bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析や国語の勉強方法など。みなさんのお役に立てばうれしいです。

珪化木(けいかぼく 植物化石)を探しに行ってきました 

珪化木を探しに行ってきました

 

みなさんは石に興味がありますか?

 

私は珍しい石が好きで、定年前は一人で鉱物や化石の採集に行っていました。

この数年は、ほとんど行けなかったのですが、退職して時間もできて、また採集に行きたくなりました。

 

気になっていた珪化木(植物の化石)を採集したいと思い調べると、加古川で拾えることがわかりました。

 

(「きれいなだけじゃない石図鑑」より)

 

Claude に相談すると、加古川水系の美嚢川がよいという回答でした。

源流が神戸層にあり、植物の化石がよく発見されたからだそうです。

凝灰岩なので、白っぽい石を探すとよいと提案されました。

 

現地に到着

 

 

昨日の雨で川が増水し、川床がほとんど水没しています。

堤防の道から藪漕ぎをして川床に降りました。

 

教えられた白っぽい石は見当たらなくて、茶褐色の石を数個採集しました。

珪化木?ただのチャート?珪質の茶色い石 見識のある方、教えてください

 

車に戻ると服に小さな虫が乗っかっていました。何かはわかりません。

叩いて落とします。マダニでなくてよかった。

 

次の川に移動。

ここには沈下橋があり、その付近の川床に珪化木の痕跡があるという地点です。

岩盤に直径20〜30cmほどの穴が数個空いているのがわかりました

ポットホールという説もあるそうですが、ポットホールとは、

 

ポットホール(甌穴)(おうけつ)

窪みの中に石が入ると水流で石が川床を削り丸い穴になるもの

水面が低くなるとその穴が地表に出て見られる



ここでは橋の上流側にしかなく、下流側の岩盤には全くありません。

珪化木が立っていた跡と考えられるそうです。

大昔、ここにどんな木が立っていたのでしょうか、想像するとおもしろいです。

 

倒木らしき姿をした珪化木がありました。

黒っぽい部分は木が炭化したものでしょうか。

茶褐色の部分も白い岩盤の中で明らかに異質です。

普段はもっと見やすいのでしょうが、増水のため水没しています。



潜水橋から下流方面を眺める



上流の眺め

川床に珪化木の穴が見える

 

別の地点に移動して探して見ました

白い筋が平行に細かく入った石を採集しましたが、

帰宅してみると細かい破片に割れていたので、ただの凝灰岩だったとわかりました。

 

珪化木の見分け方を勉強して、再挑戦したいと思います。

 

 

 

 

東大の小説問題に学ぶ親子関係 仲谷実織「宿雨のあとで」 東京大学 2026年度 前期 文科 国語 第四問 小説

東大の小説問題に学ぶ現代の親子関係 仲谷実織「宿雨のあとで」
東京大学 2026年度 前期 文科 国語 第四問 小説

1

2

3

4

5

6

設問は4問で、すべて「説明せよ」です

 

(一)「クリスマスツリーのようにも見えるそれを、彼女はやがて踏み潰した」ー翔子の心情
・親の転居により有無を言わせず、これまでの環境と人間関係から引き剥がされ、新しい環境になじめないでいる
・翔子は牛舎の匂いや見慣れない草に嫌悪感を抱いている
これらから解答を作成します

 

(二)「彼女ー弥生さんは、目尻に皺を浮かべ、悪戯っぽくほほ笑んだ」ー弥生の気持ち
・手入れが行き届いた他の畑と違って雑草も混じって生えている混沌とした畑に自信を持っている
・犬のアンバーと触れあう翔子なら畑を気に入るだろうと思い、ぜひ見せたいと思っている

(三)「そう答えるわたしの声もはずんだものになっていた」ーなぜか
・授業参観に来ないでといった翔子
・相談した夫の曖昧な笑みと任せるという発言
・思い切って授業参観をさぼり、弥生さんとアンバーに会いにいく提案をした
・驚き喜ぶ翔子の顔を見て自分もその方がよいとうれしくなった

