bluesoyaji’s blog

定年後の趣味に、化石採集や鉱物について、読書感想などを書いています。みなさんのお役に立てばうれしいです。

東大の小説問題に学ぶ親子関係 仲谷実織「宿雨のあとで」 東京大学 2026年度 前期 文科 国語 第四問 小説

東大の小説問題に学ぶ現代の親子関係 仲谷実織「宿雨のあとで」
東京大学 2026年度 前期 文科 国語 第四問 小説

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設問は4問で、すべて「説明せよ」です

 

(一)「クリスマスツリーのようにも見えるそれを、彼女はやがて踏み潰した」ー翔子の心情
・親の転居により有無を言わせず、これまでの環境と人間関係から引き剥がされ、新しい環境になじめないでいる
・翔子は牛舎の匂いや見慣れない草に嫌悪感を抱いている
これらから解答を作成します

 

(二)「彼女ー弥生さんは、目尻に皺を浮かべ、悪戯っぽくほほ笑んだ」ー弥生の気持ち
・手入れが行き届いた他の畑と違って雑草も混じって生えている混沌とした畑に自信を持っている
・犬のアンバーと触れあう翔子なら畑を気に入るだろうと思い、ぜひ見せたいと思っている

(三)「そう答えるわたしの声もはずんだものになっていた」ーなぜか
・授業参観に来ないでといった翔子
・相談した夫の曖昧な笑みと任せるという発言
・思い切って授業参観をさぼり、弥生さんとアンバーに会いにいく提案をした
・驚き喜ぶ翔子の顔を見て自分もその方がよいとうれしくなった

 

(四)「彼女の言葉に思わず翔子を見てしまう」ーなぜか
・弥生さんの、つらいことはやらなくても育つ、手間をかけすぎるとうまくいかないという言葉を、まるで母親から聞かされたかのように翔子の子育てのヒントになると気づく
・翔子への対応の指針を言葉から得たと思う

 

解答例 河合塾の模範解答です

(一)両親の都合で慣れ親しんだ世界を奪われ、新しい環境にもなじめないなか、勢いよく伸びた草にまで苛立ちをぶつけてしまうほど、鬱屈を持て余している。

 

(二)何か事情ありげな少女とその母親に、周囲とは違い作物をのびのびと育成させている混沌とした畑を見せ、二人を驚かせようとした目論見が功を奏し、満足している。

 

(三)母娘とも気乗りしない授業参観に行くよりも、弥生やその飼い犬と畑まで散歩に行くことができれば、閉塞した現状を変えられるのではないかと思ったから。

 

(四)作物に手を加えすぎるとうまくいかないという弥生の言葉を聞き、親の都合や考えで娘がのびのびと育つことを疎外してはいけないのではないかと感じたから。

 

この解答例ほど難しい言葉遣いをしなくても、しっかりと読み取れていれば、十分な解答を作成できると思います。
駿台予備学校の解答例も検索して参考にしてみてください。駿台の方がすっきりした文章になっています。

 

考えたこと

まず、この小説が入試問題としてよかったと思う点を書きます。
・親子関係ー母と娘(さらに「わたし」と母も)という誰しもが持つ普遍的なテーマである
・「わたし」の視点、一人称から見た娘と弥生さん、夫の姿が描かれており、人間関係がつかみやすい
・時代背景は現代と思われ、受験生には身近な題材である
・結末部分が「笑い声」で明るい方向に向かっていると感じられ、読者(受験生)も安心できる

入試問題では、先の戦争や江戸時代など、現代とは異なる時代背景や人間関係の設定の小説が多いようですが、これは読みやすく、読んでいるときの心情の振れ幅も大きくなく冷静に問題に向き合えると思います。
小説問題を解いていて感極まって泣き出しそうになるものもありますから。

これはしっとりとして細やかな描写がすばらしい小説です。

 

次に、二年続けて小説を出題した東大の意図を考えます。
高校では一年生で学ぶ国語は、「現代の国語」と「言語文化」に分かれており、殆どの学校では「現代の国語」で評論と実用的文章を学び、「言語文化」で古文と漢文を学びます。
高校の現場では、評論と古文、漢文を教えるのが精一杯で、小説など文学的な作品を扱う時間が殆どないのが現状です。
さらに専門的な話になりますが、学習指導要領で、「論理国語」と「文学国語」に無理矢理わけているので、小説を学ぶ機会を失っている現在の高校生に対して、小説を出題することで、現行への批判とまではいわなくても、小説の読解を補完する意図があるのではないかと考えます。
そうだとしたら東京大学が入試問題で小説を出題するのも、国語教育には有用な影響を与えているといえるでしょう。

