bluesoyaji’s blog

大学入試問題の分析、国語の勉強方法、受験勉強、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。少しでも高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

これも面白い入試問題でした 国語教師が解いた入試問題 今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡知』九州大学 国語 2021年

九州大学 今福龍太「宮沢賢治ーデクノボーの叡知」

形式段落に通し番号をつけました(赤字)

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形式段落の要旨です。

 

1模倣(ミメーシス)能力は人間文化における創造性の根源にあるもの


2ベンヤミン「模倣の能力について」
文字以前の文化は内蔵、星、舞踏を読むことからはじまった
内臓を読むとは、人類が内臓感覚を生命記憶の源泉と意識すること
洞窟壁画という模倣の能力の発露が芸術を生み出した


3ミクロネシアの島民ー星座をもとにした独特の航海術
身体的感覚で星の配置を読み取り方向感覚へ投影する
西欧の占星術ー天体を読み身体や世界イメージへと結びつける感覚的思考法


4舞踏ーミメーシスがもっとも深く探究された
メキシコのヤキ族「鹿の踊り」ー神や精霊と交流し世界を蘇らせる

5宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」ー舞踏的な身体としてはたらくミメーシスの技法を見事に描き出す物語
森の中を飛び跳ねる鹿の所作をダンスとしてまねし、鹿踊りという芸能を創造する
ミメーシスを通じて自然を文化の側へ架橋する

6子供たちの遊びー模倣的な行動様式でつくられてきた

7身体的ミメーシスは森羅万象と自己とのあいだに呪術的・霊的な交感の関係を打ち立てることで達成
模倣の繰り返しの蓄積によって成立した人類文化の最終的な産物が言語
賢治の擬声語や擬態語、手で書かれた文字

8現代のディジタル化した社会ー文字は情報伝達のための記号的符牒にすぎない
宮沢賢治を読むことは、彼の書き付けた文字そのものの模倣性を身体的なミメーシスの感覚でたどりなおす行為

 

解説です。 

この文章は、何もかもを頭(理性)でとらえようとする現代に対するアンチテーゼであり、宮沢賢治の作品を読むことで、模倣の能力、身体感覚を取り戻そうという考えが示されています。

設問は6問とも「説明せよ」となっています。本文がしっかり読み取れていれば、そう難しいことはないでしょう。

ただし、問5は注意です。
「それは具体的には何か」と指示されているので、「具体的」の範囲がどの程度かを考える必要があります。

駿台と河合塾の模範解答を見ると、かなり違っています。「擬声語、擬態語、手書き文字」をあげた河合塾の方が出題者の求める「具体的」に近い解答と思われます。

模範解答のリンクです。

https://www2.sundai.ac.jp/sokuhou/2021/kyu1_kkg1_1.pdf 駿台
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/21/ky1-31a.pdf 河合塾

 

早稲田大学法学部も今年、同じ「宮沢賢治ーデクノボーの叡知」からの出題でした。もちろん使われた部分は異なります。
次年度以降も出題される可能性がありますね。


受験生のみなさんは、今福龍太「宮沢賢治ーデクノボーの叡知」を一読しておきましょう。

 

宮沢賢治 デクノボーの叡知 (新潮選書)

宮沢賢治 デクノボーの叡知 (新潮選書)

 

 

さて、話は変わりますが、4段でメキシコのヤキ族が鹿の頭部を頭にかぶって踊ることと5段の宮沢賢治の「鹿踊りのはじまり」とから、昨年行われたフォートナイトの米津玄師ライブを連想しました。


参考に動画サイトのリンクを貼っておきます。
https://youtu.be/uZWvAsFfB8g 米津玄師がパーティーロイヤルに登場 | フォートナイト公式

 

鹿ではなく、アルバム「STRAY SHEEP」のジャケットイラストの羊を面にして被り、不思議な踊りを踊る米津さんが見られます。

賢治好きで知られる米津さんは、「鹿踊りのはじまり」を確実に読んでいるでしょう。

このメソーシスや自然との交感などを重ねて考えると、米津さんの音楽の特長について、発見があるかもしれません。

「自分の中に毒を持て」 岡本太郎 芸術は爆発だの意味がわかりました

岡本太郎「自分の中に毒を持て」を読んで、印象に残ったことを書きます。

動画サイトで、この本が勧められていたので、読んでみました。

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万博に行ったのは、私が小学校の時。もう五十年前もなのに、太陽の塔の目からライトの光線が二本、夜空を切り裂くように走っていたのを未だに覚えています。

岡本太郎と言えば、太陽の塔と「芸術は爆発だ」と叫ぶテレビコマーシャルが有名ですが、この本を読むと、また違う印象を受けました。

本の内容は大変深く、まるで思想家、哲学者の文章のようです。考えさせられることが多くあり、示唆に富むいい文書です。

ぜひ一読をお勧めします。

 

さて、今回紹介するのは、芸術のあり方を述べた二カ所です。

ほんとうの芸術の呪力は、無目的でありながら人間の全体性、生命の絶対感を回復する強烈な目的を持ち、ひろく他に伝える。無目的的だからこそ。それは言うまでもなく非常にむずかしい。しかし今日こそそれが痛切に要請されるのだ。逃げるようなあり方でなく、生活の中に広いポピュラリティ( 大衆性)を持って入っていくべきだ。それは決して通俗になるのではない。コミュニケーションを拒否する激しいコミュニケーションとして。大衆の中に、あらゆる形で、自由な、また切実な表現をつきつけ、ひらくのだ。

 

「生活の中にポピュラリティを持って入っていくべきだ。それは決して通俗になるのではない」 

芸術と言っても、生活を離れた特別のものではない。かといって通俗でもない。

ここを読んで、米津玄師さんがライブで話していたことを思い出しました。

「自分はポップスで行く。極端な先進でもなく、低俗でもない、中道を目指す」というような趣旨でした。

音楽に対する考えが、上記の岡本太郎と同じ精神だなと思います。

そしてそれを音楽で実践しているのは、すばらしいと思いました。

米津さんは、岡本太郎を読んでいるのではないでしょうか。

 

 

ぼくはエキスポ70にさいして、中心の広場に「 太陽の塔」をつくった。 およそ気どった近代主義ではないし、また日本調とよばれる伝統主義のパターンとも無縁である。逆にそれらを告発する気配を負って、高々とそびえ立たせた。孤独であると同時に、ある時点でのぎりぎりの絶対感を打ち出したつもりだ。それは皮相な、いわゆるコミュニケーションをけとばした姿勢、そのオリジナリティにこそ、一般を強烈にひきつける呪力があったのだ。繰り返して言う。何度でもぼくは強調したいのだ。すべての人が 芸術家としての情熱を己の中に燃えあがらせ、政治を、経済を、芸術的角度、つまり人間の運命から見かえし、激しく、強力に対決しなければならないと。つまり、合理に非合理をつきつけ、目的的思考のなかに無償を爆発させる。あいまいに、ミックスさせることではない。猛烈に対立し、きしみあい、火花を散らす。それによって人間は〝 生きる〟手ごたえを再びつかみとることができるだろう。

