「ひきこもれ ひとりの時間をもつということ」吉本隆明 だいわ文庫
本文は上記から引用しました。
吉本隆明といえば、学生運動の思想的な柱、「共同幻想論」、よしもとばななの父などが思い浮かびます。
名前は知っていても、その著作は未読でした。
今回はタイトルに惹かれて電子書籍で購入し、一気に読み終えました。
2002年に発行された本ということで、少し時代の変化を感じる内容も見受けられます。
難解な語句もなく、語り口調で読みやすい本でした。
一つだけ引っかかったことは、引きこもりの原因が、親の精神状態にあるという記述でした。これに関しては、私が専門的な知見を持ち合わせていないため、その適否を判断できません。
ここでは、その疑問だけを指摘しておきます。
ひきこもりについては、大きな関心を持っています。その理由は二つあります。
一つは、私自身が高校生の頃からひきこもり的な傾向があり、それが社会人になっても変わらず、現在もそうであること。
二つめは、子どもの一人がひきこもり状態にあるからです。
自分自身の問題であり、親としての問題でもあるのです。
自分自身は、こんな人間だ(ひきこもり的な傾向の強い人間)と認識していて、社会生活は特には困っていません。
親としては、子どものひきこもりは、心配ごとであることは間違いありません。
今回の記事は、今、ひきこもり状態にある中高生や大学生、そしてその親の方々の参考になればと思い書きました。
第一章 若者たちよ、ひきこもれ
世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のものです。学者や物書き、芸術家だけではなく、職人さんや工場で働く人、設計する人もそうですし、事務作業をする人や他の人にものを教える人だってそうでしょう。
ひきこもることのマイナスイメージを否定し、むしろ、ひきこもることが必要であるとプラスにとらえている点が重要です。
私は高校で、就職の世話をしていますが、十年以上前からよく聞くのが、「コミュニケーション能力のある人」がほしいという要望です。
言葉数が少なく、何を考えているのかわかりにくい人よりも、社交的で、明るく、誰とでも話ができる人、そんな人物が社会から求められているのです。
たしかに、会社組織にはいろいろな年代や考えの人がいます。その中でコミュニケーションを取ることは、重要な要素でしょう。
しかし、いわゆるコミュニケーション能力の高い人は、高校生の10%もいないのではというのが私の実感です。
これは三十年以上、高校で大勢の生徒と接してきた経験から感じているものです。
さらに、コミュ力の高い生徒が必ずしも学力や人間力が高いわけでもありません。
調子がいいだけで、信用度が低いということもあります。
むしろ、地味で目立たない、控えめである生徒の方が、一対一で話してみると、しっかりした考えを持っていたり、他人への共感力が高かったりします。
コミュニケーション能力を重視する風潮は、今後も変わらないでしょうが、絶対的なものではありません。
家に一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。まわりからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」を持つことが、どんな職業にも必ず必要なのだとぼくは思います。
コロナで休校期間が長かったため、人と会わずに、上記のような状態に置かれた人が多いと思います。
学業や学校生活という面では不幸だったかもしれませんが、コロナによる全国一斉休校は、「分断されない、ひとまとまりの時間」をじゅうぶんに与えてくれたと考えると、意味はあったのかもしれません。
たしかに引っ込み思案で暗い人間は、まわりの人にとって鬱陶しいでしょう。でもその人の中身は、一人で過ごしている間に豊かになっているかもしれない。そしてある瞬間に、「ああ、この人はこういう人なんだ」と誰かが理解してくれるかもしれません。その人なりの他人とのつながり方というのがあるのです。
今では、ネットでのつながりもあります。ひきこもって、学校での人間関係が作れていなくても、日本や世界のどこかの人と、好きなゲームや音楽などで繋がることは簡単です。
いつか、どこかの誰かがあなたを理解してくれる、そう思うと心配することもありません。
ひきこもって、何かを考えて、そこで得たものというのは、「価値」という概念にぴたりとあてはまります。価値というものは、そこでしか増殖しません。
今回の読書でいちばん、心に響いたのがこの「価値」ということばでした。
私たちは何らかの価値を生み出すために生きているといっていいでしょう。
ところが、ひきこもっていると、何の価値も生み出していないように受け取られてしまいます。
時間や人生を無駄にしていると思われがちです。
著者は、ひきこもって考えていること、得たものに価値があり、しかも、ひきこもった状態からしか価値は増殖しないというのです。
何という価値の転動でしょう。価値のコペルニクス的転回です。
たとえば、ひきこもり(的)から大きな価値を生み出しているのが、米津玄師さんです。
その音楽家としての活躍はいうまでもなくすばらしく、今後は世界的に活躍することは間違いないでしょう。
天才と称される米津さんですが、ひきこもり(的)でなかったら、ここまでの才能の発揮と成功はなかったのではないでしょうか。
ひきこもりをマイナスではなく、プラスのものとしてとらえる考え方がたいへん参考になりました。