 

京大現代文問題に学ぶ恋愛の本質とは 坂口安吾「恋愛論」 京都大学 2026年度 文系学部 前期 国語 第1問 評論

京大現代文問題に学ぶ恋愛の本質とは

坂口安吾「恋愛論」 京都大学 2026年度 文系学部 前期 国語 第1問 評論

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問題文の要旨を形式段落ごとにざっくりとまとめました。

形式段落とは、初めが一文字下がった段落です。

1 日本に渡来した切支丹は神の「愛」を訳す際に苦労した

 日本では愛は不義のニュアンスが強く、愛の字が使えないので、「大切」という語を用いて「神のご大切」と訳した

2 今日の日常の言葉づかいでも愛や恋は生活の地盤に密着しない空しさがある

3 明治以来の日本の言葉は、外来文化に間に合わせた言葉が多く、言葉の意味の違いが不明瞭で、言葉の国の文化の恩恵に与るとは言えない

4 「惚れた」「愛した」と一字の動詞で区別をつけてすましてしまうと、言葉に頼りすぎ、物自体の深い機微や独特な個性的表現を見逃してしまう

5 人は恋愛に雰囲気を空想しすぎている

6 恋愛は一時の幻影で必ず亡び、さめるものと知る大人は不幸だ

7 若い人はそれを知っていても情熱の現実の生命力が知らない

8 「ききおく」程度でよい

9 ほんとうのことはあたりまえすぎて無意味である

10 教訓には二種あり、先人が失敗したからそれをするなというものと、先人が失敗し後人も失敗するが、するなとは言えないものの二つである

11 恋愛は後者で、幻で永遠の恋愛など嘘だとわかっていてもそれをするなとは言えない。人生自体がなくなるようなものだから

12 万葉集、古今集の恋歌は、真情が素朴純粋に吐露され、高度な文学であるという思想が私は嫌いだ

13 (それは)動物の本能、犬や猫が吠え鳴くのと同じで、それが言葉で表現されているだけだ

14 恋すれば眠れなくなり、別れると死ぬほど苦しい、などの恋愛の相は万代不易の真実だが、真実すぎて特にいう必要はない

15 初恋だけでなく恋は常にそういうもので、純情でもなんでもない

16 私たちが恋愛について考えたり小説を書いたりする意味は、こういう心情の当たり前の姿をつきとめることではない

17 人間の生活はめいめいが建設すべきであり、恋愛も同じである。本能の世界から文化を引き出し、めいめいの手で作ることが大事である

18 恋をした苦しみは先祖も子孫も変わりないから文句は言えない

19 二、三年後にはけんかもし、他の面影を宿したりする。何か良い方法はないか考える

20 その解答を私は知らない。私自身だけの解答を探し続けるにすぎない

 

 

問いを見ていきましょう。

いずれも「説明せよ」という問いです。

 

問一 傍線部(1)「愛という語で非常に苦労した」

・切支丹が主語

・愛は日本では不義のニュアンスが強い

・「神の愛」を「神のご大切」と訳した

これらの要素を盛り込んで解答を作成しましょう。

解答例は河合塾と駿台予備校のものを参考に載せておきます。

 

問二(2)「これを称して言葉の国というべきか、われわれの文化がそこから御利益を受けているか、私は大いに疑っている」

傍線部を要素に分けて考えましょう。

・「これを」は明治以来の日本語の問題点。3段の内容から。

・「言葉の国というべきか」「文化がそこから御利益を受けているか」は日本語の伝統文化の恵みを受けていないことを示している

 

問三 (3)「あべこべの不安を感じる」

何と正反対の不安かをまとめる

・「惚れた」「愛す」と使い分けて、たった一字で簡単明瞭に区別がつき日本語は便利だ

正反対

・物自体の深い機微、独特な個性的諸表象を見のがしてしまう

・物自体に即して正確な表現を考える態度をおろそかにしてしまう

 

問四 (4)「ほんとうすぎるから、私はきらいだ」

すぐ後に「あたりまえすぎることは、無意味であるにすぎないのだ」とある

・教訓の二種のうち、「だからするなといえない性質のもの」

・言っても無意味であることを「私はきらいだ」と言う

 

問五 (5)「私たちが、恋愛について、考えたり小説を書いたりする意味」

・人間の生活というものは、めいめいが建設すべきもの

・努力の歴史的な足跡が文化というものを育てあげてきた

・恋愛とても同じこと

・めいめいの手によってこれを作ろうとする

・私自身だけの解答をさがしつづけているにすぎない

 

