健人には優奈と言うかわいい彼女がいる。健人と同じようにモデルをやりながら、お芝居の勉強をしている。女優の卵といえばいいのか、しかし、少しも気取ったところがなくて、邦裕とも気さくに話しをする感じのよい子だ。健人とは、モデルの仕事を通じて知り合い、付き合って一年になる。時々、健人が週末に連れてくる。
健人の帰りが早いときは、三人で一緒にご飯を食べにいったり、家でご飯を作って食べたりする。
朱莉が来てから初めて優奈を連れてきた時は、だいぶ遅い時間だったので、すぐに健人の部屋に入ってしまった。
邦裕は優奈が泊まりにくる夜は、リビングでしばらく過ごすことにしている。その日もソファで本を読んでいると、朱莉が降りてきて、「まだ起きてるの?」と不思議そうに尋ねた。
「ああ、ちょっとね」
「こんな所でいるより、部屋で読んだらいいのに」
「暗いでしょ、ここの灯り」
そう言って向かいに座る。スウェットの上下を着て、すでに睡眠態勢だ。
邦裕は、いたずらな気持ちを起こしてしまった。
声を小さくして、朱莉の耳に少し顔を近づけて、
「部屋にいるとよく聞こえる」
「えっ、何が?怖いものでも出るの?」
急に心配そうな顔で邦裕を見つめる。
「怖いと言えなくもないな」
勿体ぶっていると、
「何よ、教えて」
少し怯えた顔を近づける。
「声が洩れてくる」
「洩れるって」しばらく邦裕を見つめる。
そして、硬い表情になって、
「もしかして、二人?」
「そう。丸聞こえ。部屋、壁一枚やろ。だから、あれが始まると、リビングにそっと避難することにしてる」
「初めて聞いた時はびっくりした」
「興奮して寝付けへんかった」
邦裕がそういうと、朱莉は急に真顔になって、
「確かめよう」と言って、邦裕の腕を突いた。
「そっと入ればわからない?」
「おれの部屋に入る気?」
「夜中に男子の部屋に入るなんて、危険や」
「馬鹿なことしないでしょ、早く」
仕方なく、音を立てないように、自分の部屋のドアを注意深く開けた。後ろからついて来ている朱莉に目で合図する。
ドキドキしながら部屋に二人で入ると、朱莉は早速、健人との部屋の壁に耳を近づける。この時、邦裕は女子にも男子と同じように、セックスに関する強い関心があることを確認した。
隣からは濃厚な気配と物音が、リズミカルな喘ぎ声とともに聞こえてくる。
興味津々の顔で聞き耳を立てる朱莉。邦裕は複雑な心境になった。目の前に、パジャマ姿の女子がいて、隣からは興奮した声が漏れてくる。ここは理性を強く持って、衝動を抑えつけるのみだ。
そんなことを思っている間も、朱莉は隣の音に意識を集中している。
今日の健人たちはいつも以上に長いな、そんなことを思っていると、激しい泣き声がした後、低く大きな呻き声がしたので、流石に邦裕もびっくりしてしまった。
朱莉は驚きの顔を邦裕に向けて、声を出さずに「だいじょうぶなの?」と言ったのが口の形で判読できた。黙って頷いて、ドアの方を指さして、「リビングへ行こう」と邦裕も声を出さずに大きく口を動かして伝えた。
リビングに二人で戻ると、朱莉は「ふーっ」と大きなため息をついた。顔が赤く上気している。
「スゴイ、わね」
スゴイを一音ずつ区切って発音する。
「あれをたびたび聞かされる俺の辛さ、わかるでしょ」
「愛し合うのって、大変ね」
「ちょっと意味違うと思うけど」
邦裕が注意すると、朱莉は正気を取り戻したようで、
「私には無理」と言った。そして「いつもあんな声聞こえてくるの?」と聞いてきた。
「いつもじゃないけど、今日は格別に」
「健人くんの彼女って、いくつ」
「俺らと一緒」
「ずいぶん大人ね、二人とも」
そう言って、邦裕の顔をチラッと見て、
「変なことしたら警察呼ぶから」
「それくらいの理性はありますよ」
邦裕は、ちょっとムッとした。
翌朝、邦裕と朱莉がリビングで朝食を食べていると、優奈がシャワーを終えて、健人とリビングに入ってきた。
「紹介するわ、優奈。こちらは、朱莉。四月から一緒に住んでる」
「初めまして、佐藤優奈です。健人がいつもお世話になっています」
邦裕は昨日の声の一件が頭にあるので、優奈の顔をまともに見ることができない。
朱莉は、むしろ目を輝かせて、
「こちらこそ、よろしくお願いします。高島朱莉です」と挨拶して、邦裕の横に腰を下ろした。
健人と並んで腰掛けた優奈に、
「昨夜は遅かったの?」と尋ねた。
邦裕は、横から朱莉の太ももを足で突いた。
笑顔を邦裕に向けた朱莉は目で、「何するのよ」と非難する。
「昨夜は仕事で遅かったんでしょ」と邦裕がフォローをする。
「仕事が長引いて、来るのが遅くなって、挨拶できなくてごめんなさいね」
「気を使わなくても、いいよ」
邦裕がそう言うと、
「いつからお付き合いしてるんですか?」と朱莉が聞く。
今度は朱莉の太ももを思い切りつねった。
急にこちらに顔を向けて、笑顔のまま「邪魔するな」と目で言っている。
邦裕は目で「聞くな」と合図した。
朱莉は渋々、お茶入れて来ると言って立った。
健人と優奈が出かけたあと、リビングで朱莉と話した。
「あんな話題を振ったらだめでしょ」邦裕がそう嗜めると、
「だって、気になるもん。どんなふうに付き合ってるのか」
「たんに羨ましいだけじゃない?」
「わたしが?そう見えた?」
「張り合おうとしてるんじゃない?」
「ええ?どう言うこと?」
「健人みたいな恋人がいて、週末には愛し合って、楽しそうにしてるから」
「そんなつもりはないんだけど、そう見えたのね」
「朱莉は美人だし、男なんていくらでも近寄ってくると思う」
「でも、今まで付き合ったことないもん」
「それは…」
邦裕は、それは気が強い性格のせいだとは言えなかった。
「朱莉さえよければ、いつでもお付き合いするよ」
「無理やわ。そんな目で見られへんから」
「そうはっきり言われると、応えるなあ。で、恋人ができたらできたで、色々あるんやから」
「まるで恋人がいたような口ぶりね」
「そら、ないけど。健人のところもあれで、大変なことも…」つい口をすべらせた。
「何かあるの?教えてよ」
身を乗り出してくる。
「ここだけの話やで。優奈さんの嫉妬がすごい」
「健人はモテるから、心配なんやろな」もっと聞きたそうだ。
「健人も人がいいから、近寄ってくる子には優しくしてしまう。それで喧嘩になるみたいやな」
「優奈は、朱莉のことを気にしたはずや」
「そんなものかな」そう言って、朱莉は首をかしげた。
「朱莉は大学行ったら、キャンパスクィーンとかに選ばれると思う。男選び放題やろうな」
「そうだといいけど」
「風呂入ってくるわ」
風呂は朱莉が一番に入ることになっている。
「ムカデが出ても助けへんから」
「そんなこと言われたら怖くなるでしょ。また出たら助けにきてね」そう言って、わざと困ったような表情をつくる。あざといなと邦裕は思いながら、
「今度助けを呼ぶときはバスタオル巻いとけよ。俺はムカデよりも朱莉の方が怖いわ」
「ふふっ」と笑いを漏らして風呂に行った。