 

(四)「彼女の言葉に思わず翔子を見てしまう」ーなぜか
・弥生さんの、つらいことはやらなくても育つ、手間をかけすぎるとうまくいかないという言葉を、まるで母親から聞かされたかのように翔子の子育てのヒントになると気づく
・翔子への対応の指針を言葉から得たと思う

 

解答例 河合塾の模範解答です

(一)両親の都合で慣れ親しんだ世界を奪われ、新しい環境にもなじめないなか、勢いよく伸びた草にまで苛立ちをぶつけてしまうほど、鬱屈を持て余している。

 

(二)何か事情ありげな少女とその母親に、周囲とは違い作物をのびのびと育成させている混沌とした畑を見せ、二人を驚かせようとした目論見が功を奏し、満足している。

 

(三)母娘とも気乗りしない授業参観に行くよりも、弥生やその飼い犬と畑まで散歩に行くことができれば、閉塞した現状を変えられるのではないかと思ったから。

 

(四)作物に手を加えすぎるとうまくいかないという弥生の言葉を聞き、親の都合や考えで娘がのびのびと育つことを疎外してはいけないのではないかと感じたから。

 

この解答例ほど難しい言葉遣いをしなくても、しっかりと読み取れていれば、十分な解答を作成できると思います。
駿台予備学校の解答例も検索して参考にしてみてください。駿台の方がすっきりした文章になっています。

 

考えたこと

まず、この小説が入試問題としてよかったと思う点を書きます。
・親子関係ー母と娘(さらに「わたし」と母も)という誰しもが持つ普遍的なテーマである
・「わたし」の視点、一人称から見た娘と弥生さん、夫の姿が描かれており、人間関係がつかみやすい
・時代背景は現代と思われ、受験生には身近な題材である
・結末部分が「笑い声」で明るい方向に向かっていると感じられ、読者(受験生)も安心できる

入試問題では、先の戦争や江戸時代など、現代とは異なる時代背景や人間関係の設定の小説が多いようですが、これは読みやすく、読んでいるときの心情の振れ幅も大きくなく冷静に問題に向き合えると思います。
小説問題を解いていて感極まって泣き出しそうになるものもありますから。

これはしっとりとして細やかな描写がすばらしい小説です。

 

次に、二年続けて小説を出題した東大の意図を考えます。
高校では一年生で学ぶ国語は、「現代の国語」と「言語文化」に分かれており、殆どの学校では「現代の国語」で評論と実用的文章を学び、「言語文化」で古文と漢文を学びます。
高校の現場では、評論と古文、漢文を教えるのが精一杯で、小説など文学的な作品を扱う時間が殆どないのが現状です。
さらに専門的な話になりますが、学習指導要領で、「論理国語」と「文学国語」に無理矢理わけているので、小説を学ぶ機会を失っている現在の高校生に対して、小説を出題することで、現行への批判とまではいわなくても、小説の読解を補完する意図があるのではないかと考えます。
そうだとしたら東京大学が入試問題で小説を出題するのも、国語教育には有用な影響を与えているといえるでしょう。

 

京大現代文問題に学ぶ恋愛の本質とは 坂口安吾「恋愛論」 京都大学 2026年度 文系学部 前期 国語 第1問 評論

京大現代文問題に学ぶ恋愛の本質とは

坂口安吾「恋愛論」 京都大学 2026年度 文系学部 前期 国語 第1問 評論

1

2



3

 