解答例 河合塾

問一

日本に渡来したキリスト教徒は、神が万物を分け隔てなく純粋に慈しむことを意味する「愛」という語が、日本語ではよこしまな不義に連なる意味をもつために、苦心の末に「大切」という語を用いざるをえなかったということ。 

 

問二

明治以来の日本語は外来文化を摂取し、深く考えもせずに案出された言葉があふれたために、意味の違いを区別できないまま曖昧に言葉を利用して却って苦労を強いられ、言葉の文化伝統に浴することなどできていないという考え。

 

問三

僅かな語で多様な表現ができる日本語の都合のよさに安心してしまって、物事の本質を見極め知るために言葉を正確に用いる訓練がなおざりになっているのではという不安。

 

問四

いずれも必ずそうなるとわかっている人生上の真実は、それを予め知っていたとしても、やはりそれに見舞われ後悔することが自明であるため、教訓としても意味がないから。

 

問五

文筆家が恋愛を主題にする意味は、動物的本能や万古不易な事実を描くことや、万人に通じる答えを導出することではなく、書き手の生活や人生に即した真実を本質的に捉え表現しようとする人間固有の文化的営みだと考えている。

 

 

断っておきますが、こんな高いレベルの解答はプロの予備校講師だからこそ書けるものであって、受験生にはこのレベルの解答が求められるわけではありません。

気になる方は、駿台予備校の解答例を検索して参考にしてください。

 

考えたこと

 

「言霊の幸わう国」という山上憶良の言葉にあるように、日本語は言葉に霊力があり、人々を幸せにすると考えられてきました。

ところが安吾は、明治以降の日本語は言葉の伝統の恩恵に与ってはいないと言います。物自体に即した正確な表現をおろそかにしているという指摘は、作家の鋭い視点だと感心しました。

 

また、安吾は恋愛の本質を「一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ」、それは「ほんとう」のことであり、「あたりまえすぎること」と言います。

身も蓋もない意見です。

ご丁寧に、「二、三年後には、つかみあいの喧嘩もやるし、別の面影を胸に宿したりする」と具体的に描いて見せます。

ただし、「それをしなければ、人生自体がなくなるようなもの」とフォローはしています。

 

失敗するのは決まっているが、やらないわけにはいかないもの、それが私たちの恋愛だという、一種冷めた認識を学び、ああ、やっぱりその通りだった‥となるのが恋愛というもの、人生というものなのでしょう。

 

さて、大学入試の問題からこの真実を学んだ京都大学の受験生たちは、今後どんな恋愛を展開することになるのでしょうか。

大学デビューしようと願っている受験生もいただろうに、大きなお世話だと思いながら解答を懸命に書いたのでしょうか。

 

これが、「大学入学後は恋愛などにうつつを抜かすことなく、学問に励め」というメッセージだとすれば、この安吾の文章を選んだ京都大学の先生は「いけずやわ‥」

 

 

おまけ

 

坂口安吾

「日本文化私観」「堕落論」で形式的伝統を破壊する合理的精神を唱導した

 

新戯作派

自然主義的な本流から見て少数派の傍流であった反俗的な作家たち

太宰治、織田作之助、坂口安吾

 

出典 カラー版 新国語便覧 第一学習社

京都大学の入試問題に友だちの大切さを学ぶ 2025年 前期 国語理系 第二問

京都大学 2025年 前期 国語 理系第二問

佐野洋子「友だちは無駄である」

 

問題文のあと、設問の解き方、模範解答 感想を掲載しています

 

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設問の解き方

問一 

直後の「この人は私のばかなところ、だめなところ、いやなところ、くだらないところを引き受けてくれていたのだ」「この人がいなかったら、私のいやなところ、くだらないところは行き場を失って、私の中にあふれ返って生きてはいけなかったのだ」という二点をまずおさえる

・次に「二人で過ごしたおびただしい無駄な時の流れ、その無駄を吸い上げて、私たちは生きてきた」という箇所から、友人のおかげで私は生きてこれた、ということを読みとる

 

問二

「立派ではない私」とは「立派な尊敬にあたいする友人」ではなく、短所や嫌な所を隠さず、ありのままの自分をさらけ出せる友人ということ。一般的には残念なエピソードが列挙されていることからそれがわかる。

 

問三

・「感謝したい気持ち」は直前の文に、「太陽に感謝し、土に感謝する」とあるように「トマト」を実らせるもの、養い育てるものへの感謝である。当然これは友人の比喩になっている。

