京大現代文問題に学ぶ恋愛の本質とは
坂口安吾「恋愛論」 京都大学 2026年度 文系学部 前期 国語 第1問 評論





問題文の要旨を形式段落ごとにざっくりとまとめました。
形式段落とは、初めが一文字下がった段落です。
1 日本に渡来した切支丹は神の「愛」を訳す際に苦労した
日本では愛は不義のニュアンスが強く、愛の字が使えないので、「大切」という語を用いて「神のご大切」と訳した
2 今日の日常の言葉づかいでも愛や恋は生活の地盤に密着しない空しさがある
3 明治以来の日本の言葉は、外来文化に間に合わせた言葉が多く、言葉の意味の違いが不明瞭で、言葉の国の文化の恩恵に与るとは言えない
4 「惚れた」「愛した」と一字の動詞で区別をつけてすましてしまうと、言葉に頼りすぎ、物自体の深い機微や独特な個性的表現を見逃してしまう
5 人は恋愛に雰囲気を空想しすぎている
6 恋愛は一時の幻影で必ず亡び、さめるものと知る大人は不幸だ
7 若い人はそれを知っていても情熱の現実の生命力が知らない
8 「ききおく」程度でよい
9 ほんとうのことはあたりまえすぎて無意味である
10 教訓には二種あり、先人が失敗したからそれをするなというものと、先人が失敗し後人も失敗するが、するなとは言えないものの二つである
11 恋愛は後者で、幻で永遠の恋愛など嘘だとわかっていてもそれをするなとは言えない。人生自体がなくなるようなものだから
12 万葉集、古今集の恋歌は、真情が素朴純粋に吐露され、高度な文学であるという思想が私は嫌いだ
13 (それは)動物の本能、犬や猫が吠え鳴くのと同じで、それが言葉で表現されているだけだ
14 恋すれば眠れなくなり、別れると死ぬほど苦しい、などの恋愛の相は万代不易の真実だが、真実すぎて特にいう必要はない
15 初恋だけでなく恋は常にそういうもので、純情でもなんでもない
16 私たちが恋愛について考えたり小説を書いたりする意味は、こういう心情の当たり前の姿をつきとめることではない
17 人間の生活はめいめいが建設すべきであり、恋愛も同じである。本能の世界から文化を引き出し、めいめいの手で作ることが大事である
18 恋をした苦しみは先祖も子孫も変わりないから文句は言えない
19 二、三年後にはけんかもし、他の面影を宿したりする。何か良い方法はないか考える
20 その解答を私は知らない。私自身だけの解答を探し続けるにすぎない
問いを見ていきましょう。
いずれも「説明せよ」という問いです。
問一 傍線部(1)「愛という語で非常に苦労した」
・切支丹が主語
・愛は日本では不義のニュアンスが強い
・「神の愛」を「神のご大切」と訳した
これらの要素を盛り込んで解答を作成しましょう。
解答例は河合塾と駿台予備校のものを参考に載せておきます。
問二(2)「これを称して言葉の国というべきか、われわれの文化がそこから御利益を受けているか、私は大いに疑っている」
傍線部を要素に分けて考えましょう。
・「これを」は明治以来の日本語の問題点。3段の内容から。
・「言葉の国というべきか」「文化がそこから御利益を受けているか」は日本語の伝統文化の恵みを受けていないことを示している
問三 (3)「あべこべの不安を感じる」
何と正反対の不安かをまとめる
・「惚れた」「愛す」と使い分けて、たった一字で簡単明瞭に区別がつき日本語は便利だ
正反対
・物自体の深い機微、独特な個性的諸表象を見のがしてしまう
・物自体に即して正確な表現を考える態度をおろそかにしてしまう
問四 (4)「ほんとうすぎるから、私はきらいだ」
すぐ後に「あたりまえすぎることは、無意味であるにすぎないのだ」とある
・教訓の二種のうち、「だからするなといえない性質のもの」
・言っても無意味であることを「私はきらいだ」と言う
問五 (5)「私たちが、恋愛について、考えたり小説を書いたりする意味」
・人間の生活というものは、めいめいが建設すべきもの
・努力の歴史的な足跡が文化というものを育てあげてきた
・恋愛とても同じこと
・めいめいの手によってこれを作ろうとする
・私自身だけの解答をさがしつづけているにすぎない
解答例 河合塾
問一
日本に渡来したキリスト教徒は、神が万物を分け隔てなく純粋に慈しむことを意味する「愛」という語が、日本語ではよこしまな不義に連なる意味をもつために、苦心の末に「大切」という語を用いざるをえなかったということ。
問二
明治以来の日本語は外来文化を摂取し、深く考えもせずに案出された言葉があふれたために、意味の違いを区別できないまま曖昧に言葉を利用して却って苦労を強いられ、言葉の文化伝統に浴することなどできていないという考え。
問三
僅かな語で多様な表現ができる日本語の都合のよさに安心してしまって、物事の本質を見極め知るために言葉を正確に用いる訓練がなおざりになっているのではという不安。
問四
いずれも必ずそうなるとわかっている人生上の真実は、それを予め知っていたとしても、やはりそれに見舞われ後悔することが自明であるため、教訓としても意味がないから。
問五
文筆家が恋愛を主題にする意味は、動物的本能や万古不易な事実を描くことや、万人に通じる答えを導出することではなく、書き手の生活や人生に即した真実を本質的に捉え表現しようとする人間固有の文化的営みだと考えている。
断っておきますが、こんな高いレベルの解答はプロの予備校講師だからこそ書けるものであって、受験生にはこのレベルの解答が求められるわけではありません。
気になる方は、駿台予備校の解答例を検索して参考にしてください。
考えたこと
「言霊の幸わう国」という山上憶良の言葉にあるように、日本語は言葉に霊力があり、人々を幸せにすると考えられてきました。
ところが安吾は、明治以降の日本語は言葉の伝統の恩恵に与ってはいないと言います。物自体に即した正確な表現をおろそかにしているという指摘は、作家の鋭い視点だと感心しました。
また、安吾は恋愛の本質を「一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ」、それは「ほんとう」のことであり、「あたりまえすぎること」と言います。
身も蓋もない意見です。
ご丁寧に、「二、三年後には、つかみあいの喧嘩もやるし、別の面影を胸に宿したりする」と具体的に描いて見せます。
ただし、「それをしなければ、人生自体がなくなるようなもの」とフォローはしています。
失敗するのは決まっているが、やらないわけにはいかないもの、それが私たちの恋愛だという、一種冷めた認識を学び、ああ、やっぱりその通りだった‥となるのが恋愛というもの、人生というものなのでしょう。
さて、大学入試の問題からこの真実を学んだ京都大学の受験生たちは、今後どんな恋愛を展開することになるのでしょうか。
大学デビューしようと願っている受験生もいただろうに、大きなお世話だと思いながら解答を懸命に書いたのでしょうか。
これが、「大学入学後は恋愛などにうつつを抜かすことなく、学問に励め」というメッセージだとすれば、この安吾の文章を選んだ京都大学の先生は「いけずやわ‥」
おまけ
坂口安吾
「日本文化私観」「堕落論」で形式的伝統を破壊する合理的精神を唱導した
新戯作派
自然主義的な本流から見て少数派の傍流であった反俗的な作家たち
太宰治、織田作之助、坂口安吾
出典 カラー版 新国語便覧 第一学習社