bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

『夏目漱石』十川信介著 岩波新書 を読んで考えた

 

『夏目漱石』を読んで、気になった箇所を引用する。
(一部表記を変えています)

 

彼は続いて十一年四月には市谷上等小学第八級を卒業、同じ年の十月には神田猿楽町にあった錦華学校小学尋常科第二級後期を卒業するというスピードぶりである。これは当時の学制に飛び級があったためだが、彼がいかに勉強に打ち込んだかを証明するものでもある。いわゆる家族的愛情を受けなかった彼は、その「牢獄」から脱出するために、勉学せざるをえない気持ちに追い立てられていたのだろう。加えて、実家に引き取られたとき、「実家の父にとっての健三は、小さな一個の邪魔者であった。何しにこんな出来損ないが舞い込んできたかという顔つきをした父は、ほとんど子としての待遇を彼に与えなかった」と『道草』にはある。

 

胸が締め付けられる一節である。

漱石は、家庭的に恵まれない子供時代を過ごした。養父母や実の父から愛情を感じることがなかった。その気持ちを勉強に打ち込むことに向けたというのである。

普通は、投げやりになって逆に勉強しなくなったり、ぐれたりすることが多いだろう。

さすが漱石は違う。感心した。

 

そして実母の死である。

 

彼が府立一中を中退し、二松学舎で学んだのはその直後のころである。母の死によって、心を許せる人間はいなくなった。その孤独を癒したい気持ちが、彼を漢詩、漢学に導いたのかもしれない。

 

彼は気を取り直してまた勉学を始めた。身を立てるためには、大学に入らなければならない、だがそのためには嫌いな英語を学ばなければならない。中学の正則科では英語は学ばなかったからである。言うまでもなく、当時大学は東京大学のみである。

 

実の父に疎まれ、唯一の愛する母を早くに亡くして、身を立てるため、勉強に励むのである。


大学に行きたいという気持の深さが、現代の高校生たちとは違うように感じた。


芸術で名をなす人は、若い頃の葛藤が成功の原動力になっていることがある。漱石はまさにその例であったことがわかった。


単に秀才だったから、東大に行き、のちに文豪として成功したのではない。
ハートが並の人間とは違う。漱石すごいなと思わせるエピソードである。


英語が嫌いだったというのも興味深い。後に英文学を研究するため、ロンドンに留学するほどの漱石だが、若い頃は苦手克服に努力したことが想像される。

 

夏目漱石 十川信介 岩波新書

 

『月3万円ビジネス』藤村靖之著 晶文社 を読んで考えた

 

『月3万円ビジネス』
藤村靖之著
晶文社

がとても面白かった。


月に3万円しか稼げないビジネスには競争も生じません。だから仲間と協力して進めることができます。みんなで生み出して、みんなで教え合う…「分かち合いのビジネス」が実現できるかもしれません。
グローバリズムの未来に明るい絵を描くのは、もはや脂ぎったオジサンだけでしょう。多くの人が真の豊かさを求めて、ローカル化を指向し始めました。やがては経済が地域で持続的に循環する社会に移ることでしょう。

「月3万円ビジネス」というのは、支出が少ない生活スタイルと重ねることが必須です。でも、その生活スタイルが愉しくなくては、不幸せになってしまいそうです。

 

月3万円と聞くと、小銭が稼げる副業を連想するが、そうではない。自分だけ得をするとか、儲けのいい仕事とかと全く逆のことである。
私も脂ぎった人は苦手だが、世の中の主流は、まだグローバリズムであったり、経済発展であったりする。
真の豊かさを求めてローカル化を指向するという考えは、内山節先生の主張とも重なる。詳しくは、『半市場経済』に書かれている。


第二章「月3万円ビジネス」の実例 では、21のビジネスが紹介されている。どれも初めて知る興味深い内容である。
その中で自分でもやってみたいと思ったのは、無農薬緑茶自家栽培ビジネスである。
お茶の栽培には大量の農薬が使われているそうだ。そこで自分で無農薬のお茶を作り、それを飲むと言うことがやりたくなった。ただし、ビジネスではなく、自家消費用にである。
緑茶は健康にも良いそうだし、毎日何杯かは必ず飲んでいるので、無農薬の安全なお茶を飲みたい。また、緑茶の栽培には1キログラムあたり2平方メートルほど必要とあるので、そんなに広い土地は必要でない。田舎であれば、自宅の狭い庭で充分だ。手軽に挑戦できそうである。