・傍線2の後の文に「友だちというものは無駄な時をともについやすもの」とあり、傍線3の後には「私は無駄なものが好きだった。すぐには役に立ちそうもないものや、何に使ったらよいかわからないものが好きだったのだ。能率や、成績や進歩に直接関わらないものが好きだったのだ」とある。

・これらから、友人と無駄に思える時間を過ごしたことが、人生に成熟をもたらしたと気づかされたことをまとめる

 

模範解答

駿台と河合塾の模範解答です

駿台

河合塾




 

 

感想

 

受験生(主に高校三年生)に友だちとは何かを考えさせる文章を出題する大学側に、どういったねらいがあったのでしょうか。考えてみました。

 

気になる箇所を抜き出すと、

「お金になるわけでもなく、社会的向上に役立つものでもない」

「能率や成績や進歩に直接かかわらないもの」

これらの逆は、功利的な人間関係ということです

 

「見栄っぱりで、うそつきで派手好きで、かっこばかりつけるばかな奴」

「つき合っているのは時間の無駄」

冒頭のけがした友人に対する私の言葉は、私に跳ね返ってきて、「私のばかなところ、だめなところ、いやなところ、くだらないところを引き受けてくれていたのだ」

 

つまり、「タイパ」「コスパ」を重視するドライな対人関係とは真逆の、泥臭い、濃密な人間関係が「年月を経て」大事だとわかるというのです。

 

対人関係の距離感が大きくなり、相手との関係が希薄化する傾向が強まる中で、友人との関係を考え直させる意図があるのでしょう。

 

京都大学に合格して入学すれば、弱点もいやなところもさらけ出しあえる友人関係を築いてほしいという親心?から出題されたとしたら、受験生のみなさんはどう思いますか?

京都大学 前期 国語 文系 第一問 評論を解いてみた

京都大学 前期 国語 文系 第一問
「現代社会に生きること」中井久夫
都市化が人の心理に与える影響について考察した文章
読解に苦労することはないが、設問が難しい
以下に問題とその解法、感想、模範解答を掲載します

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  問題の解き方 問一 ・「かわいらしいもの」とは何を指すのかが難しい 直前の「われわれの観念にある『都市』は文明の利器に囲まれた文化的な生活であり、洗練した趣味であり、そうして地縁的な、また血縁的なさまざまのクビキからおのれを解放し、一人の人間として生きるチャンスを求めうる場」が都市に住むメリットについて説明された箇所です。 「あそこへゆけば、ないものはない」「あそこへゆけば、チャンスが待っている」「美しい恋人にめぐりあえるかも知れない」等々は都市の魅力を享受する人々の具体的な認識を「かわいらしいもの」としたものです。 「かわいらしい」とは一種、揶揄するニュアンスがあるので、人々のそういった理解を不十分なものと見なしていることが読み取れます。 ・これらを踏まえて解答欄2行に収まる字数でまとめます。 問二 自然を「疎外」―「自然は外に放り出され、コンクリートの立体的な、機械の内部のような街」 自然から「疎外」された生活―「いつも大地は身近にあり、水は、雲は、微風は、身近にあった。植物や動物たちは身近にあった。自然がわれわれを包んでいた」とあるので、その対極が疎外された生活 ・これらから、無機質な空間で、自然から離れ、自然を感じることなく生活すること 問三 「大地の感覚」を説明した部分を探す ・「それらのものの与える『大地の感覚』はわれわれの精神を正常に保つ」 ・「大地を踏みしめて生きることと、みずからの正常さに対するゆるぎない信頼」 これらから、自然の中で自然と関わって生きることで、われわれは精神の正常さを得ている。自然に深く影響されているということ 問四 都市生活における他の人間との関係 大都市(東京)―「職場、それと家庭をつなぐ交通機関、夫婦中心の家庭、少数の友人、それからいくつかのゆきつけの店、好みにかなったレクリエーションの行き先。それだけ、そうしてそれだけしかもたないことは、大変すっきりした人生を約束しているかにみえる」 地方都市(京都)―「乗客のあいだに何か交感がある。赤の他人のはずなのに感情の交流がある。石ころと違ったものとして、触れ合っている」 ・「東京では、そうじゃない。電車の方も石ころを運んでいるつもり、こちらの方も、運ばれているあいだは、死んだも同然。『存在すること』を止めている」 ・「ゆきずりの他人すら、大きな力をひとに及ぼしているのだ」 ・「石の表情をした人たちに囲まれ、職場に運ばれ、家庭に戻るあいだ『人間の壁』に囲まれていると感じるとき、その影響するところ、みずからも『心の表情』を失ってゆきがちなのは、大いにありうることである」 ・「ゆきずりの人間からの疎外感も、徐々ではあるが、大きな影響を与えるものといわねばならないだろう」 これらから、 ・都市化による自然の疎外は、人間の「大地の感覚」を失わせる ・都市の他の人間の無表情からも大いに影響を受け、「心の表情」を失う といったデメリットについてまとめる