「すべての人が 芸術家としての情熱を己の中に燃えあがらせ、政治を、経済を、芸術的角度、つまり人間の運命から見かえし、激しく、強力に対決しなければならないと」

政治と経済だけが重視されて動いている現在の日本の状況に対し、強烈なパンチです。

人間がなおざりにされている今の社会を、変えていくのは、芸術の力だと断言しています。

コロナ禍にあえぐ日本を救うのは、政治家でもなく、経済人でもなく、人間を大事にする芸術である、と言うことでしょう。

大阪では、コロナの流行が強まったとき、太陽の塔がライトでまっ赤に照らされました。

その映像は、不気味で、気が滅入るものでした。

岡本太郎が生きていたなら、こんな使い方をされたことをどう受け止めるでしょうか。

 

 

自分の中に毒を持て<新装版>

自分の中に毒を持て<新装版>

  • 作者:岡本 太郎
  • 発売日: 2018/02/15
  • メディア: Kindle版
 

 

 

 

 

 

 

京都大学の国語は二問目もすごかった 石川淳「すだれ越し」文系国語第二問 随筆

京都大学 2021年 文系 国語 第二問 随筆 石川淳「すだれ越し」

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石川淳は明治32年(1899)〜昭和62年(1987)東京生まれの小説家。36歳で「佳人」を書き、昭和11年「普賢」で芥川賞を受賞、戦時中は一貫して抵抗の姿勢を貫く。戦後は太宰治や坂口安吾とともに無頼派と呼ばれた。小説、評論に独自の世界を展開した。(東京書籍 新総合図説国語を参照しました)


現在の高校国語の教科書では、掲載されているのを見たことがありません。おそらく受験生にとっては初めて読む作家でしょう。


戦中の体験と戦後まもなくの体験が語られた本文は、旧仮名づかいですが読みやすく、読解に困ることはありませんでした。


設問は、5問すべて「説明せよ」です。
解答は、河合塾や駿台のホームページで模範解答を見ることができます。

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/21/k01.html 河合塾

https://www2.sundai.ac.jp/sokuhou/index.html 駿台


今回も私の解答は、駿台の模範解答に近いものとなりました。

駿台は本文の表現を使いながらわかりやすくまとめられています。一方、河合塾は、言い換えがされており、語句もやや難解です。

第一問評論の記事でも書きましたが、こちらは受験生が作成するにはレベルが高いと感じました。

一つだけ気になったのは、問二です。
「あはれなカナリヤもまた雷にうたれた」はどういうことか説明。


カナリヤは、わたしの隣に住む毎朝歌を歌う少女を指します。雷にうたれるとは、その少女が空襲の直撃弾にうたれて死んだことです。予備校の模範解答もこの二点を用いて説明しています。


私はカナリヤの記述から、鉱山で用いられていた、かごの中のカナリアを連想しました。危険を察知するために飼われたカナリアです。
その説明は次の通り。

いわゆる炭鉱のカナリアは、炭鉱においてしばしば発生するメタンや一酸化炭素といった窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報として使用された。本種はつねにさえずっているので、異常発生に先駆けまずは鳴き声が止む。つまり危険の察知を目と耳で確認できる所が重宝され、毒ガス検知に用いられた。(Wikipediaより引用しました)

少女の死は、私にも危険が近づいてくる予兆だったはずですが、わたしは「不吉の前兆のやうにちよつと気になつたが、それもぢきにわすれた」と書かれています。


河合も駿台も模範解答で「炭鉱のカナリア」には触れていませんが、私は、作者が炭鉱のカナリアのイメージを重ねているように思いました。もし、それを書いたなら、答案はどう採点されたでしょうか、気になります。

 

さて、京都大学がこの出典を選んだ理由を考えてみましょう。
推測ですが、三点上げられます。


まず、文章が大変すばらしい点です。旧仮名づかいですが、読みやすく味わいもたっぷりある文章です。


二点目は、戦争を扱っていること。この数年、国公立大学の二次試験では、戦争を題材にしたものが見受けられます。文学作品で戦争に触れ、考えるようにという大学側の思いがあるのでしょう。


三点目、石川淳の作品が、戦時中、反軍国調として発禁処分を受けたこと。時代に迎合しない反骨精神が京都大学っぽくて(?)評価されたのではと思います。

 

この「すだれ越し」は「石川淳随筆集」平凡社ライブラリー 2020年8月出版 に掲載されています。ひょっとすると、問題の作成者は、この書籍を読んで、入試問題への採用を思いついたのかもしれません。

 

私は、石川淳は未読でした。この問題での出会いを機に、石川淳の作品を熟読し、勉強したいと思います。

 

京都大学の国語問題を解いて考えた 2021年 文系 西谷啓治「忘れ得ぬ言葉」

京都大学2021文系国語
第一問 西谷啓治「忘れ得ぬ言葉」

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形式段落の要旨をまとめました。

1京都大学生として下宿していたころ、親しい友人のなかで山崎深造だけは別格でおとなだった


2京都二年目に私はチブスの疑いで入院した。


3山崎は入院に関して万事世話をしてくれた。
退院直後、彼は自分のことばかり話す私におぼっちゃんだなと言った。
その一言が私には忘れ得ぬ言葉となった。
友人への思いがないことに気づくだけでなく、それまでの自分の心の持ち方に気づかされた。


4世間を知っているという自覚があったが、山崎の言葉で彼に実在的に触れたことで、世間に実在的に触れることができた。


5言葉の本源は生身の人間が語るところにある。
書物の言葉は筆者の存在が薄れてくるが、語られた言葉は発した人間と一体となり実在性を持って自分のうちに定着する。

 

6山崎の言葉は思い出す毎に私に近づき、私も彼の奥へ入っていく。
生死や時間を越えて実感を増す。
本当の人間関係は不思議な縁がある。

 

要旨のまとめ
単なる経験、知識だけでは本質的に人間、世間を理解したとはいえない。相手の人間に実感として触れ、その言葉が自分の骨身になるまで定着し、忘れ得ぬ言葉となる。それが本当の人間関係である。

 

解説

出典の西谷啓治は哲学者で、京都大学で教授を務めました。京都学派と呼ばれています(Wikipedia)