第三章 地方で仕事を作るセオリー


僕たちの世代は過激でした。
レーニンや毛沢東の本を読んで、わかったような気分になって「正義」を振りかざしていました。どうやら自分に酔っていたようです。
大きなことばかり叫びます。自己陶酔の極みです。でも余裕がない。余裕がないから攻撃的になり、挙句の果ては孤立して挫折します。
30年もこんな人生を送ってきて得られた教訓はたった一つ。「人は正しいことが好きなのではなくて、愉しいことが好きなのだ」ということでした。
主題は正しさではなくて愉しさーこの方が気が利いているような気がします。いいことを愉しくやる。誰でも参加できます。「大きいことを言うだけ」はオジサンに任せて、いいこと、小さいことをみんなで愉しくやる。小さければ小さいほどいい。その方がすぐに取り掛かれるし、誰も反対しない。結果も出やすい。結果が出ると、広く伝わって多くの人が同調して社会の変容がもたらされるかもしれません

(引用の一部に省略があります)


著者の藤村裕之さんは現在70歳代。学生運動を経験してきた世代であろう。正しいことよりも、愉しいことを追求するという主張に共感した。愉しくなければ持続することが難しい。


私も、長年生きていると、しかたなくするとか、やらなければならないからやるという発想にならされてしまい、やっていて愉しいという感覚が持てなくなってしまう。
また都会暮らしをしていると、自分の手で何かを作ることがなくなり、何でもお金を出して買うことに慣れきってしまう。


著者の勧めるビジネスは、体を動かすことが多い。自分の手で何かを作る。そこに本当の愉しさがあることに気づかされる。


自分の生活を振り返ってみると、ネットで欲しいものを見つけては買い漁ることが多かった。その時は欲しいと思っても、手に入れると必要なものではなかったり、気に入らない点が出てきたりして、使わなかったことをもある。
消費することでストレスを解消していたことがわかった。


なんらかの手仕事をすることで、充分に心も満たされると思う。シンプルなものでも手作りであれば愛着が湧く。


自分には、今すぐ月3万円ビジネスに取り掛かるのは無理であっても、長期的に指向していきたいと考えた。


興味を持たれた方は、ぜひ一読をお勧めします。

 

月3万円ビジネス 

 

『半市場経済』内山節 角川新書 を読んで考えた その2

 

『半市場経済』内山節 角川新書 を読んで考えた 

 http://bluesoyaji.hatenablog.com/entry/2017/02/02/191149

続きです。

 

引用

課題はどんな社会をつくりたいのか、どんな社会のなかで生きていきたいのか、どんな結び合いのなかで、どんな働き方がしたいのかである。
別の表現をとるなら、どんな価値を創造しながら生きていきたいのかだといってもよい。そしてそれを追求していくと、必然的に、市場経済の原理だけで形成されない、あるいは市場経済の原理を超えた経済活動にたどり着く。市場を活用してはいるが、目的は市場経済の原理とは別のところにある営みである。本書ではそれを「半市場経済」と位置づけているが、それは人間たちの本来の経済活動でもあった。

  
本書のタイトルに関して述べられた部分である。「半市場経済」とは、「人間たちの本来の経済活動でもあった」という点に注目したい。

「半」という語からの連想で、片足を現在の市場経済に置きながら、何か新しいことに取り組むというイメージを抱いてしまうが、そうでない。むしろ、「本来の経済活動」と述べられているように、本質的なものである。

もう一つ、ここでは「価値を創造しながら生きていきたいのか」という表現に、注意したい。

私たちは生きていくうえで、何らかの価値を創造するという視点を忘れてはいないだろうか。単に働いて金を儲けて消費して、生きている。そこに価値の創造はあるのかと自問してみる。生きてるだけで丸もうけという考えもあるが、それはさておき、内山先生のこの言葉に、自分が生み出す価値ということを改めて考えさせられた。

さらに続ける予定。

 

 

