高校国語の再編 読売新聞5月15日(金)朝刊社説

記事内容を要約します
・高校の次期学習指導要領について、文科省が国語科目の再編案を中央教育審議会に示した
・現行の指導要領は論理国語と文学国語を新設し、「論理的、実用的」か
「文学的」かで分けて扱う
・次期案ではこれを改めて文学に触れる機会を増やす
・新設科目(論理国語、文学国語)を次の改定で廃止するのは異例(通常10年は継続だそう)
・現代文を論理と文学に区別すること自体に無理がある
・実態は大学入試で出題される「論理国語」「古典探究」が選択され、文学離れが進んだ
・人は言葉で思考し、人格を形成する。感受性豊かな高校時代は多様な文章に触れるべきだ
・教育の原点に戻り、文字を読むこと、書くことの大切さを考えるべき
・学校現場は今からでも文学を教える工夫をしてほしい
・AIの時代には「自らの考えを論理的に表現、対話する力」「人間ならではの感性」の育成を
・現状は「読み書き考える」基本さえ危うい
・短い動画の受動的な閲覧が習慣となった世代に能動的に学ぶ意欲を持たせること
感想
まあそうでしょう。異論はありません。
平成元年から今年まで、高校で国語を教えてきた私の経験と実感から意見を書きます。
現場で何が起こっているか
・履修による問題
大学入試では評論が中心なので、文学を扱わない方向に偏ります。論理国語、古典探究が選ばれ、文学国語が選ばれない傾向があります。もちろん各学校による違いはありますが、概ねの傾向としてこうなっています。
・実用的な力
話し合い、発表、ディベートなどの活動が増え、長い文章をじっくり読む、多様な文章に触れる機会が減りました。
・教科書の内容の変化
1年生で履修する「現代の国語」では評論文が短く、内容が浅い物になっています。
昨年度は1年生を担当して、大手の出版社の「精選現代の国語」を使いましたが、授業で読んでもスカスカです。
「言語文化」に近代小説や詩歌が掲載されていますが、古文、漢文を教えていると時間が足りず扱えません。
・大学入試との連携がない
推薦入試以外の大学受験生は、ほとんどが共通テストを受験します。これは評論、小説、実用的文章、古文、漢文が出題されます。したがって論理国語と古典探究では小説問題を解く力がつかないのです。
ちなみに今年の国公立大学二次試験で、東京大学も京都大学も小説問題を出題しています。付け焼き刃では太刀打ちできないレベルの問題でした。
・入試問題が複雑化
共通テストでは複数の文章を読ませる問題が主流です。問題文が2種類以上あり、さらに設問に資料を添えてあったり、話し合いの場面が添えられていたりして大変複雑なパターンになっています。
じっくり文章を読解する力というよりも、多様な資料からいかに早く情報を取り出すかという情報処理能力を問われるパターンになっています。果たしてこれで読解力がつくのでしょうか、疑問です。
まとめ
結論から言うと、「論理国語」と「文学国語」を分けた弊害は大きく、失敗だったということです。
そこで提案です。時期の指導要領の案ができるまでに、文科省は現行の失敗の検証を行い、それを公表すべしということです。
そうしないと失敗の原因が究明されず、また同じしくじりをしでかしてしまうからです。失敗の責任のありかを明確にし、放置しないことを求めます。
「失敗の本質」を明らかにせずしてこの国の発展はない、凋落するのみと考えるからです。
こうしているうちにも現行の指導要領に則った国語教育がなされています。
今の高校生、これから高校に入る中学生は、こういった問題があることを知らずに学びます。
生徒のみなさんが対策を立てるのは少し難しいかもしれません。
せめてこの問題を理解した大人が、生徒たちに不利益が生じないよう対処法を提示することが望まれます。