随想的な本文の読解は難しくないでしょう。むしろ設問への答え方が難しいと思います。
本文の表現をどれだけ使うか、あるいはすべて言い換えて自分の言葉でまとめるか、悩ましいです。
大学の採点基準がどうなっているのか、うかがい知れませんが、一般的には、記述は自分の言葉で解答を作成するのがよいといわれています。


予備校の模範解答を参照してみました。河合塾は自分の言葉で言い換えてあり、駿台は本文の記述を用いていました。


私が作成した解答を両予備校のものと比べてみると、駿台のものに近かったです。

河合塾のような言い換えはレベルが高く、受験生(高校生)には難しいのではないでしょうか。

もちろん、解答の理想として参考にすべきですが、高校生のみなさんには駿台の解答の方がおすすめです。

 

さて、京都大学がこの文章を読ませるのは、どんな意図があるでしょうか。


1960年、今から60年ほど前に発表された文章ですが、これを現代の私たちが読むとどう感じるでしょう。
現代の私たちは、インターネットやSNSの普及で、知識や友人を得る機会は増えています。
しかし、生身の人間と深く向き合うことは逆に少なくなってきているのではないでしょうか。
子供の時から兄弟も少なく、近所の子たちと触れあう機会も激減しています。
付き合うのもSNSを通して、あるいは、共通の場面だけでは、相手と深い関係を結ぶことはできないでしょう。
あたりさわりのない関係がよしとされるのが現代の特徴かもしれません。


京都大学は、そういった風潮の学生に対し、危機感を抱いていて、この問題文にあるように、忘れ得ぬ言葉を交わすような、人生の転換となるような、濃密で実在的な関係をすすめているのではないでしょうか。
そうすることで、学生が、かつて西谷啓治が経験したような、「人間」や「世間」にふれ、「おとなの段階」に移行することを期待しているのでしょう。
それをお節介ととるか、適切な人生の指針ととるかは受け手次第ですが。

 

あと、仏教の「縁」を二度、言及している点も目につきます。この文章の発想の根幹に仏教の影響が強くあると思われます。

一般的には公立学校の教育では、宗教の扱いは限定的であり、むしろタブーとされています。しかし、知識や教養として宗教を学んでおくことは、こういった文章を理解するためには必要なものかもしれません。

「点・千・面」隈研吾 同志社大学 全学日程文系 国語 2021年 おすすめの評論文です

同志社大学 全学日程文系 国語 2021年を解いてみました

出典「点・千・面」隈研吾

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段落分けをして、要旨をまとめました。

読解の参考にしてください。段落番号は私がつけました。

 
1ヴォリュームの解体
量塊を点・線・面へ、風通しをよくし人とすべてをつなぎ直したい
ヴォリュームとはコンクリート建築
二〇世紀は工業社会、コンクリートの時代であった
ポスト工業社会は木によって表象される社会
国立競技場ー小さな木のピースを組み上げて作る


2コンクリートの時代
コンクリートでインスタントに生成された大きく頑丈なヴォリュームに多くの人間を詰め込む−二〇世紀の基本的ライフスタイル
空調された不自然な密閉空間を幸福と錯覚
戦争と人口爆発ー大量の住宅が必要ー大きなヴォリュームの空間をスピーディに建設するのが時代の要請
コンクリートは商品化し私有を確定しやすい素材


3線の建築
日本の木造建築は線の建築
木材を組み上げ、その間を土壁、障子、襖で埋めて透明でフレキシブルな空間を作る
風通しがよく快適
ル・コルビジューコンクリート建築のチャンピオンは、桂離宮を嫌悪
ミース・ファン・デル・ローエは線の建築家
金属製サッシとガラスを組み合わせ超高層建築
線と面をあらかじめ工場で用意し現場で組み立てる
コンクリートよりもスピーディに大きなヴォリューム
筆者の批判
空間を効率的に閉じることだけ優先
日本の伝統建築のような点・線・面が浮遊する楽しさ、透け感がない
超高層ビルー牢獄にいるような感じ
コーリン・ロウ「実の透明性」「虚の透明性」
虚の透明性ーガラスを使わず、層状の空間構成で見えない空間を暗示する
イタリアのアンドレア・パラディオの建築を賛美
しかし日本の伝統木造建築は言及しなかった


4ヴォリュームから自由になる方法
カンディンスキー「点・線・面ー抽象芸術の基礎」
バウハウスの教育
筆者の高校時代の読書
退屈ー構成主義的思考、点・線・面を用いた分析
二〇世紀初頭の現象学の流れ
ジェームズ・ギブソンー構成という概念を拒絶、肌理を提唱
生物の心理、行動ー環境の構成ではなく、肌理によって決定される
科学的に分析
人間は点や線などの粒子がないと不安ー自分と世界とをつなぐことができない
環境とは点・線・面が作る肌理であると筆者が考えるきっかけ

 

解説

本文はA4サイズで6枚分。かなり長いので、内容で段落を設定して、その要旨をつかむことが必要です。また、人名が多く出てきます。それぞれどんな特徴があるのか、簡単なメモを余白にでも記入しておきましょう。
内容は、論理が明確で、評論文として優れた文章だと思います。入試問題というだけでなく、読解することで読み手の知識や視野が広がる、いい影響を受ける文章です。

単に難解なだけだったり、実用性ばかりを追求して中身の薄いものだったりする文章は、大学入試には不適切です。私はどんな入試問題を出しているかで、大学の知的なレベルがわかると考えています。


さて、設問を解いていきましょう。

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(一)空欄に入る語句を選ぶ問題。
aは「絵画に関する〜な議論、テキスト」が少なく、「数学的タイポロジー(類型学)に吸い寄せられた」とあるので、2の科学的が正解
bは「すべての絵画論が〜でウェットであったことに不満を感じ」とあるので、5の主観的が正解」
簡単です。


(二)これも空欄に入る語句を選ぶ問題。慣用表現です。
アは読後感がおもしろくなかった理由を述べているので、4の鼻についたが正解。
イは現象学が科学を目指しながら、具体的な方法を見出すことができないまま、どうなったかということなので、3の下火になったが正解
これも簡単ですね。


(三)「二〇世紀はコンクリートに時代となった」の説明
問題文2ページの内容を踏まえると正解は4です。
1は人々の幸福を拡大させたが×
2は曖昧さを排除することが人々の幸福であると定義されたが×
3は開放感にあふれたいろいろな種類の幸福があった時代が×
5は隙間を丁寧に埋めていくコンクリートが×


(四)「線の建築」の説明
この設問は要注意です。傍線部B「日本の木造建築は線の建築である」とあるのに対して、「線の建築」の説明を求めています。
「線の建築」は日本の木造建築だけでなく(選択肢1)、ミース・ファン・デル・ローエも「線の建築」家であると筆者は述べています。この説明は4です。
傍線部Bの説明なら正解は1ですが、「線の建築」だけなら4も正解になるという混乱が生じます。
傍線部B全体で考えて1が正解ということでしょう。
2は人々に嫌悪感を与える煩雑な空間が×
3ははっきりと周辺から切断された私有の空間が×
5は組み合わせが原型となった、ガラス張りの超高層建築のような素朴な構成が×
これはとまどう設問です。