「論理的に考える/書く」は、人間の本能とは異なるので、身につけるには辛抱強い訓練が必要。安達裕哉 を読んで考えた

 

 http://blog.tinect.jp/?p=36542

人間は元来「論理的に考える」のは苦手である。
脳の構造そのものから逃れることはできない。
逆に「論理的に考えること」は訓練次第で身につく、と考えることもできる。
例えば、国語の勉強である。
「主人公が次のような行動をしたのはなぜか?理由を説明せよ」といった理由を尋ねる設問がある。何回も何回も「○○だから。」と語尾につけて解答し、それにマルバツをつけられていくうちに、「スジが通っている」「通っていない」を徐々に判断できるようになっていく。
「著者のいいたいことは何か?要約せよ」という設問に、多くの人は文中に書かれていることではなく、「自分が思ったこと」を答えてしまう。
中略 

「国語」は非常に重要な訓練の場なのだ。

「学校教育は役に立たない」と言われがちだが、社会に出てから必要な技能の訓練方法についての知恵が、学校教育には数多く含まれている。

ちょっとした「研修」や「読書」で身につくタイプの技能ではないのだ。
従って、もし部下/新人が「論理に弱い」のであれば、それは学校教育と同じような、辛抱強い訓練が必要であることを意味する。

 

ざっくりと趣旨を抜き出すとこうなった。


筆者の意見には同意である。その上で考えた点をいくつか述べたい。

 

高校の国語の授業で行っていること

 

評論では、段落要旨の抜き出しをする。著者の意見や主張が書かれている部分を探し出し、抜き出す。
接続語の「つまり」の後には大事なことが書いてあるから注意する、何度も同じ言葉が出てくると、それがキーワードだから注目する。

 

小説では、登場人物の心情を読み取ることが大切である。
これこれの行動をした、こんな表情だ、といった本文の内容から、客観的に見て、登場人物は「孤独感を感じている」「絶望している」などの心情を考え出す作業を行う。
たとえば、夏目漱石「こころ」で、友人Kが自殺した場面がある。

主人公の私は、Kが残した遺書をその場で読み、自分のことを悪く書いていないことを確認し、そのまま遺書をその場に戻すという行動をとる。
そのときの私の心情を考える。Kが私を非難する内容を遺書に書いていないか、とにかくそれが一番気になる。確かめると、そんなことは書いていない。私はホッとする。

私には自分のせいでKが自殺したという思いがあるので、遺書に自分に都合の悪いことが書いてあると困るからである。逆にそんなことは何も書いていなかった=私はKの自殺とは無関係の証明になる。だから、遺書を元通りに現場に置いておくという行動をとる。
「こころ」を読んだ高校生は、これらのことを問いかけられて初めて気づく。そういう作業を意識的に行わないと、自分で考えて気づくことができない。

 

論理的に考えるようになるには、文章を書くことが一番である。小論文を書いてみることをおすすめする。


具体的には、「型で習得!中高生からの文章術」樋口裕一 ちくまプリマ-新書
第二章 小論文の書き方 の中に、「型を守ろう」という詳しい説明があるので、これを読んでその通りに実践すると書けるようになる。

中高生を対象としている本だが、大学生や社会人で、論理力を身につけたいと考える人に、特におすすめである。

第一学習社や学研といった「小論文・作文」指導に定評のあるところやリクルート等が、社会人向けの小論文添削指導を安価で提供すればよいと思うが、どうですか。

 

型で習得! 中高生からの文章術  ちくまプリマ-新書

 

 

国語教師が薦める現代文参考書ベスト3 その2

 

今回は、小論文の参考書を紹介する。

田村のやさしく語る小論文
田村秀行
代々木ライブラリー

 

センター試験廃止後の新テストでは、国語、数学に記述問題を取り入れるという。誰が採点するのか。大学の先生も大変ですねと心配してしまう。

現在の入試でも国公立大学の二次試験では記述問題が多い。では、わざわざ新テストを導入しなくても、今のままでよいのではないか。昔は国公立大学一期校、二期校と入試があって、それぞれ個別に試験を受けていた。それでいいのではと思ってしまうが。
現在の高校では、記述問題や小論文を説く力を付けるための授業は、まず行っていない。現代文と国語表現という授業の中で、文章を書くことを扱うことはあるが、記述問題や小論文に特化した講座は少ないだろう。
記述問題は別の機会に考えるとして、小論文を書く力を付けるためにはどんな勉強をすればよいのか。