4



5




問題文の要旨を形式段落ごとにざっくりとまとめました。

形式段落とは、初めが一文字下がった段落です。

1 日本に渡来した切支丹は神の「愛」を訳す際に苦労した

 日本では愛は不義のニュアンスが強く、愛の字が使えないので、「大切」という語を用いて「神のご大切」と訳した

2 今日の日常の言葉づかいでも愛や恋は生活の地盤に密着しない空しさがある

3 明治以来の日本の言葉は、外来文化に間に合わせた言葉が多く、言葉の意味の違いが不明瞭で、言葉の国の文化の恩恵に与るとは言えない

4 「惚れた」「愛した」と一字の動詞で区別をつけてすましてしまうと、言葉に頼りすぎ、物自体の深い機微や独特な個性的表現を見逃してしまう

5 人は恋愛に雰囲気を空想しすぎている

6 恋愛は一時の幻影で必ず亡び、さめるものと知る大人は不幸だ

7 若い人はそれを知っていても情熱の現実の生命力が知らない

8 「ききおく」程度でよい

9 ほんとうのことはあたりまえすぎて無意味である

10 教訓には二種あり、先人が失敗したからそれをするなというものと、先人が失敗し後人も失敗するが、するなとは言えないものの二つである

11 恋愛は後者で、幻で永遠の恋愛など嘘だとわかっていてもそれをするなとは言えない。人生自体がなくなるようなものだから

12 万葉集、古今集の恋歌は、真情が素朴純粋に吐露され、高度な文学であるという思想が私は嫌いだ

13 (それは)動物の本能、犬や猫が吠え鳴くのと同じで、それが言葉で表現されているだけだ

14 恋すれば眠れなくなり、別れると死ぬほど苦しい、などの恋愛の相は万代不易の真実だが、真実すぎて特にいう必要はない

15 初恋だけでなく恋は常にそういうもので、純情でもなんでもない

16 私たちが恋愛について考えたり小説を書いたりする意味は、こういう心情の当たり前の姿をつきとめることではない

17 人間の生活はめいめいが建設すべきであり、恋愛も同じである。本能の世界から文化を引き出し、めいめいの手で作ることが大事である

18 恋をした苦しみは先祖も子孫も変わりないから文句は言えない

19 二、三年後にはけんかもし、他の面影を宿したりする。何か良い方法はないか考える

20 その解答を私は知らない。私自身だけの解答を探し続けるにすぎない

 

 

問いを見ていきましょう。

いずれも「説明せよ」という問いです。

 

問一 傍線部(1)「愛という語で非常に苦労した」

・切支丹が主語

・愛は日本では不義のニュアンスが強い

・「神の愛」を「神のご大切」と訳した

これらの要素を盛り込んで解答を作成しましょう。

解答例は河合塾と駿台予備校のものを参考に載せておきます。

 

問二(2)「これを称して言葉の国というべきか、われわれの文化がそこから御利益を受けているか、私は大いに疑っている」

傍線部を要素に分けて考えましょう。

・「これを」は明治以来の日本語の問題点。3段の内容から。

・「言葉の国というべきか」「文化がそこから御利益を受けているか」は日本語の伝統文化の恵みを受けていないことを示している

 

問三 (3)「あべこべの不安を感じる」

何と正反対の不安かをまとめる

・「惚れた」「愛す」と使い分けて、たった一字で簡単明瞭に区別がつき日本語は便利だ

正反対

・物自体の深い機微、独特な個性的諸表象を見のがしてしまう

・物自体に即して正確な表現を考える態度をおろそかにしてしまう

 

問四 (4)「ほんとうすぎるから、私はきらいだ」

すぐ後に「あたりまえすぎることは、無意味であるにすぎないのだ」とある

・教訓の二種のうち、「だからするなといえない性質のもの」

・言っても無意味であることを「私はきらいだ」と言う

 

問五 (5)「私たちが、恋愛について、考えたり小説を書いたりする意味」

・人間の生活というものは、めいめいが建設すべきもの

・努力の歴史的な足跡が文化というものを育てあげてきた

・恋愛とても同じこと

・めいめいの手によってこれを作ろうとする

・私自身だけの解答をさがしつづけているにすぎない

 