(五)「虚の透明性」の説明
コーリン・ロウの提唱した「実の透明性」と「虚の透明性」についての記述は、次の箇所です。
ガラスを使わなくても、層状の空間構成によって、背後に存在する、実際には見えない空間を暗示する方法を、彼は「虚の透明性」と呼び、高く評価した。
1はガラス至上主義に陥った日本建築の透明感が×
2は襖や障子の併用によって醸し出される透明感が気になるが、ロウが日本建築に言及しなかった点は考えに入れずに、広く考えるとこれが正解
3はガラスが使われるはるか以前から存在した知的な構成が、二〇世紀のモダニズム建築で再現されたが×
4襖や障子を使って外光を仄かに受け入れてつくりだされた、十二単のようなが×
5はガラスで作れば透け感があるという単純素朴な考えによって作られたが×


(六)本文の内容に合致するもの二つ
1と5が正解
2はミースが金属製サッシとガラスでの建築なので×
3はバウハウスの教育方法は後に否定されが×
4は人々にさまざまな心理的効果をもたらしたが×
6は逆。アフォーダンス理論の登場で疑似心理学的議論は色あせたので×


(七)「『コンクリートから木へ』が生涯のテーマだと、僕はずっと考え続けてきた」について、「コンクリートから木へ」を説明
「自分のやっていることを一言でまとめると」とあります。冒頭の3行を用いて解答を作成しましょう。
これに気づけば、簡単ですね。

 

感想

東京オリンピック、パラリンピックのために立てられて国立競技場を設計した隈研吾さんの著書からの引用です。


二月末現在で、オリンピックができるのかどうか不透明ですが、どうであれ、国立競技場が興味深い建築であることが、この問題を解いていてわかりました。
建築の世界も深いですね。それに気づかせてくれたよい入試問題と思います。


ちなみにこの出典も、ホームページで取り上げられていました。
リンクはこちらです。
https://realsound.jp/book/2020/05/post-551281.html
隈研吾が語る、20世紀的な建築からの脱却 「新しい時間の捉え方が必要なのかも」

 

大学入試の出題者は、話題になっている本をネットで探す傾向があるようです。受験生のみなさんは注目しておきましょう。

福田恆存「一匹と九十九匹とーひとつの反時代的考察」 慶應義塾大学法学部 2021年論述力問題を解いて考えた これってSTRAYSHEEP?

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慶應義塾大学法学部 論述力 2021年

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問題は河合塾のサイトから引用しました

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/21/k12.html

 

 

数字は形式段落の通し番号です。

各段落で重要な箇所を引用しました。

表記を現代仮名遣いに直してあります。

 

1ぼくはぼく自身の内部において政治と文学とを截然と区別するようにつとめてきた。
「なんじらのうちたれか、百匹の羊をもたんに、もしその一匹を失はば、九十九匹を野におき、失せたるものを見いだすまではたずねざらんや」(ルカ伝第十五章)

一度も罪を犯したことのないものよりも罪を犯してふたたび神のもとにもどってきたものに、より大きな愛情を持って対するクリスト者の態度を説いたもの
2このことばこそ政治と文学との差異を恐らく人類最初に感取した精神のそれである
九十九匹を救えても、残りの一匹においてその無力を暴露するならば、政治とはいったいなにものであるかーイエスはそう反問している。
もし文学もーいや、文学にしてなおこの失せたる一匹を無視するとしたならば、その一匹はいったいなにによって救われようか。
3善き政治はおのれの限界を意識して、失せたる一匹の救いを文学に期待する。が、悪しき政治は文学を動員しておのれにつかえしめ、文学者にもまた一匹の無視を強要する。
それが政治である以上、そこにはかならず失せたる一匹が残存する。文学者たるものはおのれ自身のうちにこの一匹の失意と疑惑と苦痛と迷いとを体感していなければならない。
4この一匹の救いにかれは一切か無かを賭けているのである。なぜなら政治の見のがしてきた一匹を救い取ることができたならば、かれはすべてを救うことができるのである。

善き文学と悪しき文学との別は、この一匹をどこに見いだすかによってきまるのである。一流の文学はつねにそれを九十九匹のそとに見てきた。が、二流の文学はこの一匹をたずねて九十九匹のあいだをうろついている。

ひとびとは悪しき政治に見すてられた九十匹に目くらみ、真に迷える一匹の所在を見うしなう。これをよく識別しうるものはすぐれた精神のみである。なぜなら、かれは自分自身のうちにその一匹の所在を感じているがゆえに、これを他のもののうちに見失うはずがない。

5ぼくたちの文学の薄弱さは、失せたる一匹を自己のうちの最後のぎりぎりのところで見ていなかったーいや、そこまで純粋においこまれることを知らなかった国民の悲しさであった。

が、彼らの下降しえた自己のうちの最後の地点は、彼等に関するかぎり最後のものでありながら、なおよく人間性の底をついてはいなかった。なぜであるかーいうまでもない、悪しき政治がそれ自身の負うべき負荷を文学に負わせていたからである。

6ぼくが今まで述べてきた文学と政治との対立の底には、じつは個人と社会との対立がひそんでいるのである。

そして現代の風潮は、その左翼と右翼とのいずれを問わず、社会の名において個人を抹殺しようともくろんでいる。

7個人は社会的なものをとおして以外に、それ自身の価値を、それ自身の世界をもつことを許されない。社会は個人をその残余としてみとめず、矛盾対立するものとして拒否するのである。

8ひとびとはあらゆる個人的価値の底にエゴイズムを見、それゆえに個人は社会の前に羞恥する。

社会正義という観念の流行にもかかわらず、現実は醜悪な自我の赤裸々な闘争の場となっているではないか、いや、なお悪いことに、あらゆる社会正義の裏口からエゴイズムがそっとひとしれずしのびこんでいる。

9政治と文化との一致、社会と個人との融合ということがぼくたちの理想であることーそのことはあたかも水を得るために水素と酸素との化合を必要とするということほど、すでに懐疑の余地のない厳然たる事実である。

問題はその方法である。その理想を招来するための政治や文学の在り方、社会や個人の在りかたが問題なのである。ぼくは両者の完全な一致を夢見るがゆえに、その截然たる区別を主張する。

10ぼくたちは見うしなわれたる一匹のゆくえをたずねて歩かねばならぬであろう。

そしてみずからがその一匹であり、みずからのうちにその一匹を所有するもののみが、文学者の名にあたいするのである。

 