よく高校生から聞かれるが、その時にはこの「田村のやさしく語る小論文」をまず読むことを薦めている。これが一押しだ。

内容は、
第一部 小論文について知っておくこと
第二部 小論文の書き方の約束
第三部 小論文のための訓練法
となっており、第一部は語り口調なので、活字が苦手な高校生も取っつきやすいだろう。作文と小論文の違いといった基本や、どんな勉強をしたらよいか、新聞のどこを見ればよいかなど、わかりやすく、しかも本質を丁寧に教えてくれる。

難しいことを難しく表現する書き手は多いけど、難しいことをやさしく表現する人は少ない。田村先生は本当にわかりやすい。

一部引用をする。

新聞のどこを見ればよいのだろうか


 まず、コラムは、文章になっていないから、ダメ。あれは、途中に▼の印が出てきて「。」で区切ってないでしょ。だから、接続語や指示語でつながれてないし、▼のところで話が飛んじゃってるからいけないの。それから、最後に必ず政治家の皮肉になるというワンパターンもよくない。


朝日新聞「天声人語」神話の否定。そのとおりだ。

 

全部読むことは当然大事だが、時間がない人は、言葉づかいや記号の使い方など、ちょっと気になることを、目次で調べてそこを読むという勉強方法がお勧めである。

目次には具体的な項目がたくさん並んでおり、これを眺めるだけでも小論文の勉強の全体像がつかめる。

受験生だけでなく、教え子から小論文の添削を頼まれた先生や、うちの子供に書く力を付けたいと思っている保護者のみなさん、小論文を書く訓練を受けてこなかった大学生にもぜひお勧めである。

 

田村のやさしく語る小論文―代々木ゼミ方式 https://www.amazon.co.jp/dp/489680340X/ref=cm_sw_r_cp_api_cjfQybGR99ZR8

 

『半市場経済』内山節 角川新書 を読んで考えた

 

『半市場経済』
内山節
角川新書


内山節先生の著作を愛読してきた。
働き方について書かれた本とあるのに惹かれて読んでみた。
内容が深く、読後にズシリと重く響いてきたので、何回かに分けて記録しておきたい。

 

神話の終焉
今の日本の若い世代は2つのことを知っている。1つは、経済成長が幸せの基盤ではないことであり、もう一つは、現在の企業社会での労働が人間たちを幸せから遠ざけているということである。

 

今の若者の親の世代がちょうど高度経済成長期に育ち、バブル期に働き出した世代ではないか。
そうであるなら、著者のいう2つのことを理解している親の世代は少ないはず。
経済成長を求め、企業社会で生きることを当然だとしてきた世代。
親子の確執があちこちで起こっていないか?


先進国が富を独占する時代は終わり、それは大学新卒者の4分の1が非正規雇用になる時代、全体の4割近くが非正規雇用になる時代を生み出している。しかも正規雇用の職場でも、ブラック企業というしかないような働き方を強いる企業が広まっている。

 

現在は、高卒の半数が大学に進学をする時代。まずは正規雇用を目指すことになる。新卒一括採用というレースに勝ち残らなければならない。
しかも、ブラック企業が至る所に存在する。電通事件の記憶も生々しい中、一流企業とされてきた会社も中に入るとブラック企業だったということが、充分に起こり得る。
私が今の若者なら本当に悩みこんでしまいそうだ。どうすればいいのか?

 

新しい経済デザインと社会デザインを
振り返ってみると、1960年代から80年代にかけても、戦後的生き方に幸せを感じない人々は存在していた。70年代には「脱サラ」と言う言葉が流行したし、都市を捨てて農業を志す人たちや陶芸などの手仕事を目指す人が生まれてくるのも1970年代である。企業との関係を唯一の「縁」として生きることの鬱陶しさは、この時代にも認識されていた。
中略
しかし今日の様々な動きは、それだけに支えられているのではない。世界史的には先進国の凋落と言う現実がある。雇用や労働の質は劣化し、より多くの消費など不可能な人々も増加してきた。グローバリズムという言葉とともに、経済の部面では市場原理主義が蔓延している。露骨な競争が経済社会を覆い、何のために働くのかもわからなくなってきた。これまでの価値基準で生きようとしても、圧迫感に追いかけられるばかりなのが今日の状況である。それは必然的に、この社会を変えなければ、私たちはどうにもならないところにきているのではないかという思いを人々にいだかせる。

