「紙の動物園」ケン・リュウ ハヤカワ文庫
電車の中で読まないでください 涙が止まらなくなるから
ヒューゴー賞・ネビュラ賞・世界幻想文学大賞 3冠に輝いた「紙の動物園」
胸を打ち心を揺さぶる短編集
と文庫の帯に書いてあります。
また大げさなコピーだと思いながら読み始めると、涙があふれ出ました。
枯れてる爺の私にも涙を流させるものは一体何だろう。その疑問を解くために少しばかり読後に分析をしてみました。ネタバレがあります。気にする方は本編を読んでから目を通すことをおすすめします。
「紙の動物園」は一人称「ぼく」の記憶語りで描かれています。
以下に形式段落の要旨をまとめます。番号は私がつけたものです。
1母は泣きやまないぼくを台所に連れて行き包装紙で小さな虎を折る。
2父と母の出会いを父から聞く(高校生のころ)
3母の折る動物たちのエピソード
4新しい家に引っ越す(十歳)近所の女性の偏見にふれる
5近所の子マークとのトラブル。
6学校でのいじめ。母との距離が大きくなる。中国語への嫌悪
7母の入院(大学生、就活中)病室での対話、母の遺言と死
8引っ越しの片付け、ガールフレンドが折り紙の入った箱を見つける
9二年後、ぼくの前に虎の折り紙が現れ、ひざの上でほどけて一枚の紙に。母の筆跡で漢字が書き付けられていた
10ダウンタウンで中国人に手紙を読み上げてもらう。母の波乱に富む人生と息子への思いが綴られていた
11手紙に漢字の「愛」を書き、折り紙の虎に戻して家に向かう。
と、ざっくりとこんな要旨になっています。
なんといってもポイントは10の母の手紙の内容にあります。この小説の「泣かせる」要素が込められているので、分析していきましょう。
母の父母(ぼくの祖父母)は貧農、1966年の文化大革命で迫害され、母は自殺、父は連行され行方不明。母は十歳で孤児になる。香港のおじを頼ろうとするが人身売買の男たちに捕まり密入国して家政婦として売られ6年が過ぎる。助っ人の情報でカタログに載り、それを見たぼくの父と出会い、アメリカ人の妻になる。
孤独な生活。誰も理解してくれない。そこにぼくが生まれ、自分と父母の面影があるのがうれしかった。話し相手ができ、言葉を教えた。折り紙を作り与えた。幸せな暮らしを見つけた。
ところが、次第にぼくは中国人の目、中国人の髪を嫌い、母に話すのをやめた。あらゆるものをもう一度失う気がした。
どうして話しかけてくれないの、息子や
この手紙によってぼくは初めて母の内面の苦悩を知ります。
中国語が母のアイデンティティ、命そのものだったのです。ぼくがそれを拒絶し、母と心が通じあわなくなったのです。
ぼくの立場は、懸命にアメリカに溶け込もうとしたのでしょう。「アメリカ的な幸せ」を追求するために、自分を成り立たせている母の要素を否定したのです。それはある程度うまくいっていました。
一方、中国人としてのアイデンティティを失った母は、重病になり、折り紙に書いた手紙を通して息子に何かを伝えます。そしてそれはおそらく伝わります。(結末で「老虎」と家に向かって歩き出すことでわかります)
まずは経済格差がもたらす悲劇(中国人同士の貧富の差、アメリカ人と中国人)があります。つぎに、歴史(飢饉、文革)に翻弄される庶民の姿があります。人種差別(ぼくに対する学校でのいじめ)、家族関係(父と母は言葉の壁による理解不足、母と息子は、ぼくが中国語を避けて母と口をきかなくなります)
ここに描かれた金の問題、親子関係の問題、社会に適合する問題、これらは大なり小なり誰もが抱える普遍的な問題です。このストーリーを読むことで、読者の抱える問題に何らかの刺激を与える、あるいは隠していたもの、意識下にあるものを揺さぶるのだと思います。
折り紙に命を吹き込んだ母の思いが清明節によみがえり、ぼくに母の愛を伝える、まるでマジックリアリズム的な折り紙のなす奇跡に、心を揺さぶられ、涙を流すのも不思議なこととはいえないのです。