河合塾と駿台の模範解答です

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 感想 ・特に問四が難解です。 ・「大地の感覚」の喪失の説明がややわかりにくい。 ・他の人間の表情が心に大いに影響を与えることの具体例が京都での体験談で示されているが、少しわかりづらい。 ・筆者によると京都は地方都市であり、都市化の東京と対比される存在としている点を読み取る。 ・現在の京都(中心街)は外国人観光客があふれ、このエピソードのような「交感」「交流」が感じられるとは思えません。 ・出典の出版が1964年とあり、60年以上前の京都なら、あり得たことでしょう。 ・京都大学がこの文章を出題したねらいを考えると、東京と違って京都にはまだ人間らしさが残っていると示したかったのか、あるいは、現在の京都でもすでに失われてしまっており、失われたがゆえの理想として『他者とのあたかいふれあい』を大事にしたいと言いたいのか、どちらでしょうか。 ・一方で京都には、「お茶漬けでも」で知られる本心とは異なる高度なコミュニケーションの文化があると言われています。京都は都だった歴史が長いので、ある意味『都市化』の先駆の存在ともいえます。

東京大学の入試 国語の小説問題を解いてみました

東京大学 2025年 前期 国語 第四問 小説

「狭い庭」佐多稲子

以下に本文と設問、解き方の解説、予備校の模範解答、感想などを掲載しています。

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小説問題の解き方

人物設定と心理描写をチェックします

実際に問題を解くときは傍線を引きます

ここでは抜き出しておきます

たくさんあるので、急ぎの方は「設問」まで飛ばしてください

苗木屋の爺さん

・小柄な痩せた男

・挨拶が女性的な声だけどどこか格式張っていた

・細おもての柔和な、むしろ伏し目がちの弱気な表情

・目を伏せ、気弱にしげのの言葉を聞き流して

・いただきます、という調子には歌うようなひびきがあって、ちっとも卑屈なものがない

・優しい顔

・あんまり立派な名前

・いかめしい姓名

・自分より年上と思っていたが、見かけよりはずっと若くまだ四十代で小学生の女の子がある

・(今度は少し大きい樹を持ってきてくれ)ちょっと悲しい表情をする

・その次に持ってくるのはやっぱり一尺足らずの苗木ばかり

・格式張った口調で、ときには自分の苗木に鹿つめらしい説明をすることもある

出来事を確認する

・順吉―わが家の前が依然としてむき出しなのを少々もの足りなくなって本職の植木屋に頼んで軒まで達する高さの樫の木を植える

・丁度その最中に苗木屋がいつものようにやって来た

・本職の植木屋には顔を合わさず、いつものように縁先きに来て腰をおろした

・「玄関さきだけ、あんまり淋しいから大きな樹を一本入れるんですよ」

・「お立派になります」「また、お願いします」

・それっきり、この家の庭先きに姿を現さなくなった」

後日談

・「順吉は、勤め先の家具製造店で厭なおもいをした」

・「姿を現さない苗木屋の誇りを思いだしていた」

・「同感とも羨望ともつかぬ、なつかしさ」

「設問」解き方を説明します

(一)

・「彼に気の毒なおもいをさせる」=二年のつきあいのある苗木屋ではなく、別の植木屋に高額な代金を払って植木を注文したことが苗木屋にわるいということ

・別の植木屋に頼んだ理由は

苗木屋は小さな苗しか持ってこず、順吉夫婦はそれが不満だった

近所の新しい住宅に植え込みができているのを見て、わが家がもの足りなくなった

・これらを踏まえて解答します

(二)

・順吉が気にかけている

・「仕方がない」―苗木屋が小さなな駅ばかり持ってくるので、大きな樹を別の植木屋に頼んだことで苗木屋が嫌な気分になったとしてもそれはやむをえないことだと割り切る心情

・この二点を盛り込みます

(三)

