国語教師として、ふだんから大学入試の国語の勉強や、論理的な思考力を身につけるために役立つ文章を探しています。
今回紹介するのは、見田宗介の『鏡の中の現代社会』です。
出典は、「定本 見田宗介著作集Ⅱ 現代社会の比較社会学」岩波書店からです。
社会学者としてさまざまな国を旅してきた著者は、自分の生きている社会を見る時に、離れた世界に立ってみて、「自明性の罠」から解放されることが必要だといいます。
インドやメキシコ、ブラジルなどの先進国ではない国々では、私たち日本人の「あたりまえ」が通用しないことがたくさんあるそうです。
時間に対する感覚であったり、人間関係に関する態度であったり、私たちが驚くようなことがそれらの国を旅すると体験するそうです。
いくつかのエピソードが紹介されていて、それらがとても魅力的な話です。
一つは、メキシコに住む山本満喜子さんというタンゴダンサー。小説や映画になりそうな話で、この一節だけでも読む価値あり。
二つめは、メキシコのインディオの「死者の日」の紹介。墓場で踊ったり、ごちそうを食べたりする風習は、日本人からすると眉をひそめそうなものですが、その意味が驚きです。(沖縄にも似たような風習があったような、シーミーでしたか?)
ゆかりのある死者を招いてごちそうする日で、誰からも招かれない死者のために、一人分余分にごちそうを用意するというものです。
いわば「ボッチ」の死者のために、寂しい思いをさせないために余分を作っておくやさしい心がメキシコのインディオにはある。
著者は、当然これは、生者の社会の反映だというのです。
一方、私たち日本社会のような現代社会は、アメリカのフランクリンが言う「タイム イズ マネー」時は金なりの精神が根本にあると言います。
時間を貨幣と同じように「使う」感覚で考える。時間を「生きる」メキシコなどの社会とは大きく異なってしまっている。
まさに「分刻み」の生活です。
そういえば、先日の台風15号の通過後、東京では電車の運行再開を待つサラリーマンの長い行列が報道されていました。
台風の余波が残っていても、職場に向かおうとする人々の姿は、私にも異常に感じられました。
台風の時ぐらい、危ないので仕事を休めば、と思ったのは、沖縄や西日本では通常の感覚だと思うのですが。
話を戻すと、著者は、今後の社会のあり方について、両方の社会を見ながら考えていくべきと主張しています。
当たり前ですが、メキシコやインドのような国のまねはできないし、日本社会の問題点を改革しないで突き進むものよくない。
両者を見ることで、社会の可能性を想像しましょうと述べています。
高校3年生の現代文の教科書に、この「鏡の中の現代社会」が載っていて、授業で取り上げると、いつもより生徒の食いつき(反応)がよかった印象がありました。
特にメキシコの「死者の日」には興味を持ったようです。
高校生たちも、厳しい競争社会、「ボッチ」に冷たい社会というものを感じ取っているのかもしれません。
ただし、教科書に載っている文章は、おもしろいエピソードがカットされてまとめられた文章なので、原典とくらべるとスカスカにされています。
ぜひオリジナルで読むことをお薦めします。