要約

 

百匹の羊のうち一匹をうしなえば、その一匹を探すのがイエスの教えである。

政治と文学との差異も同じで、政治では救えない一匹を救うのは文学である。

しかし、近代日本文学は、一匹に向き合えなかった。個人と社会の対立が潜んでいる。

社会正義のもと、個人のエゴイズムは排除され、個人は社会から抹殺される。

政治と文化との一致、個人と社会の融合のために、その厳然たる区別が必要だ。

 

設問

「個人と社会の緊張と対立について、あなたの考えを具体的に論じなさい」となっています。

 

最近の問題で思いつくものをあげてみます。

・コロナ禍の自粛と経済問題

・貧困、貧富の格差問題

・生活保護などセーフティネットの問題

・自己責任論

・政治家の忖度、責任回避問題

・マスコミ報道の問題

・原発事故による故郷喪失の問題

いずれの問題も、現代の日本社会が九十九匹どころか、わずかの羊しか救っていないこを示しています。

一匹を救うことの意味をしっかり考えて、具体的に意見を述べましょう。

 

河合塾のサイトに解答例が掲載されています。(冒頭のリンクを参照)

 

 

感想

なかなかの難問です。

読解が難しい。今の高校生が福田恆存の文章に触れる機会は皆無でしょう。教科書はもちろん、問題集、参考書に掲載されているのを見たことがありません。

三十数年、高校教師をしている私でも、福田恆存の名前と顔写真ぐらいしか知りませんでした。

1947年発表のこの文章を読ませる慶應義塾大学の意図は、どこにあるのでしょう。

さすが慶應義塾大学としか言いようがありません。この問題を読解して論述する力のある人は、相当優秀でしょうね。私が高校生だったら、即撃沈です。

未来の日本を開いていくであろう人材に期待しましょう。

 

さて、もう一つ気になったことがあるので、書いておきます。

冒頭に引用されている「一匹の羊」の話は、いうならばSTRAYSHEEPストレイシープ、迷える羊のことですね。

ストレイシープといえば、漱石の三四郎で有名ですが、今は、米津玄師さんのアルバムタイトルとしても知られています。

米津さんは、ひょっとしたら、この福田恆存と同じ考えでないのかと思いました。

今の日本の政治で救えない一人を音楽で救おうと考えているのではないでしょうか。

 

そういえば、米津さんのライブに行ったとき、米津さんが今までのファンを一人もこぼさずにやっていきたいという話をされていました。

今から思えば、一匹の羊と通じる話です。

 

さすが米津さん。宮沢賢治や中原中也だけでなく、福田恆存まで読んでいたとしたら、空恐ろしい人ですね。

 

 

 

高校教師が解いてみた 2021年 早稲田大学法学部 国語 第3問 今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡知』

コロナ禍での大学入試が行われている中、2021年の早稲田大学の問題が興味深かったので、解いてみました。 

第3問 今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡知』からの出題です。

 

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形式段落に通し番号をつけると、8段落になります。

それぞれの段落で、重要と思われる部分を抜き出しました。

読解の参考にしてください。

そして、設問への解き方を簡単に解説しました。参考にしてください。

 

各段落の重要箇所

 

1〜3は筆者の体験と考察
4〜8はフォークナーの小説「熊」の考察

1野生の熊に出くわした体験ーカナダと北海道
 恐ろしい獣への畏怖というよりは、むしろ不思議な昂ぶりのような感覚
 自らが失ってしまった「野生」との繋がりを深い記憶の底からさぐりだし、かつてありえた森羅万象との「一体化」の夢を熊に託していた
 人間の本源的な感覚意識の重要な部分に触れてくる、特別の喚起力をもった生き物


2人里に現れる熊の増加ー奥山と里山との関係の変化
 人の気配がなくなった中山間地域に警戒心を解いた熊が出入りするようになった
 「害獣」として認識されるようにさえなってしまい
 aを持続してきた人類の長い歴史が、いま大きな転換期にある


3人間にとってどのような存在だったのか
 人間が、おのれの自然的存在の根源について思考しようとしたときに現れるものが熊であったとすれば、熊を害獣として、あるいは危険生物として撃退するような発想は、人間という存在の本質をも否定してしまうことにつながりかねない


4ウィリアム・フォークナーの小説「熊」
 狩猟を通じて行われる一人の若者の精神形成を描いた、謙虚さと勇気の獲得をめぐる「教養小説」の姿をとっていますが、ほんとうは野生動物と人間とのあいだの深い交感と厳格な掟をめぐる哲学的な主題を持った作品なのではないか


5少年は、近代的な搾取者としての猟師であることから離れ、より深い自然との融合の場へと参入していく


6熊が死ぬと人も死ぬ。それは、つまり原生林の掟の中で生きる生命すべてが、連続した一つの命脈によってつながっていることを示唆しています。
自他融合の中の高次の理法を知ること
知らず知らず人間中心主義に染まった道徳観念を打ち立ててしまった私たち


7太古からの自然の摂理、この「森の掟」についての物語


8「古の野生」そのものの不可侵にして深遠な存在が、暗示されています
しかし、…「破砕と破壊の回廊」のなかを凶暴な獣として駆け抜けるほかなかったのです。
アイク少年は、…破壊の歴史を、インディアンと黒人という虐げられた者たちが持つ深い叡知を通じて、自らの内面においてすでに抱き取っていたのでした。

 

設問を見ていきます

問十三 漢字の書き取り
A峡谷 「狭い」と間違いやすい
B火急 火が燃え上広がるように急なこと

Bの火急がわかりにくいかもしれません。

 

問十四 「釘付けになった」の意味
 「目が」とセットで「目が釘付けになる」となって、美しさに心が引かれる、の意味になります。

これは簡単。


問十五 「不思議な昂ぶりのような感覚」の説明
傍線部2の次の行に「自らが失ってしまった『野生』との繋がりを深い記憶の底からさぐりだし、かつてありえた森羅万象との『一体化』の夢を、熊に託していたのかもしれません」とあります。
これを踏まえると、
イは「自分もそうありたいというあこがれの気持ちを〜」が×
ロは「文明化する以前の人間の生の痕跡があることを実感し、」が○、「言い知れぬ喜びがこみ上げてきた」が「昂ぶりのような感覚」とも解釈できるので、これが正解。
ハは「信仰の対象ともなっていた」「満ち足りた思いを感じていた」が×
ニは「ふてぶてしさにたじろぎながらも」「その『熊』に立ち向かうために〜」が×
ホは「わが物顔に闊歩する『野生の熊』の荒々しい様子」が×

 

