プルーストの「失われた時を求めて」は、二〇世紀を代表する傑作として名高い小説です。
死ぬまでにはぜひ読了したいと長年思ってきました。
現在手に入りやすい翻訳は3種類あります。
そこでどの訳が読みやすいかをくらべてみました。
ちくま文庫 井上究一郎訳は、残念ながら筑摩書房のホームページでは在庫なしになっていました。古書では購入できます。
今回の検討からは除きました。
1 高遠弘美訳 光文社古典新訳文庫
2 鈴木道彦訳 集英社文庫
3 吉川一義訳 岩波文庫
三者の訳文の違いが、読み続けていくことに影響すると考えます。
翻訳された作品を日本語としてみた場合、どれが自分に合っているかを検証しました。
検証方法は、冒頭5ページ分を読んで、どれがすんなりと頭に入ってきたかを判定するというもの。
これは、立命館アジア太平洋大学の学長をされている出口治朗先生の著書「本物の教養」に書かれている方法です。
出口先生は、冒頭の5~10ページを読んで、おもしろくないものは読まないそうです。
希代の読書家として知られる出口先生のやり方をまねさせていただきました。
使用したテキストは、
1の光文社版 2010年9月20日 初版第1刷発行
2の集英社版 2002年12月18日 第1刷 (ただし、抄訳版です。元の1巻が自宅内で行方不明のため)
3の岩波版2012年4月16日 第6刷発行
本文の一部を引用させていただきます。夢の描写の一部で、とくに色気のある部分で比較してみます。イメージしやすいからです。
1光文社古典新訳文庫
高遠弘美訳
自分がまさに味わおうとしていた快楽から生まれた女なのに、私は快楽を与えてくれるのはまさにその女しかいないと考えてしまう。私の体は女の体を通して私自身の感応のほてりを感じ、女の体とひとつになろうとして、目が覚める。
2集英社文庫
鈴木道彦訳
自分があわや味わおうとしていた快楽によって形成された女なのに、彼女の方こそ快楽を提供してくれるのだと、私は想像していた。私の肉体は彼女の肉体のうちに自分自身の体温を感じて、それにぴったり合わさろうとする。そして私は目覚めるのだった。
3岩波文庫
吉川一義訳
いまにも味わおうとする快楽からつくり出された女なのに、その女が私に快感を与えてくれていると想いこむ始末である。身体のほうは、私自身のほてりを女の身体のほてりと感じて、それと一体になろうとするが、そこで目が覚める。

結論を言うと、私には3の岩波文庫版が一番しっくりきました。
腑に落ちる表現というか、頭の中に言葉がすっと入ってくる感じです。
2の集英社版は、原文を尊重しているようで、日本語としては、やや固い印象を受けました。
1は、2と3の中間ぐらいかなと思いました。
これは、あくまで個人の主観による検証なので、参考にもならないでしょうが、ご容赦ください。
冒頭5~10ページで読むか止めるか決めるという方法は、お薦めです。
岩波文庫版全14巻、買わなくっちゃ!