解答例 河合塾

問一

日本に渡来したキリスト教徒は、神が万物を分け隔てなく純粋に慈しむことを意味する「愛」という語が、日本語ではよこしまな不義に連なる意味をもつために、苦心の末に「大切」という語を用いざるをえなかったということ。 

 

問二

明治以来の日本語は外来文化を摂取し、深く考えもせずに案出された言葉があふれたために、意味の違いを区別できないまま曖昧に言葉を利用して却って苦労を強いられ、言葉の文化伝統に浴することなどできていないという考え。

 

問三

僅かな語で多様な表現ができる日本語の都合のよさに安心してしまって、物事の本質を見極め知るために言葉を正確に用いる訓練がなおざりになっているのではという不安。

 

問四

いずれも必ずそうなるとわかっている人生上の真実は、それを予め知っていたとしても、やはりそれに見舞われ後悔することが自明であるため、教訓としても意味がないから。

 

問五

文筆家が恋愛を主題にする意味は、動物的本能や万古不易な事実を描くことや、万人に通じる答えを導出することではなく、書き手の生活や人生に即した真実を本質的に捉え表現しようとする人間固有の文化的営みだと考えている。

 

 

断っておきますが、こんな高いレベルの解答はプロの予備校講師だからこそ書けるものであって、受験生にはこのレベルの解答が求められるわけではありません。

気になる方は、駿台予備校の解答例を検索して参考にしてください。

 

考えたこと

 

「言霊の幸わう国」という山上憶良の言葉にあるように、日本語は言葉に霊力があり、人々を幸せにすると考えられてきました。

ところが安吾は、明治以降の日本語は言葉の伝統の恩恵に与ってはいないと言います。物自体に即した正確な表現をおろそかにしているという指摘は、作家の鋭い視点だと感心しました。

 

また、安吾は恋愛の本質を「一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ」、それは「ほんとう」のことであり、「あたりまえすぎること」と言います。

身も蓋もない意見です。

ご丁寧に、「二、三年後には、つかみあいの喧嘩もやるし、別の面影を胸に宿したりする」と具体的に描いて見せます。

ただし、「それをしなければ、人生自体がなくなるようなもの」とフォローはしています。

 

失敗するのは決まっているが、やらないわけにはいかないもの、それが私たちの恋愛だという、一種冷めた認識を学び、ああ、やっぱりその通りだった‥となるのが恋愛というもの、人生というものなのでしょう。

 

さて、大学入試の問題からこの真実を学んだ京都大学の受験生たちは、今後どんな恋愛を展開することになるのでしょうか。

大学デビューしようと願っている受験生もいただろうに、大きなお世話だと思いながら解答を懸命に書いたのでしょうか。

 

これが、「大学入学後は恋愛などにうつつを抜かすことなく、学問に励め」というメッセージだとすれば、この安吾の文章を選んだ京都大学の先生は「いけずやわ‥」

 

 

おまけ

 

坂口安吾

「日本文化私観」「堕落論」で形式的伝統を破壊する合理的精神を唱導した

 

新戯作派

自然主義的な本流から見て少数派の傍流であった反俗的な作家たち

太宰治、織田作之助、坂口安吾

 

出典 カラー版 新国語便覧 第一学習社

60代からの趣味 その3 梅の写真を撮ってきました 

花の写真を撮って来ました

西宮北山植物園

 

梅が咲き出したので、西宮北山植物園に花の写真を撮りに行きました。

 

休日の午前中だったので、園内の駐車場も空いていて停めやすかったです。

 

園内の人でも早かったためか少なく、人目を気にせず?撮影に没頭できました。

 

白梅や紅梅、蝋梅がきれい

夢中で撮りました

 

