奇跡のスマホ
*今回の記事は、饒舌で長文です。お時間のあるときにどうぞお読みください。
スマホを駐車場で落とし、それに気づかないで車で轢いてしまいました。
帰宅後、スマホがないことに気づき、あちこち探しても見つからず、きっと職場の机の下に落としてきたのだと思い、職場へリターンしました。
いつも机の下に自分の荷物をおいており、スマホもそのバッグの中に入れています。一度スマホをバッグから出し入れしたときに落としたのだと予想しました。
職場の玄関前に停車し、緊張しながら部屋に入ります。
「あれ、ないやん」
この瞬間、嫌な予感がしました。
駐車場までの道をたどり、車を停めていた辺りの真っ暗の地面を探すと、四角い物体が。
「あった、よかった」と思ったのも束の間、手に取ると、全面がひび割れた無惨な姿が。電源も入らない、たぶん死んでいる。
写真ではわかりにくいが、全面ヒビ割れ
裏はほぼ無傷
ケースのおかげかも
がっかり気落ちして帰宅。家族に話すと、siriが英語で反応する。これにはびっくりしました。
「死んでると思ったら、しゃべるやん」
電源が入るか何度も確かめたがだめで、何とも憂鬱な気分がこみ上げてきました。
毎日チェックするTwitterやブログも見れない、メルカリに出品中の購入連絡があるかも、メールは、YouTubeは、スマートニュースは、米津玄師さんのライブのトレードは、ああ、全部できない。
しばらく気力がわかず、ブルーな気分が増してくる。ブルースがやってきた。プチ鬱状態。
ふてくされて就寝しました。
翌朝、キャリアの○○○○○○ショップに行くと、修理の程度はわからないのでアップルで確認せよ、契約者本人でないので、本体の支払いがどの程度残っているか教えられない、機種変更したいなら委任状を持参せよと言って渡された。
「なんや、どうにもならへんやん」まあ仕方がないのでしょうが、キャリアのショップは、あてにならないなあというのが感想です。
パソコンで検索して、結局、アップルのサポートに直接電話しました。これは固定電話を残しているからできること。スマホは使えません。
アップルもネットから連絡しようとすると、確認コードを壊れたスマホに送ってくるという対応に泣きました。
やっとサポートにつながり、状況を説明して、即日修理ができるところを紹介していただきました。
心斎橋アップルストアで夜の時間帯の一枠のみ対応可能というので、予約する。
数年ぶりに心斎橋まで出向くと、そこは喧噪の街。外国人と若者が大勢闊歩する、家にこもりがちの私には非常に緊張を強いられる場所でした。
アップルストアの中は、おしゃれな若者と外国人であふれかえっています。ようやく空席を見つけてほっとすると、お隣は韓国の若者。その向こうは中国からのお客。ストアの店員さんは、英語で応対しています。ここは外国か、と感嘆のつっこみを心の中でつぶやく。
日本は少子化、高齢化で、この先衰退するという言説をネットでよく見かけるが、心斎橋のこの様子を見ると、まだまだ大丈夫、若者いっぱいおるやんと思いました。地方は違うでしょうが。
1時間早く着いたので、読書で時間つぶしをする。
スタッフに声をかけられ、修理の相談をします。電源が入っているので、本体はおそらく大丈夫、データも大丈夫、液晶の交換だけですむかもしれません、と大変丁寧に、かつ、フレンドリーに説明してくれました。
アップルのスタッフの対応はすばらしい、感動しました。アップルのファンでよかった、ジョブズ、ありがとう。
サポートの電話の応対からアップルストアのスタッフの応対まで、本当に丁寧だし、安心だし、申し分ない程良い。これからもずっとiPhone で行こうと思いました。
2時間ほど外で時間をつぶして、きれいに修理されたiPhoneを受け取り、修理代は、3千円台ですみました。これはアップルケアに入っていたため、安くすんだようです。
帰宅後、スマホを見ると、メルカリに出品中の商品購入の連絡が来ていました。
スマホが使えなかったのは、結局一日だけでしたが、自分がどれだけスマホに依存しているかがよくわかりました。便利で、ありがたいのですが、逆に、できるだけデジタルデドックスをしていこうとも考えました。
家族と話す時間、本を読む時間、ギターを練習する時間、筋トレする時間、部屋の片づけをする時間。これらを奪っているのは、スマホを見ている時間です。生活の中で大事にするものを改めて意識した今回の騒動でした。
駐車場がアスファルトやコンクリートの固い地面ではなく、ジャリが撒かれた土の地面だったのも、iPhoneのダメージが少なかった原因でしょう。
しかし、重いBPレガシィに踏まれながらも、全損することなく、液晶の交換だけですんだこのiPhoneを奇跡のスマホと呼び、大事に使っていきたいと思います。