京都大学 2025年 前期 国語 理系第二問
佐野洋子「友だちは無駄である」
問題文のあと、設問の解き方、模範解答 感想を掲載しています
設問の解き方
問一
直後の「この人は私のばかなところ、だめなところ、いやなところ、くだらないところを引き受けてくれていたのだ」「この人がいなかったら、私のいやなところ、くだらないところは行き場を失って、私の中にあふれ返って生きてはいけなかったのだ」という二点をまずおさえる
・次に「二人で過ごしたおびただしい無駄な時の流れ、その無駄を吸い上げて、私たちは生きてきた」という箇所から、友人のおかげで私は生きてこれた、ということを読みとる
問二
「立派ではない私」とは「立派な尊敬にあたいする友人」ではなく、短所や嫌な所を隠さず、ありのままの自分をさらけ出せる友人ということ。一般的には残念なエピソードが列挙されていることからそれがわかる。
問三
・「感謝したい気持ち」は直前の文に、「太陽に感謝し、土に感謝する」とあるように「トマト」を実らせるもの、養い育てるものへの感謝である。当然これは友人の比喩になっている。
・傍線2の後の文に「友だちというものは無駄な時をともについやすもの」とあり、傍線3の後には「私は無駄なものが好きだった。すぐには役に立ちそうもないものや、何に使ったらよいかわからないものが好きだったのだ。能率や、成績や進歩に直接関わらないものが好きだったのだ」とある。
・これらから、友人と無駄に思える時間を過ごしたことが、人生に成熟をもたらしたと気づかされたことをまとめる
模範解答
駿台と河合塾の模範解答です
感想
受験生(主に高校三年生)に友だちとは何かを考えさせる文章を出題する大学側に、どういったねらいがあったのでしょうか。考えてみました。
気になる箇所を抜き出すと、
「お金になるわけでもなく、社会的向上に役立つものでもない」
「能率や成績や進歩に直接かかわらないもの」
これらの逆は、功利的な人間関係ということです
「見栄っぱりで、うそつきで派手好きで、かっこばかりつけるばかな奴」
「つき合っているのは時間の無駄」
冒頭のけがした友人に対する私の言葉は、私に跳ね返ってきて、「私のばかなところ、だめなところ、いやなところ、くだらないところを引き受けてくれていたのだ」
つまり、「タイパ」「コスパ」を重視するドライな対人関係とは真逆の、泥臭い、濃密な人間関係が「年月を経て」大事だとわかるというのです。
対人関係の距離感が大きくなり、相手との関係が希薄化する傾向が強まる中で、友人との関係を考え直させる意図があるのでしょう。
京都大学に合格して入学すれば、弱点もいやなところもさらけ出しあえる友人関係を築いてほしいという親心?から出題されたとしたら、受験生のみなさんはどう思いますか?