『夏目漱石』を読んで、気になった箇所を引用する。
(一部表記を変えています)
彼は続いて十一年四月には市谷上等小学第八級を卒業、同じ年の十月には神田猿楽町にあった錦華学校小学尋常科第二級後期を卒業するというスピードぶりである。これは当時の学制に飛び級があったためだが、彼がいかに勉強に打ち込んだかを証明するものでもある。いわゆる家族的愛情を受けなかった彼は、その「牢獄」から脱出するために、勉学せざるをえない気持ちに追い立てられていたのだろう。加えて、実家に引き取られたとき、「実家の父にとっての健三は、小さな一個の邪魔者であった。何しにこんな出来損ないが舞い込んできたかという顔つきをした父は、ほとんど子としての待遇を彼に与えなかった」と『道草』にはある。
胸が締め付けられる一節である。
漱石は、家庭的に恵まれない子供時代を過ごした。養父母や実の父から愛情を感じることがなかった。その気持ちを勉強に打ち込むことに向けたというのである。
普通は、投げやりになって逆に勉強しなくなったり、ぐれたりすることが多いだろう。
さすが漱石は違う。感心した。
そして実母の死である。
彼が府立一中を中退し、二松学舎で学んだのはその直後のころである。母の死によって、心を許せる人間はいなくなった。その孤独を癒したい気持ちが、彼を漢詩、漢学に導いたのかもしれない。
彼は気を取り直してまた勉学を始めた。身を立てるためには、大学に入らなければならない、だがそのためには嫌いな英語を学ばなければならない。中学の正則科では英語は学ばなかったからである。言うまでもなく、当時大学は東京大学のみである。
実の父に疎まれ、唯一の愛する母を早くに亡くして、身を立てるため、勉強に励むのである。
大学に行きたいという気持の深さが、現代の高校生たちとは違うように感じた。
芸術で名をなす人は、若い頃の葛藤が成功の原動力になっていることがある。漱石はまさにその例であったことがわかった。
単に秀才だったから、東大に行き、のちに文豪として成功したのではない。
ハートが並の人間とは違う。漱石すごいなと思わせるエピソードである。
英語が嫌いだったというのも興味深い。後に英文学を研究するため、ロンドンに留学するほどの漱石だが、若い頃は苦手克服に努力したことが想像される。
夏目漱石 十川信介 岩波新書