bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

STRAY SHEEP 夏目漱石「三四郎」美禰子と三四郎の出会いについて考えた

美禰子と三四郎の出会い

「三四郎」本文は、青空文庫から引用しました。


三四郎が初めて野々宮さんを理科大学に訪ねていった帰り、池の畔で孤独を感じていると、

活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。――現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。

「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と三四郎に言った、同宿した女の事を思い出していると、美禰子が登場します。

 ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖《がけ》の木立《こだち》で、その後がはでな赤煉瓦《あかれんが》のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇《うちわ》を額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋《たび》の色も目についた。鼻緒《はなお》の色はとにかく草履《ぞうり》をはいていることもわかった。もう一人はまっしろである。これは団扇もなにも持っていない。ただ額に少し皺《しわ》を寄せて、向こう岸からおいかぶさりそうに、高く池の面に枝を伸ばした古木の奥をながめていた。団扇を持った女は少し前へ出ている。白いほうは一足|土堤《どて》の縁からさがっている。三四郎が見ると、二人の姿が筋かいに見える。

団扇をかざす美禰子の姿は、後に原口さんによって絵に描かれます。二人の姿に見とれる三四郎に、女は近づいてきます。

団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それをかぎながら来る。かぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、目は伏せている。それで三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいととまった。
「これはなんでしょう」と言って、仰向いた。頭の上には大きな椎《しい》の木が、日の目のもらないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水ぎわまで張り出していた。
「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。

1間は、1.8メートル。至近距離まで来た美禰子は、三四郎を一瞥します。

「そう。実はなっていないの」と言いながら、仰向いた顔をもとへもどす、その拍子《ひょうし》に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒目の動く刹那《せつな》を意識した。その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬある物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。

どうですか、この美禰子の破壊力。一瞥しただけで、三四郎を震え上がらせるほどの力は何なのでしょうか。
それは「なんともいえぬある物」と表現されています。
しかも、汽車の女(同宿した女)に「度胸がない」と言われたときの感じに似るそうです。
三四郎を打ち砕いたあの感じ。出会いのこの一瞬で、三四郎の敗北が決まったかのように感じます。
美禰子は、三四郎の言う「現実世界」の権化なのでしょうか。
こののちの、三四郎の美禰子に対するあれこれが、敗者の悪あがきにも見えてしまう、なんとも強烈な出会いです。続きを見ましょう。

 二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。看護婦は先へ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色のなかに、白い薄《すすき》を染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇《ばら》を一つさしている。その薔薇が椎の木陰《こかげ》の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。

美禰子は三四郎の前に、今まで嗅いでいた白い花をわざと落としていく。まるで飢えた犬の前にえさを投げるようなものです。
あるいは、打ち砕かれた三四郎にさらなる一撃を与えたものとでも言えるでしょうか。
気の毒な三四郎は、混乱してしまいます。

三四郎はぼんやりしていた。やがて、小さな声で「矛盾《むじゅん》だ」と言った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目つきが矛盾なのだか、あの女を見て汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二道に矛盾しているのか、または非常にうれしいものに対して恐れをいだくところが矛盾しているのか、――このいなか出の青年には、すべてわからなかった。ただなんだか矛盾であった。
 三四郎は女の落として行った花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いている。

美禰子は一瞬の出会いで、これだけ三四郎に深刻な思索をさせるほどの影響をもたらしています。今後、美禰子の一挙手一投足が三四郎に与えるであろう影響(ダメージ)が明示された場面です。
当然ですが、白い花そのものには何の効果もありません。美禰子が持っていたからこそ、三四郎は拾い上げ、香りを嗅いでみたくなったのです。単なる物体なので、三四郎は池に投げ込みます。

 

続く(予定)

 

マンガで読む名作 三四郎

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