大学の運動会を見に出かけた三四郎。見学に来ている美禰子に合うことを期待しています。
審判をしている野々宮さんと談笑する美禰子を遠目に見て、おもしろくないと思って会場から離れます。
そして、美禰子とよし子の目につくように姿を見せた三四郎は、すねたような態度を見せた後、美禰子と二人になりました。よし子は用事で外しています。
三四郎は、美禰子にどんな話をするのでしょうか。
今回は、引用も考察も長文になります。お時間のあるときに、ゆっくり読んでみてください。
本文は青空文庫から引用しました。
三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松《まつ》と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰《こかげ》を指さした。
「あの木を知っていらしって」と言う。
「あれは椎《しい》」
女は笑い出した。
「よく覚えていらっしゃること」
「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」
「ええ」
「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
「違います。これは椎――といった看護婦です」
今度は三四郎が笑い出した。
「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇《うちわ》を持って立っていたのは」
二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角《ひとかど》と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」
「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」
「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」
「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」
「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」
「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」
「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」
「なぜですか」
「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」
三四郎はまた話頭を転じた。
「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」
「会場で?」
「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇《したくちびる》をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。
「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」
三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。
「あなた、原口《はらぐち》さんという画工《えかき》を御存じ?」と聞き直した。
「知りません」
「そう」
「どうかしましたか」
「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」
美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。
美禰子と初めて出会ったのが、会話にある池のそばで、その時のことをよく覚えている三四郎の言葉に美禰子の笑いが出ます。三四郎も笑い出します。
いい雰囲気になってきました。
ところが、美禰子の問いに対し、野々宮のことにこだわり、野々宮の話を続ける三四郎。
女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇《したくちびる》をそらして笑いかけている。
完全に三四郎の心を見透かしています。野々宮さんと美禰子の関係に疑念を持つ三四郎の心を察知して、逆に、絵はがきの返事をくれないのかと問いかけてきます。
絵はがきは、三四郎と美禰子を二匹の羊に模して、二人とも同じように迷える子だと示したものでした。
その美禰子の思いを描いた重要なはがきに、三四郎は返事を出しませんでした。
美禰子は三四郎の返事を期待していたのにです。
不意の問いに対して三四郎はまごつきます。美禰子は何も言いませんでした。
このすれ違いは美禰子に失望を与えたでしょう。
しかも三四郎がこだわる、今日の野々宮さんの行動は、美禰子とよし子に、絵描きの原口さんが二人を絵にしようと狙っているので注意するように伝言したものでした。
これを知った三四郎は、「自分がいかにも愚物のような気がした」と自覚します。
妄想を広げる三四郎の取り越し苦労でした。
もっと正直に自分の気持ちを出せばいいのに、と思うのは現代から見た考えでしょうか。
三四郎には、そうはできない何かがあるのでしょう。
「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」
「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」
三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家《うち》から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。
三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜《かま》、手桶《ておけ》などという世帯《しょたい》道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人《あるじ》から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹《きょうだい》は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。
三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒《はださむ》がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。
よし子の話題は避けなければならないのに、すぐ口にする三四郎。美禰子の立場に立って見ると、いい気がしないのに。
よし子については、以前に「よし子は当て馬か」という文を書いています。ご参考まで。
ここでは野々宮さんが下宿したことの、自分へのメリットとデメリットを考え込んでいます。野々宮さんのことを気にしすぎて、美禰子と正対することができません。美禰子には物足りない三四郎の態度です。
三四郎も女|連《れん》に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶《あいさつ》をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端《はた》を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、
「お兄《あに》いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、
「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。
「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。
学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟《ひっきょう》野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。
戻ってきたよし子との会話から、美禰子が野々宮さんの人物評を語り出します。兄が大好きなよし子は黙って聞いています。
美禰子と野々宮の関係がわかるのでしょうか。
三四郎は美禰子の言葉をどう受け止めたのでしょうか。
三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分《おいわけ》の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄《ぐろう》した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、
「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。
野々宮さんのようなかたは我々の考えじゃわからないと言う美禰子の意図は、三四郎と比較したものではなく、美禰子や三四郎とは次元の違う世界にいて、求めているものが違う、つまり、距離の離れた人だということです。
この発言から考えると、美禰子は、野々宮にたいして、尊敬はするが、愛情は抱いていないようです。
ところが、三四郎は、野々宮を意識しすぎているのか、そうは受け止めません。
「あの女からばかにされている」「恋に自分を愚弄した言葉かもしれない」と気づき、「きょうまで美禰子の自分に対する態度や言葉を悪い意味がつけられる」ように感じるのです。そして「往来のまん中で真っ赤になってうつむいた」のです。
だまされていた、恥をかかされた、悪意が込められていた、と極端な解釈をしてしまいます。
自尊心を傷つけられ、赤面する。
異常な反応だと思いませんか。
心理学的な見立ては私にはわかりませんが、三四郎の常軌を逸した被害者意識、自己中心的な、主観的な解釈、客観的な判断力を失った姿がうかがえます。
これでは美禰子はたまったものではありません。悪意のある女で、三四郎を惑わせ、もてあそぶ悪い女。
そんなイメージが作り上げられてしまいます。
もちろんそれは間違っています。
三四郎は、この「認知のゆがみ」に気づけばよかったのですが、これがこの後、美禰子との決別に繋がっていきます。