まだシャッタースピードやF値の設定がつかめないので試行錯誤の連続です。

マニュアルで撮影しているので、カメラのダイヤルをカリカリ回すのに疲れました。

オートでカメラに任せるときれいに映るのでしょうが、それなら撮影体験の楽しさが味わえません。

機械を操作している感がおもしろいのです。

 

園内を1時間少々散策するだけで、結構な運動になりました。

きれいな花を見て、山の空気を吸ってリラックスできる、健康にもってこいのカメラ散歩です。

カメラはオリンパス OMD EM5

中古で購入しました

 

60代からの趣味 写真を始めました 続き

「写真を始めました 続き」
写真を撮る楽しさに目覚めた話を前回に書きました。

 

www.bluesoyaji.com

 

今回はその後の展開をまとめました。

その1 中古カメラの収集が癖になる


十数年前の中古カメラを購入して写真を撮ることが楽しいです
新品のカメラが10万から20万円以上するのに対して、いわゆるオールドデジカメは数千円から入手できます。


わたしは1万円から2万円のものを中心に購入しました。YOUTUBEで紹介された「隠れた名機」をネットで購入する、このパターンにはまり込んでいます。
撮影するよりもカメラを収集することの方が楽しくなってしまいました。
あるときふと、買ってから使っていまいカメラを目の前にして、これを使いこなせるまで使っていかないと、カメラに申し訳ない、と思い直しました。十数年以上生き残ってきたカメラだから。

RICOH GX200

その2 カメラ散歩に行くことが増えた
近所の公園や河川敷によく行くようになりました。
休日は家に引きこもりがちで過ごしていたのが、天気を見て、光がまだあるとカメラを持って外出するようになりました。
ときには車で植物園や森林公園にも出かけます。
街中のスナップとは違い、人物(他人)は撮らず、草、花、木、建物などを撮っています。
今まで見過ごしてきたものや風景をじっくり観察し、どう撮ろうかと考えるのが楽しいです。
なんと安上がりな趣味でしょう!機材購入代はかかりましたが…

その3 気に入った写真はインスタに投稿します。
たまに、いいねがつくと、とてもうれしくなり、誰かに見てもらっているということが励みになります。



 

撮影のテクニックは独学で、本と動画、ネット検索で学んでいます。
新しいことを学ぶのはボケ防止にもいいかもしれません。

60代からの趣味 写真を始めました その1

 


60代半ばになって、写真に目覚めました。

きっかけは動画で見たちょっと古いカメラの紹介です。

 

スマホの写真では飽き足らなくなって、自分の好みの写真を自分で写してみたい、

でも、高価な機材は買えないなと思っていました。

動画を見ると、10年以上前のカメラが今でも十分使えるだけでなく、写りの味わいがよく、いわゆるエモい写真も撮れるし、パキパキの写りの写真も撮れることがわかりました。

しかも、中古カメラなら自分でも手が出るお値段の物がほとんどです。

早速、カメラのキタムラとマップカメラの中古品販売のサイトを見る毎日が始まりました。

最初に購入したのは、大人気のRICOH  GR Ⅲの中古です。

これはもう新品が買えないので、予算オーバーでしたが、ネットショップで買いました。

後は十年以上前の古いデジカメを購入しました。

 

写真撮影の基本は、多くの方が動画にしています。自分に合うサイトを見つけて、視聴して、F値やシャッタースピード、ISO感度などを学びました。

 

この趣味を始めて良かった点は、風景の見方がまるで変わったということです。

いわば世界の見え方が変わってしまった点です。

 

光の差し方や当たり方、雑草の緑の色味の違い、目を引く建造物、看板など。

今までまるで意識もしなかった物が目につくようになりました。

これがおもしろい。

これをカメラでどう撮ろうか考えるだけでワクワクします。

 

カメラさえ買っておけば、後はコストがほとんどかかりません。

一人でできる趣味なので、マイペースでやれます。

 