「檜葉」について

・「庭の周囲の七、八本の檜葉」

・「檜葉はめかくし用にとおもって頼んだのだが、爺さんの背負ってくるのは、いつも殆ど一尺ばかりの苗木だった」

・「倍の丈に伸びて、結構、形を成した」

これらから

苗木屋は樹木が生長して庭が整っていくことを考慮して植えてあったということを知った

(四)

・「本職の植木屋とゆき合ったとき、彼は、だから引け目を抱いたのにちがいない」

・「順吉は自分の年齢に引け目を感じた」

・「姿を現さない苗木屋の誇りを思いだしていたような気がする」

・「それ以来ぱったり姿を見せない、ということは伊志野剛直の誇りなのか」

これらから、順吉も「引け目」を感じる体験をして「苗木屋」の「引け目」に思いをいたし、姿を現さない苗木屋の誇りを感じ、共鳴する心情をまとめる

 

感想

・戦後十年前後と思われる時代背景で、苗木屋と客の夫婦のやりとりと心情を読み取らせる問題

受験生の世代とは異なる状況でもちゃんと読み取る力があるかを見るのでしょう

・設問(一)から(三)はやりやすい。(四)の心情の説明が少し手間がかかる程度

・全体の難易度は高くないです

 

駿台と河合塾の模範解答です

河合塾


 

駿台



 

 

以下は発展的(?)感想です

・登場人物の名前がひとくせあり 

伊志野剛直―意思が剛直な男

順吉―従順な男

・伊志野剛直の経歴が気になる

「戦争中女房の実家の千葉県に疎開して百姓をやっていたつづきで、今は植木を売って歩いているのだ」

「今度は少し大きい樹を持ってきてくれ、と不満そうに云うのだが、そんなとき、伊志野剛直は、ちょっと悲しい表情をするような気がした」

「苗木しか持ってこられない事情があったのであろう」

 

私の住んでいる市では、平安時代に始まる1000年以上の歴史がある植木屋が集まった地区があります。

そんな何代も続くような植木屋さんと比較すると、「苗木屋の爺さん」は経験も浅かったのかもしれません。

小さな苗木しかもってこれないのも、戦争による疎開がきっかけの職だったからなのか、しかし、「高尾楓」について鹿つめらしい説明をするなど、職に対する自負も強かったのでしょう

 

まとめ

庶民の暮らしぶり、仕事への思いなど、日常生活の中のちょっとした思いを丁寧にすくい上げた、よい小説だと思いました。

合格後も市井の人々の暮らしや心情を忘れないでいてほしいと願います

 

東大ってどれだけ難しい?大学入試 今年2025年の東大の国語の問題を解いてみた

2025年 東京大学 前期 文系 第一問

出典 「身体と魂の思想史」田中彰吾

解いてみてわかったこと、感想を以下に書きます

 

読みやすい文章 一読でほぼ理解できるレベル

内容―身体論で、乳児の鏡像認知について

読解のポイントー体性感覚と視覚の連合だけでなく、他者から見た自己の身体と気づくこと

面白い点―群れで育ったチンパンジーは鏡像認知ができるが、単頭飼育のチンパンジーはそれができない

学びのポイントー私たちの身体イメージには他者の眼差しが刻印されている

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解き方の説明をします

設問

(一)

鏡像を遊び相手として扱う=鏡に映る自己像を他者として知覚する

なぜか=次段にある「生後一年ごろまでの乳児にとって身体に由来する体性感覚的な情報と、外界に由来する視覚的情報とは分断されており、いまだ統合されていない」

「鏡に映る視覚的な全身像を『ここ』にある体性感覚的な情報と結びつけることができるようになるのに生後一年近い時間がかかる」

この二カ所を根拠として理由をまとめる

(二)

「移行期に鏡像を回避する行動が見られる」

「移行期の乳児にとっては~回避行動を引き起こす原因になっているように見える」5ページまん中あたり

・他者のような視覚像が体性感覚と連動しており

・どのように受け止めてよいのか~落ち着きのない回避行動

この二つのポイントを解答に盛り込む

(三)

「そこに映っている身体の像」=鏡に映る自己像

「外的視点から見た自己の身体」=「他者から見た自己の身体」

「気づくことができる」=「自己から見た他者の身体」と「他者から見た自己の身体」を交換することで自己の身体が外的な視点から見るとどのように見えるのかということを学習する

・群れで育つことで他者の身体を見る機会が多く、そこから鏡に映る自己の姿を自己像と気づくことができる

(四)

