谷崎潤一郎「吉野葛」にある柿の描写が好きなので、その魅力を考えてみました。
次の三点についてみていきましょう。
- 比喩が美しい
- 一文の長さが心地よい
- 感覚に訴える描き方がエモい
その三 初音の鼓
ずくしは蓋し熟柿であろう。空の火入れは煙草の吸い殻を捨てるためのものではなく、どろどろに熟れた柿の実を、その器に受けて食うのであろう。しきりにすすめられるままに、私は今にも崩れそうなその実の一つを恐々手のひらの上に載せてみた。円錐形の、尻の尖った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋の如く膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。市中に売っている樽柿などは、どんなに熟れてもこんな見事な色にはならないし、こう柔らかくなる前に形がぐずぐずに崩れてしまう。主人が云うのに、ずくしを作るには皮の厚い美濃柿に限る。それがまだ固く渋い時分に枝から捥いで、成るべく風のあたらない処へ、箱か籠に入れておく。そうして十日程たてば、何の人工も加えないで自然に皮の中が半流動体になり、甘露のような甘みを持つ。外の柿だと、中味が水のように融けてしまって、美濃柿の如くねっとりとしたものにならない。これを食うには半熟の卵を食うようにへたを抜き取って、その穴から匙ですくう法もあるが、矢張手はよごれても、器に受けて皮を剥いでたべる方が美味である。しかし眺めても美しく、たべてもおいしいのは、丁度十日目頃の僅かな期間で、それ以上日が立てばずくしも遂に水になってしまうと云う。
そんな話を聞きながら、私は暫く手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光とが凝り固まった気がした。昔田舎者が京へ上ると、都の土を一と握り紙に包んで土産にしたと聞いているが、私がもし誰かから、吉野の秋の色を問われたら、この柿の実を大切に持ち帰って示すであろう。
結局大谷氏の家で感心したものは、鼓よりも古文書よりも、ずくしであった。津村も私も、歯ぐきから腸の底へ沁み徹る冷たさを喜びつつ甘い粘っこい柿の実を貪るように二つまで食べた。私は自分の口腔に吉野の秋を一杯に頬張った。思うに仏典中にある菴摩羅果もこれ程美味ではなかったかも知れない。
比喩が美しい
・円錐(えんすい)形の、尻の尖(とが)った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋の如(ごと)く膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい
円錐形、尻、とくれば、女性の体つきを連想させます。谷崎特有の表現です。
風景に女体を見る場面もありました。
琅玕(ろうかん)とは、翡翠(ひすい)のことだそうです。透明なものほど高級だとか。
熟柿がまるで透明に近い翡翠のような美しさがあると言うのです。こんな表現、石好きでないとできません。
・甘露のような甘み
天が降らす甘い露という意味だそうです。中国古来の伝説。漢文の知識ですね。
・私は暫く手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光とが凝り固まった気がした。
一顆の露の玉ですよ、美しい。しかも「山間の霊気と日光とが凝り固まった」ものなんです。
ここで梶井基次郎の「檸檬」の描写を連想するのは私だけでしょうか。
梶井基次郎が「吉野葛」の描写の影響を受けているのかも知れないと考えたのですが、
ちょっと気になるので調べてみました。
すると、梶井基次郎の「檸檬」は、1931年(昭和6年)刊行、ただし初出は、1925年(大正14年)です。
谷崎の「吉野葛」は、1931年(昭和6年)「中央公論」1月号、2月号に掲載です。
初出は梶井基次郎の方が早い、ということは、谷崎が「檸檬」を読んでいたかも知れないですね。あくまで仮定の話ですので、念のため。
・私は自分の口腔(こうこう)に吉野の秋を一杯に頬張った
熟柿は吉野の秋の象徴になっています。その「秋を頬張る」んです。秀逸なキャッチコピーのようですね。
・思うに仏典中にある菴摩羅果もこれ程美味ではなかったかも知れない。
菴摩羅果(あんもらか)とは、なんと「マンゴー」のことでした。知らなかった。
仏典中とあるので、「醍醐味」のような乳製品を思い浮かべたのですが、果物でした。
谷崎の教養の深さがうかがえました。
一文の長さが心地よい
引用した文章をワープロソフト「一太郎」で分析してみました。
「ツール」「文章校正」の「読みやすさ」によると、
文字数は840文字
文数は18文
段落数 3
平均文長 47文字
平均句読点間隔 16文字
文字使用率
漢字 33%
カタカナ 0%
これを平均的な文章である新聞のコラムと比べてみると、
平均文長 40文字
平均句読点間隔 18文字
文字使用率
漢字 48%
カタカナ4%
だそうです。(一太郎より)
平均文長が谷崎の方が長いのはイメージ通りです。
意外なのは、平均句読点間隔が新聞の方が長いこと。
谷崎は、あまり句読点を使わず、長々と続けると思っていたのですが。
漢字の使用率が少ないのは、谷崎の特長です。ひらがなが目立ちますね。
極論すると、古文に似た文章といえるのではないでしょうか。
感覚に訴える描き方がエモい
いいおっさんが「エモい」なんて使うな!とお叱りを受けそうです。
でも谷崎の文章を言い表すとしたら、今はこの「エモい」がぴったりします。
比喩でもいいましたが、女性の体つきに見立てる点は、「エモい」と言っていいでしょう。
それ以外にも、文全体が読み手の感覚に訴えてくることが魅力です。
最後に
ギターの練習方法に「耳コピ」という方法があります。
好きなギタリストの好きな演奏をそっくりそのまままねをすることです。そうすることで上達します。
小説を書くことにも「耳コピ」の方法を当てはめて、好きな作家の好きな表現を「筆コピ」するのはどうでしょうか。
きっとあなたの描写力も上がること間違いないと思います。
さあ、こんな時期だからこそ、うちで「筆コピ」しませんか。