もう一つ、60代には運動がおっくうで、自宅に籠もりがちだったのが、カメラを持って散歩に出かけるようになりました。

楽しい上に健康にも良いって、一石二鳥です。

 

紅葉を写した写真をご覧ください

f:id:bluesoyaji:20251207122214j:image




使用したカメラ

Pnasonic LUMIX  DMCーLX7






大ゴッホ展に行ってきました 神戸市立博物館

神戸市立博物館で開催の大ゴッホ展に行ってきました。

f:id:bluesoyaji:20251016173935j:image

平日で雨だったのがよかったのか、9時半からの入場前に到着すると、行列もなくすんなり入れました。

f:id:bluesoyaji:20251016174123j:image

目当ての夜のカフェテラスは、特別にコーナーが作られていて、しかもカメラ撮影可なので、長く待たないといけないのかと思っていたのに、すぐに見ることができました。

これも平日と雨のおかげでしょうか。

f:id:bluesoyaji:20251016174459j:image

左下のロープの位置で距離感がお分かりでしょうか?

かなり近いです。当然、真正面から写せます。

 

しかし、私は実物を目の前にして舞い上がってしまい、後で写真を見るとどれもピンぼけでした。

 

高級コンデジとミラーレス一眼カメラを用意して撮ったのに、がっかりです。

後で同行者がスマホで撮った写真を見せてもらうと、しっかり撮れていました。

 

カフェテラスを含めて5枚の絵が撮影可能でしたが、他のもピンぼけなので、掲載できません。

カメラの腕を上げないといけないと痛感しました。

 

グッズ売り場も盛況でしたが、特別なミッフィーさんが入荷待ちで残念です。

再入荷したら、スタンプを押した入場券を持って行けば、購入できるようです。

 

夜のカフェテラスを見たときは、胸がいっぱいになりました。

しかし、それだけでなく、何点も心惹かれる絵に出会えて満足しました。

 

f:id:bluesoyaji:20251016174014j:image

f:id:bluesoyaji:20251016181250j:image
f:id:bluesoyaji:20251016181255j:image



 

強くなる本 岡本太郎 を読んで 第2弾

創ることは力

 

創ること、味わうこと

つまり創造するということは、

人間の根源的な情熱だ。

と同時に、瞬間瞬間に

ハリを失っていく現代生活に、

明るい生き甲斐をもたらす

原動力でもあるのである。

 

 

 

 

味わうことも創造だ

 

たとえつまらない作品でも、見た人がすばらしいと感じたら、それはすばらしいのだ。

どんなすばらしい作品でも、つまらないと思ったらつまらない。

だからひとつの作品にはすばらしいということと、つまらないということの二つの面が出てくる。

作品自体は少しも変ってはいないのに。

中略

受け取る側によって作品の存在の根底から問題がくつがえされてしまう。

こうなると作品が傑作だとか駄作だとかいっても、そのようにするのは作家自身ではなく、味わう方の側だということがいえる。

そうすると、鑑賞するということ、味わうということは、実は価値を想像することだという理屈が成立つ。

その元になるものは誰かがつくったとしても、味わうことによって創造に参加するのだ。

だから必ずしも自分で筆を握り絵の具をぬったり、楽器をいじったり、あるいは原稿用紙に字を書きなぐったりしなくても、十分に創造の場というものはあるわけだ。

創造するということはなにも、なにかものをつくりあげることばかりではない。

 

 

 

こどものように絵を描く

 

前半略

ところが「絵」を描くということになると、石膏デッサンだ、花の写生だとわき目もふらない。

それにしち面倒くさい描法の約束ごとがあって、なかなかうまくはいかない。

ギクシャクしているうちに描きたいというみずみずしい衝動のほうが消えてしまってイライラするだけ。

けっきょく、面白くなくなってやめてしまう人が多い。

これは絵の技術についての考え方が、根本的にまちがっているのだ。

端的にいえば、「芸術はうまくあってはいけない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」ということだ。

