サン=テグジュペリの「夜間飛行」は、1931年にパリで出版された小説である。
山形大学医学部の2015年大学入試 国語の問題で「夜間飛行」が出題されたので、考えてみた。
なお、問題文は、新潮文庫 堀口大学訳の文章。おそらく著作権の関係でネットには掲載されていない。
私が確認したのは、旺文社 「2016 全国大学入試問題正解」という問題集である。
新訳は、光文社古典新訳文庫、二木麻里訳で出ている。
夜間飛行 (新潮文庫)
夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)
サン=テグジュペリの生涯
「サン=テグジュペリの生涯」ステイシー・シフ著 新潮社 より、問題文の参考になる箇所を引用する。
一種の叙情性をすっかり捨ててしまうことはできなかったが、「夜間飛行」はそれでもさわやかに引き締まった作品に仕上がっている。作品の広がりという点でも優れ、ヘミングウェイの「老人と海」なみに自然との闘いを描いているのだ。
この作品では、三機の郵便飛行機が暗い夜空を飛んでいる。一機はパタゴニアから北上、一機はチリから東へ、もう一機はパラグアイから南へと、三機ともブエノス・アイレスを目指している。そこでは、ヨーロッパ路線の操縦士が真夜中に東へ飛び立とうと待っていた。だが到着したのは二機だけ。ヨーロッパ便は予定通り出発する。その便に、操縦士もろとも猛烈なサイクロンに巻き込まれたパタゴニアからの郵便物は、積まれていなかった。
郵便路線の発達を、厳格そのもののリヴィエールという登場人物ほど注意ぶかく見守ってきた者はいない。リヴィエールの営業主任という肩書きはサン=テグジュペリ自身のそれと同じだが、人物そのものは1931年当時も今もディディエ・ドーラの伝説と重なり合っている。パタゴニアからの郵便とともに死ぬ悲運の飛行士ファビアンではなく、リヴィエールこそがこの小説のヒーローなのだ。
リヴィエールの使命は、彼が考えていたとおり、部下たちを鉄のように鍛えること、訓練すること、自らを克服して郵便輸送というとてつもない仕事に成功するよう仕向けることだった。
リヴィエール自身も「私は正しいのだろうか、それとも間違っているのか?まったくわからない。わかっているのは、私が厳しくしていれば、事故が少ないということだけだ」とつぶやいている。
この「老いた獅子」はある特別な形の勇気に深い敬意を抱いていた。大工の穏やかな幸せや、鉄床の前の鍛冶屋の勤勉さ、自分の土地がふたたび森におおわれないよう闘う庭師の粘り強さといったものに、何よりも敬服していたのだ。
彼の作品の中で、「夜間飛行」ほど巧みに行動と黙想を融合させえたものはない。
この物語は、電報や過去の追想、感情の描写といった一種の文学的モンタージュで、そのすべてが見る者に世界を、感情を交えず正確に、カメラが写し取ったような風景としてみせるのだ。より正確には、パイロットの目がとらえる風景である。
問題文は、パタゴニアからの飛行機を操縦するファビアンの機上での思索と、地上で飛行機の到着を待つリヴィエールの想いを描いている。
翻訳者、堀口大学の詩的な表現が、読解にやや困難さをもたらしている。
リヴィエールは、老職工長ルルーとの会話で、
この老人は、自分の過去の生活に対して、立派な板を一枚みがき上げた指物師の澄んだ満足「これで、仕上がった」というあの尊い気持ちを感じている。
と思う。
自分の重い職務に対し、強い責任感を負う人物の心情。これこそ医学者に求められる人間性の一面ではないか。リヴィエールの立場は、たしかに人の命を預かる医者と似ている。
山形大学が医学部受験生に、この「夜間飛行」を出題したねらいもそこにあるのだろう。
医学部を目指す受験生には、優秀な頭脳や豊富な知識だけでなく、仕事に対するリヴィエールのような態度も求められるのだ。
サン=テグジュペリの小説を読み、人生に思いを巡らすような人間性も当然求められているだろう。
サン=テグジュペリは1944年7月31日、偵察に出撃、地中海上空で消息を絶った。
1998年マルセイユ沖で、サン=テグジュペリの名前が刻まれたブレスレットがトロール船に引き上げられた。
2000年、その海域で、サン=テグジュペリ搭乗機が確認され、2003年引き上げられた。
「星の王子さま」で知られるサン=テグジュペリの「夜間飛行」も、ぜひ一読をお勧めします。