそう多くの思想がちりばめられているように見えた。たとえこうしたモザイクのなかにこの本が紐でゆわえてあるのを見つけて買ったのだとしても、これに気づいたのは先生や友人が素晴らしい作品だと言っていたからで、そのころの私には、この先生や友人こそ真理と美の秘密を保持しているように見え、私の思考は、なかば予感しながらなかば理解不可能に見えるこの真理と美の秘密を知ることを、ぼんやりとではあるが永遠の目的としていたのである。

 

岩波文庫

吉川一義訳

といっても私の思考こそ、もうひとつの隠れ家と言えるのではないか。私は、その隠れ家の奥にもぐりこんで外のできごとを眺めている気がする。自分の外にある対象を見つめるとき、それを見ているという意識が私と対象のあいだに残り、それが対象に薄い精神の縁飾りをかぶせるため、決して対象の素材にじかに触れることができない。その素材は、いわば触れる前に蒸発してしまうのだ。灼熱した物体を湿った対象に近づけると、その手前に必ず気化ゾーンが生じ、対象の湿り気そのものに触れることができないのと同じである。本を読んでいるあいだ、私の意識がつくる玉虫色のスクリーンには、心の奥底に深く秘めた希求から、庭の向こうの地平線上に見える完全に外的な光景にいたるまで、じつに多様な状態が映し出されていた。まず私のうちに存在したもっとも内密なもの、把手のようにたえず活動して残余のすべてを統御していたささやかなものは、読んでいる本の哲学的豊穣さ、美点にたいする信頼であり、それをわがものとしたいという欲求であり、それはどんな本であろうと変わらなかった。その本は、私がコンブレーのボランジュ食品店の店先で見かけて買い込んだもので、家から遠すぎてカミュの店のようにフランソワーズが買い出しに行けないが文房具と本の品揃えは優れているその店の大聖堂の扉よりはるかに神秘的でさまざまな思索をちりばめた観音開きの両の扉に、モザイク状に並べたパンフレットや雑誌類にまじって紐で結わえつけられていた束のなかにあり、注目すべき本として教師か仲間に推奨されていたのを思い出したのである。推奨してくれた人は、当時の私には真実と美の秘密を掌握している人に思われ、真実と美のなかば予感され、なかば理解不能なところを認識するのが、漠然としているとはいえ永久に変わることのない私の思索の目的と思えたのである。

 

失われた時を求めて 第1巻スワン家のほうへ

 

読書について語る場面です。

内容を箇条書きすると、

自分の思考についてとその比喩

読書中の意識

本を買った店と理由

 

ワープロソフト一太郎の読みやすさを使って調べてみました。

            高遠訳      鈴木訳      吉川訳

総文字数        830文字    893文字    770文字

文数          7文       8文       9文

段落数         1段落      1段落      1段落

平均文長        119文字    112文字    86文字

平均句読点間隔     21文字     25文字     22文字

文字使用数 漢字    30%      26%      30%

      カタカナ  5%       5%       5%

 

吉川訳の総文字数の少なさが目立ちます。多い鈴木訳に対して86%です。

また、平均文長も短く、長い高遠訳に対して72%です。

省エネ?な読書には、吉川訳がおすすめかもしれません。

 

では、実際に読んでみたときのわかりやすさを考えてみます。

*あくまで個人の感想です。

 

高遠訳は、後ろの2文が異様に長く、わかりにくかったです。今回、取り上げた部分の三分の二くらいを2文が占めています。

また、ハイフンや括弧付きの挿入句があって、文の流れが切れるので読みづらく感じました。英語の直訳文を連想しました。

 

鈴木訳は、指示語が多く丁寧な印象があります。

 

吉川訳は、文数が多く、平均文長が短いので、簡潔で読みやすく感じました。

 

「失われた時を求めて」を早く読了するためには吉川訳、原文のニュアンス(?)を味わいながら読むには高遠訳、丁寧な言葉遣いには鈴木訳と言ったところでしょうか。

 

さて、私は、鈴木訳は全巻購入済み、高遠訳も電子書籍で6巻「ゲルマントのほうⅡ」まで購入済みでした。

吉川訳は2巻までしか買っていません。

生きている間に「失われた時を求めて」を読了するという目標のためには、岩波文庫の吉川訳を買い足そうか、悩ましい結論となりました。

初めてのDTM GarageBandで簡単に曲ができる?60からの手習い 2曲目はバラード

調子に乗って、2曲目はバラードです。

パソコンのキーボードでメロディを入力するのが難しかったです。

やはり入力用に専用のキーボードが必要かもしれません。

https://soundcloud.com/tsuneji-sasaki/balladeam

soundcloud.com

初めてのDTM GarageBandで簡単に曲ができる?60からの手習い

GarageBandでループを使って簡単に作曲ができるというので、やってみました。

やり方は、ネットを検索すると、たくさんのサイトがいろいろと指南してくれています。

今回はループを使ったやり方を参考にして、リズムトラックのようなものを作ってみました。

イメージは、大好きなP-Funkです。

60過ぎたジジイでも、かっこいい曲を作ってみたい。

素人には無理、年寄りの冷や水といった声は聞かないようにして、楽しくやりましょう。

 

https://soundcloud.com/tsuneji-sasaki/funkyno1-3

 

soundcloud.com

初めてのDTM GarageBandで簡単に曲ができる?60からの手習い

GarageBandでループを使って簡単に作曲ができるというので、やってみました。

やり方は、ネットを検索すると、たくさんのサイトがいろいろと指南してくれています。

今回はループを使ったやり方を参考にして、リズムトラックのようなものを作ってみました。

イメージは、大好きなP-Funkです。

60過ぎたジジイでも、かっこいい曲を作ってみたい。

素人には無理、年寄りの冷や水といった声は聞かないようにして、楽しくやりましょう。

 

https://soundcloud.com/tsuneji-sasaki/funkyno1-3

 

soundcloud.com