私はそれが根本的な三原則だと思うのだ。

芸術が職人的なうまさをもっていなければ芸術ではない、という考え方に支配されているからこそ、描いたものが不手際なら、決していい気持ちがしないし、そのために創る意欲さえ失ってしまう。

こどもの絵は決してうまくもなく、きれいでもないにもかかわらず、なにかほほえましく、こちらの気持ちを打ってくる。

それはこどもが、うまく描いてやろうとか、きれいに描いてみよう、心地いいものをつくろうなどという意識をもたず、おていさいなんて考えないからだ。

こどもの素っ裸な心、魂がそのままでいるから楽しいのだ。

なにもこどもに限ることはない。

それはやはり非常に人間的な要素を含んでいる。

われわれにもそれと同じ心の状態がある。

心の中にはどんなに歳をとり苦労してからでも、こどもがいるのだ。

こだわらない気持ちで描けば、必ずなにか溢れるような豊かな直裁な生命感がうち出されるに違いない。

それは当然観るものを同質的に楽しませてくれる。

うまくなくても、きれいでなくても、そういうものが生活の中に入ってくれば、

それは豊かなふくらみとなり、生きがいを感じさせずにはおかない。

 

 

 

 

感想

 

私にはものを創作するということに憧れがあります。

文章だったり、音楽だったり、絵画だったり。

でも、自分は下手だから人に見せるのは恥ずかしい、少し習って上手くなってからにしようなど考えてしまって、結局、なにもやっていません。

 

これは私だけでなく、同じ思いをしている人も多いのではないでしょうか。

芸術、創作、クリエイティブなことなどは才能のある人、プロフェッショナルな人がやることであり、素人の自分には無理なこと、無縁なこと思い込んでしまっています。

 

ところが岡本太郎の考えは全く正反対です。

 

「芸術はうまくあってはいけない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」

と言うのです。

しかも、単なる素人への慰めではなく、

 

「こだわらない気持ちで描けば、必ずなにか溢れるような豊かな直裁な生命感がうち出されるに違いない」

と、積極的にその効能を示してくれています。

 

「うまくなくても、きれいでなくても、そういうものが生活の中に入ってくれば、

それは豊かなふくらみとなり、生きがいを感じさせずにはおかない」

どうです、みなさんも、もう何か描きたくなりませんか?

岡本太郎の言葉の持つエネルギーに触れると、心の中に何かやってみようという活力が溢れてきます。

強くなる本 岡本太郎 を読んで考えたこと

強くなる本 岡本太郎 興陽館

 

決意の凄みを見せてやれ

 

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまってはダメだ。

なければなおいい、今まで世の中で能力とか才能なんて思われていたものを超えた、決意の凄みを見せてやるというつもりでやればいいんだよ。

自分で勝手にあきらめて、無難な道を選んで、そのくせ、もしあのとき諦めずにやりたかったことをやっていれば、なんて一生、恨みったらしく未練を残している。

そんなの、つまらないじゃないか。

個人差なんてない。

人間はやろうと決意するかしないかだ。

それだけで差が出てくるんだ。

 

 

 

思ったこと

 

自分の才能や強みは何か、それを見つけることに四苦八苦したり、自分探しに疲れたりする人もいるでしょう。私自身もそういったことを追求する本を何冊も読みましたが、自分の才能は見つからずじまいです。

そんなとき、この言葉に出会いました。

「決意の凄みを見せてやるというつもりでやればいいんだよ」

「人間はやろうと決意するかしないかだ」

 

本気で向き合おうとしていない、やろうとしていない自分に気付かされます。

後悔を人生に残さないためにも、叱咤激励してくれる言葉だと思いました。

 

 

 

 

やりたいことに賭けるから力がでる

 