問十六 aにあてはまる語句
2段落では、奥山が生息域であった熊が、近年里山にえさを求めて出入りするようになった。人間は害獣とと見なすようになったとあります。これを踏まえて
イ深い共棲の関係が○
ロ都市と農村が×
ハ恩恵に依存するが×
ニ一方的に搾取が×
ホ信仰と文化が×

これも簡単。

 

問十七 「熊を害獣として、あるいは危険生物として撃退するような発想は、人間という存在の本質をも否定してしまうことにつながりかねない」について、人間と熊との関係の説明として適切でないものを二つ選ぶ。
イ「森の主」として、君臨し、恐れられた存在が×
ニ山間部の奥地にまで人間の開発の手が伸びたことで、熊たちは本来の生息地を奪われが×
ロ、ハ、ニはいずれも本文の記述と一致する。
したがって適切でないものはイ、ニが正解

 

問十八 b、cにあてはまる語句の組み合わせ
5段落 bを撃つことではなく、過去から伝えられた自然という大いなるcを受けとめようとするアイク。
こうして少年は、近代的な搾取者としての猟師であることから離れ、より深い自然との融合の場へと参入していくのです
とあります。これを踏まえて、
bに入るのは、イ、動物 ニ、獲物。cはイ資源は×、ニ遺産は○。したがってニが正解

 

問十九 「フォークナーが『熊』で描こうとした真のもの」の説明
イは「たった一人で『オールド・ベン』に立ち向かっていく様子を描くことで」が×
ロは「他ならぬ自らの手で葬り去ろうと決意していた」が×
ハは「近代文明との戦いに敗れ去っていく『オールド・ベン』の姿を見つめる」が×
ニは「自然と共に生きる世界を作り上げてきた先駆者たちの労苦を描くことで」が×
ホは「野生の中で生きる術を決定的に失った人間の悲劇が象徴的に表現された」が○。これが正解

 

問二十 問題文の構成や表現の説明
イは「自然環境に関する一般的な理解を否定する根拠として」が×
ロは「後半部で批判することにより」が×
ハは「表現を工夫しながら思考を深めていくさまを確認することができる」が×
ニは「文学的な想像力の広がりの方を優先することで」が×
ホは3段落「熊から人は何を学んできたのか。これらの問いは、いまこそ考えてみるに足るカキュウの問いであるように私には思われます」、4段落「ほんとうは野生動物と人間とのあいだの深い交感と厳格な掟をめぐる哲学的な主題」、8段落「原生の森もまた『時代錯誤』というべき人間たちの長年にわたる所業によって侵略され続け」などから、これが正解

ハが紛らわしい。

 

出典の『宮沢賢治 デクノボーの叡知』を調べてみると、次のホームページを見つけました。

 

「考える人」というサイト

「宮沢賢治の気流に吹かれて」という題名で

今福龍太×真木悠介の対談が掲載されています。

https://kangaeruhito.jp/interview/18624

この「考える人」というサイトは注目しておくといいでしょう。

大学入試の出題者は、このサイトから出典を選んでいるように思われるからです。

あくまで憶測です。

 

源氏物語 現代語訳 話題の角田光代訳を与謝野晶子訳、谷崎潤一郎訳と比べてみました

長編小説で読了が難しい作品と言えば、「失われた時を求めて」ですが、我が国の傑作古典「源氏物語」も読了が難しいです。

 

www.bluesoyaji.com

 

長年、国語教師をしていますが、何度も読了に挑戦したものの、できませんでした。

そこで考えたのが、現代語訳ならいけるのではないかと言うことです。

今、話題の角田光代訳を購入し、読み始めてみると、これがすらすら読めてしまうのです。

 

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源氏物語 上 角田光代訳 河出書房新社

 

そこで、持っている与謝野晶子訳と谷崎潤一郎訳との比較をしてみました。

選んだのは「夕顔」の廃院の怪奇場面です。

みなさんも読み比べてみてください。

 

 

角田光代訳

 日が暮れてしばらくたった頃である。うとうととまどろむ光君の枕元に、うつくしい女が座っている。
「こんなにもあなたをお慕いしている私には思いもかけてくださらないのに、こんななんということのない女をここに連れこんでかわいがっていらっしゃるなんて……。あんまりです」と言い、女は、光君のそばに寝ている女を掻き起こそうとする。何かに襲われるような気が しては っと目を覚ますと、灯も消えていた。光君はぞっとして、太刀を引き抜いて魔除けのために枕元に置き、右近を起こす。右近もおそろしく思っていたようで、すぐに近くに来た。
「渡殿にいる宿直の男を起こして、紙燭をつけて持ってくるよう言ってくれ」と光君は言うが「こんなに暗いなか、とても行けません」と答える。
「子どもっぽいことを言うね」と光君は笑い、手を叩く。その音がこだまになって奥から不気味に返ってくる。

 

与謝野晶子訳

 十時過ぎに少し寝入った源氏は枕の所に美しい女がすわっているのを見た。
「私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、私を愛さないで、こんな平凡な人をつれていらっしって愛撫なさるのはあまりにひどい。恨めしい方」
 と言って横にいる女に手をかけて起こそうとする。こんな光景を見た。苦しい襲われた気持ちになって、すぐ起きると、その時に灯が消えた。不気味なので、太刀を引き抜いて枕もとに置いて、それから右近を起こした。右近も恐ろしくてならぬというふうで近くへ出て来た。
「渡殿にいる宿直の人を起こして、蝋燭をつけて来るように言うがいい」
「どうしてそんな所へまで参れるものでございますか、暗うて」
「子供らしいじゃないか」
 笑って源氏が手をたたくとそれが反響になった。限りない気味悪さである。

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谷崎潤一郎訳

 宵が過ぎた頃しばらくとろとろとなさいますと、おん枕上にたいそう美しい女がすわっていて、「めでたいお方よと存じ上げて、こんなにお慕い申している私を構って下さらないで、何の見どころもないこのような人をお連れなされて、御寵愛なさるとは、口惜しくも腹立たしゅう」と言いながら、お側の女君を揺り起そうとすると御覧になります。ものにおそわれた心地がして、驚いて眼をおさましになりますと、燈火も消えています。何だか厭な気持がなさるので、太刀を引き抜いてお置きなされて、右近をお起しになります。と、これも怯えているらしい様子で、寄り添って来ます。「渡殿にいる宿直人を起して 紙燭をつけて参れと申せ」と仰せになりますと、「どうして参れましょう、こんなに暗うございますのに」と言いますので、「何だ、子供らしい」とお笑いなされて、手をお叩きになりますと、山彦の答える声が、たいそう無気味に響きます。

 

一太郎の文書校正の読みやすさで調べてみました。

 

角田光代

与謝野晶子

谷崎潤一郎

総文字数

369文字

336文字

387文字

文数

10文

13文

5文

段落数

4段落

7段落

1段落

平均文長

37文字

26文字

77文字

平均句読点間隔

17文字

15文字

14文字

文字使用率 漢字

23%

27%

25%

文字使用率 カタカナ

0%

0%

0%

 

 

角田さんの訳の数値は、ちょうど与謝野晶子と谷崎潤一郎の中間くらいの結果になりました。

与謝野晶子は現代的、谷崎潤一郎は古典的な特徴があります。 

角田さんの訳も与謝野晶子と同じように敬語を使っていません。その文、すんなりと読めます。

谷崎は、わざと古文に寄せているので、敬語も使っているし、一文が長いですね。それが持ち味です。

どれが読みやすいかは個人の好みがありますが、高校生に勧めるなら、角田光代訳です。

みなさんも角田光代訳で源氏物語の読了に挑戦してみませんか?

