bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

『半市場経済』内山節 角川新書 を読んで考えた

 

『半市場経済』
内山節
角川新書


内山節先生の著作を愛読してきた。
働き方について書かれた本とあるのに惹かれて読んでみた。
内容が深く、読後にズシリと重く響いてきたので、何回かに分けて記録しておきたい。

 

神話の終焉
今の日本の若い世代は2つのことを知っている。1つは、経済成長が幸せの基盤ではないことであり、もう一つは、現在の企業社会での労働が人間たちを幸せから遠ざけているということである。

 

今の若者の親の世代がちょうど高度経済成長期に育ち、バブル期に働き出した世代ではないか。
そうであるなら、著者のいう2つのことを理解している親の世代は少ないはず。
経済成長を求め、企業社会で生きることを当然だとしてきた世代。
親子の確執があちこちで起こっていないか?


先進国が富を独占する時代は終わり、それは大学新卒者の4分の1が非正規雇用になる時代、全体の4割近くが非正規雇用になる時代を生み出している。しかも正規雇用の職場でも、ブラック企業というしかないような働き方を強いる企業が広まっている。

 

現在は、高卒の半数が大学に進学をする時代。まずは正規雇用を目指すことになる。新卒一括採用というレースに勝ち残らなければならない。
しかも、ブラック企業が至る所に存在する。電通事件の記憶も生々しい中、一流企業とされてきた会社も中に入るとブラック企業だったということが、充分に起こり得る。
私が今の若者なら本当に悩みこんでしまいそうだ。どうすればいいのか?

 

新しい経済デザインと社会デザインを
振り返ってみると、1960年代から80年代にかけても、戦後的生き方に幸せを感じない人々は存在していた。70年代には「脱サラ」と言う言葉が流行したし、都市を捨てて農業を志す人たちや陶芸などの手仕事を目指す人が生まれてくるのも1970年代である。企業との関係を唯一の「縁」として生きることの鬱陶しさは、この時代にも認識されていた。
中略
しかし今日の様々な動きは、それだけに支えられているのではない。世界史的には先進国の凋落と言う現実がある。雇用や労働の質は劣化し、より多くの消費など不可能な人々も増加してきた。グローバリズムという言葉とともに、経済の部面では市場原理主義が蔓延している。露骨な競争が経済社会を覆い、何のために働くのかもわからなくなってきた。これまでの価値基準で生きようとしても、圧迫感に追いかけられるばかりなのが今日の状況である。それは必然的に、この社会を変えなければ、私たちはどうにもならないところにきているのではないかという思いを人々にいだかせる。

 

長い引用になったが、特に後半のグローバリズム云々は、アメリカのトランプ大統領の選出との関連性を思わせる。


数年前に大学の説明会に参加すると、どの学校もグローバルな人材を育成しますと声高に話していたことを思い出した。私らの世代は、海外留学すると日本の企業には就職出来ないと言われていたので、この変化に違和感を感じた。


グローバリズム=拡大、進化、発展とのイメージだが、間違いだった。
行き詰まり、格差、対立。これが現状か。内山先生は、どう考えているのか。

 

明らかになってきた事は、社会デザインと経済デザイン、自分たちの生き方のデザインは、一体的に構想していかなければいけないということである。

 

内山先生は、難解な内容を平易な言葉で表現される。これが最大の魅力であり、読書の味ともなっている。
次回に続く

 

半市場経済 成長だけでない「共創社会」の時代 (角川新書)