自分でやりたいことがあっても、ほとんどの人ができないでいる。

それどころか、自分からやらないようにしてしまっている。

できないんじゃない。

自分でやらないと決めているんだ。

自分には才能がない、自分は能力がないからと。

能力があるかないかなんて、だれにもわからない。

自分を賭けることで力が出てくるのであって、

能力の限界を考えていたら何もできやしないよ。

むしろ能力のない方が素晴らしいんだ、と平気で闘えば、

逆に能力がひらいてくる。

自分に能力がないと思うことは、素晴らしいことなんだ。

 

 

思ったこと

 

こちらの言葉も同じように挑戦できない、やる前に諦めてしまう自分に強く響きました。

才能、能力は誰かが決めるのではなく、自分を賭けることで開けてくるものだ、とにかく行動せよ、挑戦せよと後押しをしてくれます。

岡本太郎の言葉は、少しでもやってみようという気持ちになる、力のある言葉です。

 

今回紹介した2つは読めばスッとわかる内容ですが、他には深い哲学的な省察もあり、何度も読み、思索を深めないと意味を掴めないものもありました。

岡本太郎によると、パリ留学中にソルボンヌ大学に入り、哲学や社会学を本格的に学んだそうです。どうりで思考内容が哲学的で難解なわけです。

 

人生のそれぞれのステージで読み返すべき言葉が綴られている奥深い本でした。

ギフテッドの子を正しく理解し、個性を活かす本 読んで考えたこと


ギフテッドの子を正しく理解し、個性を生かす本

宮尾益知

大和出版

 

本を読んでわかったこと、考えたことをまとめました。

 

ギフテッドとは

・IQ130以上

・好きなことに熱中

・感情抑制が効かず、学校になじめず孤立しがち

・社会の中で他人の心を想像し、自分に惹きつけて考え行動することが苦手

こういった特徴があります。

 

定型発達の子(一般的な発達の子)とギフテッドの違いのポイントは

・TOM(theory of mind 心の理論)

・メンタライゼーション

・メタ認知

 

*TOMとは、他者の心の状態、目的、意図などを推測する直観による心の機能のこと

*メンタライゼーションとは、自分の感情や考え方に照らしながら相手の感情や考え方に共感し、相手の気持ちやなぜこんな行動をとるのかをより深く考えられるようになること

これにより、自分自身を他者の視点から客観的に見ることができるようになる、これがメタ認知

 

定型発達の子は集団生活を通じて14歳くらいまでに自然にメンタライゼーション、メタ認知を獲得する。

一方、ギフテッドはTOMの獲得が遅れてしまうために小学校の集団生活に乗り遅れ、仲間に入れなくなるケースが多い

・TOMが遅れるのは3歳過ぎに先に学習レディネスが発達するため

定型発達の子はTOM獲得後、6歳ごろに学習レディネスを獲得する

*学習レディネスとは、学習の成立にとって必要な前提となる知識や経験、心身の準備性意味する

 

・IQの高さは社会で生き抜く力ではない

・ギフテッドはメンタライぜーションとメタ認知が獲得できない

・大人社会で必要とされるものは、知識とみんなのために活用するスキル

・成功している他者を参照し、自分の課題に地道にチャレンジし続けること

・他者と協力し合いながら自己実現を果たし、社会に貢献すること

これらができて初めてギフテッドの才能は花開き、社会で活躍できるようになる

 

感想

私の場合、自分やわが子がギフテッドだったかもと思っていたが、そう決めつけない方がよいのではと考え直した。もちろん気になる場合は専門家による診断を受けることだが、ギフテッドかどうかの線引きが難しいのではないかと思ったからだ。

いわゆる「グレーゾーン」に当てはまる人もたくさん存在するだろうし、自分もその一人かもしれないと思う。

ギフテッドをそのまま天才的才能の持ち主ととらえるのではなく、自分(わが子)の社会性の獲得と適応に注力するのがよいのではないかと考えた。

ギフテッドの理解とその対応について、わかりやすく書かれた本で、とても参考になった。