「他者の眼差しが刻印されている」

「鏡に映る身体の姿を~他者の目から見てどう見えるのかに気づくことが必要である」

鏡像認知は

A体性感覚と視覚を連合する

B自己の身体が他者の眼から見てどう見えるかに気づく

「AだけでなくB」の形でまとめる

(五)

a探索  b半端  c額

 

感想

設問一~三までは傍線部の前後に解答の根拠になる箇所があるのでわかりやすい

設問四は本文全体の趣旨を踏まえて答える問いになっているが、後半の要旨を踏まえていると解ける

漢字問題は平易

東京大学の問題と身構えると、案外解きやすいので拍子抜けする素直な良問

今年度は京都大学の第1問の方が難しいと感じた

 

模範解答

河合塾と駿台予備校のホームページに掲載されています

 

「内向的な人」の幸福戦略 精神科医Tomy 朝日新聞出版

「内向的な人」の幸福戦略 精神科医Tomy 朝日新聞出版



精神科医Tomy先生の本を読むのは3冊目です。

まえがきで、本書では、「内向的な人」とは医学的な定義に基づくものではなく、「引っ込み思案で、シャイで、他人との人間関係が苦手な人」として扱っています。

また、内向的ゆえに生きづらい側面は、考え方や行動でカバーする、そうすれば楽しく人生を歩めるはずだから、そのお手伝いをするとありました。

 

内容は、たとえば、「人と長時間いると疲れてしまう」という項目について、2、3頁程度の解説があり、まとめが簡潔な言葉で書かれています。大変読みやすく工夫され、すっと頭に入ってきます。

 

おすすめの読み方は、目次で自分が気になっている項目を見つけて、それから読み始める方法です。解決したい悩みにダイレクトに繋がる項目を探して読み、あまり今の自分に関係しないものは後回しにすればよいでしょう。

 

私が気になった項目は、第3章「他人の言動に対して、何か裏があるのではと勘繰ってしまう」です。内容をざっくりと紹介します。

 

・他人の言葉の多くは「建前の言葉」です。そこに悪意はありませんから、騙そうとしているわけではない

・では、なぜたいていの人間は「建前の言葉」を吐くのでしょうか?

・それは、本音でぶつかるということは、自分が丸裸になることだからです。相手が自分の本音を受け止めてくれる人間かどうかわからないからです。誰の前でも丸裸なのは落ち着かないし、危険です。

・「他人は8分目ぐらい信用するのが一番いいんですよ」

・他人というのは、どんな人間でも100%信用してはいけません。なぜなら、他人と自分はあくまで違う人間です。ですから、相手に悪気がなかったとしても、こちらの思いとすれ違っていくことがあるわけです。それが結果として「裏切られた」と思う可能性があるのです。

・一方で、人は単独では何もできません。誰かと信じ合って行動して、それにより世界は広がっていくのです。つまり、「本質的には100%信じられないけれど、それを踏まえて誰かを信用して生きていく」というのが生きる本懐なのだと思います。

 

感想

私には「どんな人間でも100%信用してはいけません」という言葉が衝撃でした。

私は、他人を信用する、信じるという行為を100%で行うのが正しいと思って、何十年もの人生を送ってきました。何の疑問も持たず信じ込んでいました。

しかし、この言葉に出会って、内容が腑に落ちたのです。目からウロコ、コペルニクス的転回です。他人は100%信用してはいけない!

これまで感じていた生きづらさ、さまざまな悩み、不満、不安は、これが原因だったのかと直観しました。

このことに気づけただけでも本書を読む価値がありました。

他にも、ああ、これか!という気づきがたくさん得られます。

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今を生きるすべての人が前向きに進むためのヒントとなる1冊に。

とあり、期待して購入しました。

 

私はマンガを読まないのですが、この本は読了できました。それは、一つのテーマにつき、6ページの分量で構成されていて、飽きずに次々と読み進めることができたからです。

 

高校生あるあるのネタが多数あり、読み続けたいと思わせる一方で、ページを増やしてもう少し掘り下げてほしいテーマもありました。

 

やはり絵で視覚に訴えるのは、取っつきやすいし、わかりやすい。

時短を優先する高校生にはぴったりです。

 

高校生、美術部という限定された設定なので、高校生がターゲットなのかなと感じました。帯の「すべての人が前向きに〜」とあるのは少しオーバーかな。

様々な年代や職業の読者に届くには、普遍性が必要だと思います。

 

次作(続編)を作るなら、主人公が担任として接する生徒たちの悩みや問題を、美術に関するものだけでなく、恋愛、親子関係、友人関係、進学、就職、家庭の経済問題、人間的成長など多岐にわたるテーマを取り上げてほしいと思いました。