人生の最後の日までには読み終えたい小説ナンバー1「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 読了に挑戦しよう

プルーストの「失われた時を求めて」の読書がはかどらないので、集英社から出ている抄訳版で読んでみようと思いつきました。

改めてこの長編小説の読書に挑戦しています。

 

まずは、有名なマドレーヌの場面に行きついたので、じっくり読んでみました。

 

集英社文庫 抄訳版 マルセル・プルースト 失われた時を求めて  鈴木道彦・編訳

 

第一篇 スワン家の方へ 

集英社文庫 抄訳版  p72~p81まで

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「プチット・マドレーヌ」

 

有名なマドレーヌの記憶の場面です。

 

概略です。

・夜中に目覚め、コンブレーを思う

私の家の一部、舞台装置のよう

他の記憶は死んでいたー私たちの死があるのでのんびり待っていられない

・ケルト人の信仰

死んだ物の魂は動物、植物、無生物のなかにとらえられている

木のそばを通りかかったり、封じ込めた物を手に入れるまで失われたまま

その日になると、魂は私たちを呼び求め、こちらがわかると魂は帰ってきていっしょに生きる

・私たちの過去も同様

過去は知性の届かないところで予想もしない品物のなかに潜む→(マドレーヌの話への布石)

・ある冬の日、帰宅した私に母が紅茶を勧める

私は無意識にお茶に浸したマドレーヌをひと切れ口にする

私の内部で異常なことがおこる

原因不明の快感、力強い喜び

紅茶のなかでなく、私のうちにある

精神に向き直る

イメージー思い出 何度もやり直す

・一気に思い出があらわれる

コンブレーで叔母がお茶に浸して出してくれた

マドレーヌの味ー匂いと味だけが魂のように残っていて、

気づくやいなや、叔母の家、両親の家、町があらわれた

 

哲学的で難解な考察が続くので、私の頭では、ちょっと読みにくかったです。

読書が苦手という人には読解が厳しいのではないでしょうか。

もう少しわかりやすいものはないかと考えて、他の翻訳と比べてみました。

次の2冊です。

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岩波文庫吉川一義訳

 

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光文社古典新釈文庫 高遠弘美訳

 

特に難解だった部分を引用して比較してみましょう。

 

集英社文庫抄訳版p78

 たしかにこんなふうに私の奥底で震えているのは、イメージであり、視覚的な思い出であるにちがいない。それがこの味に結びつき、その味のあとに従って、私のところまでやってこようとつとめているのだ。だがその思い出は、あまりに遠いところで、あまりにぼんやりとした姿でもがいている。かすかに認められるのは、その鈍い反映だけだが、そこには多くの色彩がかきまぜられ、とらえがたい渦をなして溶けこんでいる。けれども形態は見分けがつかないし、たった一人だけそれを通訳できる者に向かって頼むように、この反映に向かって、それと同時にあらわれた引き離すことのできない伴侶ーすなわちあの味ーの発する証言を翻訳してくれと頼むわけにもいかない。またどんな特別な状況のなかで、過去のどんな時期にこれが生まれたのかを、教えてくれと求めることもできないのである。

 

岩波文庫p114

このように私の奥底でかすかに震えているのは、たしかにイメージであり、視覚的な想い出にちがいない。それがあの風味と結びつき、その風味を追って私のところまでやって来ようとしているらしい。しかし想い出は、あまりにも遠いところで、あまりにも混沌とした状態でうごめいている。微かに見えてくるのは冴えない光で、そこにいろいろな色彩をかきまぜたような捉えがたい渦巻きが認められる。しかし私には、その形が判然としないうえ、それを通訳できるたったひとりの者たるその想い出に、同時代の切り離しえない伴侶である風味の証言を私に翻訳してくれるよう頼むこともできない。それがどんな特殊な状況の、どんな過去の時期のものなのか、私に教えてくれるよう頼むことができないのだ。

 

光文社古典新訳文庫 p119

私の奥底でこうして震えているのは、たしかに、あの味に自らを結びつけ、味のあとをたどって私のところまで来ようとしているイメージであり、視覚的な記憶ではあるだろう。だが、それはあまりに遠いところで、およそ漠然とした形でもがいているばかりで、私の目には、さまざまな色がかき混ぜられて、はきとわからぬ渦巻となって溶け込んでいるくすんだ反映がかろうじて見える程度にすぎない。しかも私には形さえ判別できないそうした反映に向かって、ただひとりしかいない通訳として、同じ時間を生きている分かちがたい伴侶であるあの味から発せられる証言を私のために翻訳してくれと頼むことも、また、あれはいったい、過去のどんな個別的状況や時代に関わっているか教えてくれるように頼むこともできないのだ。

 

読みやすさを客観的に分析するために、「一太郎」のツール「文章校正-読みやすさ」を使ってみました。

 

集英社

岩波

光文社

総文字数

361文字

321文字

331文字

文数

6文

6

3

段落数

1段落

1段落

1段落

平均文長

60文字

54文字

110文字

平均句読点間隔

17文字

18文字

18文字

文字使用率 漢字

19

23

22

文字使用率 カタカナ

1

1

1

 

 

総文字数は集英社が一番多く、岩波が一番少ない。

文数は、集英社、岩波の6文に対して、光文社の3文が目を引きます。そのため平均文長は光文社が110文字で最長、岩波の54文字の倍です。

漢字の使用率は、大差なしです。

 

この結果からみると、文長が長い光文社が読みにくそうに思うかもしれません。しかし、私個人の実感では、光文社が一番読みやすかったです。次いで岩波。集英社はかなり読みにくかったです。

 

もし、「失われた時を求めて」を読んでみたいという高校生がいたなら、私は光文社の高遠弘美訳を勧めます。

 

みなさんはどの訳で全巻読破に挑戦しますか?