 

 

阿部公彦「文章は『形』から読む」を読んで、「論理国語」の問題点を考えた

阿部公彦「文章は『形』から読む」 集英社新書より
学習指導要領を読む を読み、考えをまとめてみました

 

 

「論理国語」論争

社会から「社会に出たときに接するような文章」をもっと扱えという声が高まり、駐車場の契約書、著作権についての法律の条文が例として示される

新学習指導要領で「論理国語」論争が起こる
「論理国語」ー「社会に出たときに接するような文章」を国語教育に取り入れる科目
これは「論理的な文章」や「実用的な文章」を中心に、文学的な文章を排除するもの
生徒は文学作品に接する機会が減るー批判
筆者は
「論理的なもの」と「文学的なもの」と分けられるのか
行政との認識のずれがある

 

「学習指導要領」の印象

引用
共通必履修科目により育成された資質・能力を基盤とし、主として「思考力・判断力・表現力等」の創造的・論理的思考の側面の力を育成する科目として、実社会において必要となる、論理的に書いたり批判的に読んだりする資質・能力の育成を重視して新設した選択科目である。
                  (高等学校学習指導要領 解説 国語編)


・余計な色がついていない
・ストレートで単純明快
・無味乾燥だが、必要なことは伝わる

「実社会において必要となる」文章の特徴を備える

 

筆者の批判

透明で明晰か
文章がどのように語られるかという表現形式
・内容が列挙的、箇条書き的にならべられている
   |
複数の語がセットになって出てくる
「資質・能力」「思考力・判断力・表現力等」「創造的・論理的思考の」
「論理的に書いたり批判的に読んだりする」
連用形が多用される
「を基盤とし」「を重視して」
・一本調子に文章が進む
・文言の重複がある

 

なぜこのような形をとるか
・様々な会議での討議や行政的な手続きなどがあり、その「まとめ」として書かれている  |
漏れのなさ、「たしかに言ったからな」という一種のアリバイ作り
 |
効果
「どうだ、言うことを聞け」と言わんばかり、君臨し、規定し、従属を命ずる構えが見え隠れする

・立派な文言のオンパレードを続けると、残念ながら文章としてはひどく内容が空疎な、こけおどしのようなものに見えてしまう
・「思考力」「判断力」「論理的」といったことばは、いかにも論理的風情を漂わせているように見えるが、こうした語彙を用いさえすれば明晰な、論理的な議論ができるとは限らない
・「君臨の論理」が先に立ちすぎ、「説明の論理」「伝達の論理」がなおざりにされている・必要な文言をもれなく盛り込みアリバイを完成させることが何より大事、読み手を説得しようなどとは考えていない
・「資質」「論理」「思考」がくりかえされることで、かえって読み手は注意を払わなくなる。力を失い、意味が希薄になる

 

まとめ
文章の「形」に注目すると、文章全体の背後にある意図や構えが見えてくる
・「実社会において必要となる」文章を読むためには、文学作品を読むことで鍛えられるような「形」への意識が必要だ
・誤っていたのは「論理的な文章」「実用的な文章」といった概念そのものだ
・「形があらかじめある文章」と「形が毎日新しく提案・更新される文章」という線引きをするべきだ
・「形」に興味を持つことを通して、文章一般とのつきあい方も深まる

 

なお、本書には、「本章のまとめ」もあります。要旨の確認に役立ちます。

 

次に、私が考えたことを書きます。

「論理国語」と「文学国語」について

論理国語と文学国語に分けられたのは、現場の国語教師の意見を取り入れず、上から新指導要領として下りてきたという印象があります。
「論理国語」の前段階として「現代の国語」を1年生で学ぶのが大半ですが、「現代の国語」で小説5作品を掲載した教科書が検定合格し、他の教科書会社から批判がわき起こりました。あいまいな検定基準が問題になったのです。
また、「論理国語」の教科書に文学作品を掲載した2社が検定に合格しています。
そもそも論理国語と文学国語に厳密に分けることに無理があり、この方針も今後見直されるでしょう。
なお、大学入学共通テストの2025年度では、国語の大問が1問増えます。その内容は「実用的な文章」になる予定です。
新学習指導要領で学んだ高校生が受けることになります。

新学習指導要領は、国語教師だけでなく、全国の高校生に大きな影響を与えています。
大きな改革にはなじみにくい国語科の科目の特性に対して、無理矢理「実用的な文章」という概念を導入したことで、得られるものと失われるものを吟味して対応する力が教師にも高校生にも求められています。