第2日程の方が簡単だった!?大学入学共通テスト国語 第2日程 第1問 評論を国語教師が解いてみた

共通テスト 第2日程 国語 第1問 評論「『もの』の詩学」多木浩二

 

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高校教師が解いてみました。

各段落の要旨です。

 

1椅子の「座」と「背」の二つの問題

 椅子の面に接触ー体重による圧迫、血行阻害

 上体を支える筋肉の緊張ー苦痛

 椅子は身体に生理的苦痛

 

2一七世紀ー椅子の背の後傾ー筋肉の緊張の緩和のため

  リクライニング・チェア、車椅子の発明

 

3一七世紀ースペイン王フェリーペ二世の車椅子ー後脚を斜め後ろに、キルティングで覆った背は傾き調整でき、横臥に近い姿勢

 

4椅子からの圧迫を和らげる努力ークッション

 ステータスを表示する室内装飾の一つー政治的特権、階層性と結びつく

 

5椅子とクッションの結びつけの技術ー一七世紀に発達

 硬かった椅子のイメージを軟らかくしたー椅子の概念の変化=近代化ー身体への配慮から

 

6椅子を成立させた思考、技術ー限られた身分の人間の身体への配慮で形成された

社会的な関係、身分に結びつく政治学をもつ

身体という概念ー文化の産物、文化的価値

 

7着物をまとった身体ー椅子の形態に影響

 衣装ー宮廷社会という政治的な記号

 

8ブルジョワジーー宮廷社会の文化を吸収する

 支配階級の身体を引き継ぎ、働く身体に結びつけ、固有の身体技法を生み出すー身体は政治過程を含む

 

読解のポイントは、一七世紀、政治的な記号です。

論旨は単純でつかみやすいが、具体例が多いので細かい部分の読み取りが煩雑です。

 

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問1漢字

 

(ア)イダかせ 「抱く」なので2「抱負」が正解

(イ)センイ 「繊維」1「維持」が正解

(ウ)コジ 「誇示」3「誇張」が正解

(エ)ミオトり 「見劣り」4「卑劣」が正解

(オ)ケイフ 「系譜」2「譜面」が正解

 

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問2「もうひとつの生理的配慮も、背の後傾とどちらが早いともいえない時期に生じている」どういうことか。

 

傍線部「もうひとつの生理的配慮」とは座面の圧迫のこと。「どちらが早いともいえない時期」とは一七世紀を指します

根拠は2段落「一七世紀の椅子の背が後ろに傾きはじめたのは」、4段落「椅子から受ける圧迫を和らげる努力は古くから行われてきた」「古代からクッションが使われてきた」、5段落「椅子とクッションが一六世紀から一七世紀にかけてひとつになりはじめた」

散らばっているので、見落とさないように注意。

2が正解。4が紛らわしいが、「エジプトやギリシャにおいて~」は古代からあるので×

1は車椅子のことだけをいっているので×

3は椅子の背のクッションのみなので×

5は「それ自体が可動式の家具のようにさえなったクッション」が×

 

これは間違いやすい問題なので、注意です。

 

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問3「実際に椅子に掛けるのは『裸の身体』ではなく『着物をまとった身体』なのである」どういうことか。

 

根拠は、7段落「衣装は一面では仮面と同じく社会的な記号としてパフォーマンスの一部である」「文化としての『身体』は、さまざまな意味において単純な自然的肉体ではないのである」「衣装も本質的には宮廷社会という構図のなかに形成されるし、宮廷社会への帰属という、政治的な記号なのである」

1は「身体に配慮する政治学の普遍性」が×

2は文化的な記号としての側面もあったとあるので、これが正解

3は「解剖学的な記号として」が×

4は「仮面のように覆い隠そうとする政治的な記号」が×

5は「生理的な快適さを手放してでも、社会的な記号としての華美な椅子が重視」が×

 

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問4「『身体』のしくみはそれ自体、すでにひとつの、しかし複雑な政治過程を含んでいるのである」どういうことか。

 

根拠はこれまでの主張に8段落のブルジョアジーについての言及を踏まえて考える。

ブルジョアジーは「宮廷社会がうみだし、使用していた『もの』の文化を吸収するのである」、支配階級の所作のうちに形成された『身体』を引き継いで、はたらく『身体』に結びつけ、充分に貴族的な色彩を持つブルジョワジー固有の『身体技法』をうみだしていた」

 

1は「実用的な機能ではなく、貴族的な装飾や快楽を求めるようになった」が×

2は「宮廷社会への帰属の印として」が×

3は「宮廷文化を解消していくという側面」が×

4は「働く『身体』には『もの』の機能を追求し、それに応じて『もの』の形態を多様化させる潜在的な力があるということ」が×

5は「社会的要素がからみ合い、新旧の文化が積み重なっている」が根拠の内容と合っているのでこれが正解。

 

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問5 文章の構成と内容に関する説明

 

選択肢を順に吟味します。

1は「本文での議論が最終的に生理学的問題として解決できるという見通しを示し」が×

2は「6段落以降でもこの変化が社会にもたらした意義についての議論を継続」が×

3は「社会的あるいは政治的な記号という側面に目を向ける必要性」が論旨に合っているのでこれが正解。

4は「5段落までの『もの』の議論と6段落からの『身体』の議論の接続を行っている」が×

 

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問6 六人の生徒が、具体的な例にあてはめた意見を発表し、本文の趣旨に合致しないものを二つ選ぶ。

 

1は「それぞれの環境に抵抗して心地よく暮らしていくための工夫がいろいろ試みられ」が×なので、これが合致しないもの。

2は「一体感を生み出す記号としての役割も」は○

3は「その扱い方には様々な『身体』的決まり事があって、それは文化によって規定されている」は○

4は「西洋の貴族やブルジョアジーの『身体』にまつわる文化的な価値を日本が取り入れようとしたこと」は○

5は「スマートフォンの登場によって」「新しい『もの』がそれを用いる世代の感覚やふるまいを変え、さらには社会の仕組みも刷新していく」が×。これが合致しないもの。

6は「帽子には日射しを避けるという機能とは別の『身体』のふるまいに関わる記号としての側面もあるのではないでしょうか」が○

 

選択肢の分量があるので、限られた時間内であら探しをするのが大変です。内容は簡単でした。

 

まとめ

 

出典は多木浩二「『もの』の詩学」です。

抽象度はさほど高くないですが、論理の展開に感心する内容でもなく、文章はやや読み取りにくかったです。

 

選択肢の細かいあら探しをするという解法は、従来のセンター試験と同じものです。

問6の話し合いの導入も目新しいものではありません。

共通テストに変わって、ここが新しいといえるものが見当たらない、残念な印象を受けました。

 

次は多少変えてくるでしょうが、この路線のままなら、対策はセンター試験の過去問をやることが効果的だと思います。