 

長い引用になったが、特に後半のグローバリズム云々は、アメリカのトランプ大統領の選出との関連性を思わせる。


数年前に大学の説明会に参加すると、どの学校もグローバルな人材を育成しますと声高に話していたことを思い出した。私らの世代は、海外留学すると日本の企業には就職出来ないと言われていたので、この変化に違和感を感じた。


グローバリズム=拡大、進化、発展とのイメージだが、間違いだった。
行き詰まり、格差、対立。これが現状か。内山先生は、どう考えているのか。

 

明らかになってきた事は、社会デザインと経済デザイン、自分たちの生き方のデザインは、一体的に構想していかなければいけないということである。

 

内山先生は、難解な内容を平易な言葉で表現される。これが最大の魅力であり、読書の味ともなっている。
次回に続く

 

半市場経済 成長だけでない「共創社会」の時代 (角川新書) 

 

 

国語教師が薦める現代文参考書ベスト3 その1

 

新・田村の現代文講義  代ゼミ方式1

評論編

田村秀行  代々木ライブラリー


現代文には、客観的な解法があるということを最初に説明した参考書として画期的だった。

あくまで本文の客観的読解と分析をすること、設問の意図をくみ取り、選択肢を見極めること、自分の意見や感想は頭から追い出すこと。
これらを知らずに、現代文は日本語だから簡単だとか、読書すれば解けるようになるとか、フィーリングで解けるとかいろいろいう人がいるが、すべて間違いである。
まず本文を読む。その後、設問を読む。この基本を理解しよう。


田村先生は、設問を先に読んでしまうと、設問作成者の意図が先に頭に入り、本文執筆者つまり作者、筆者の意図が正確に読みとれないと言う。
そのとおりだ。


この「現代文講義」がでた後、すぐに「例の方法」という参考書が出たので読んで比べてみた。こちらの本は、先に設問を読むことで、本文を読まなくても正解が導き出せるというトンデモナイことを書いてあって、驚いた。
大学に入ってからも必要な読解力を身につけることを完全に無視して、受験で点取ればよいという考えなのが残念だ。

 

田村先生の言うとおりに本文をまずしっかり読む。その時に、重要だと思う部分にペンで線を引くという作業をする。接続語をマルで囲む。目だけでなく、手で読む作業を伴う。これが必須だ。
最初はどこに線を引けばいいかわからないが、何度も繰り返し出てくるキーワードや筆者の主張、意見が書かれている部分など、大事そうだと思う部分に線を引く。これは、数をこなして慣れることが必要だ。


現代文が苦手という人はほとんど、目印を本文に付けるという作業をやっていない。後で設問を見て考えるときに、本文に目印がないと、また最初から読み直さなければいけなくなり、時間の無駄だ。線を引いた部分を中心に前後を見て、設問の解答の根拠を探す作業をする。これが入試現代文に求められる知的作業だ。

 

現代文が苦手な人は、この作業を勘だけでやっている。一回読んだ記憶の中だけで、目印なしで探すのだから、大変だ。

設問の選択肢は、この本文の根拠を言い換えてあったり、短縮してあったりしているものが正解になる。


センター試験はあと数年でなくなるが、マーク式問題は私大を中心に、無くなることはないだろうから、田村先生の説く、選択肢の見分け方をマスターしておくことは絶対必要だ。
細かいことは「現代文講義」を読んで学んで欲しい。大事なことは、田村方式を身につけると、応用が利き、どんな内容の文章であっても、ある程度の点が取れるようになると言うこと。つまり、安定した国語得点が見込めるようになる。この安心感は大きい。


今年2017年のセンター試験でも、国語の平均点が、昨年度より20点ほど低くなったと報じられた。国語が得意な上位層は影響がないが、やや不得意な人は、影響をもろに受けてこの20点ほどに泣いたのではないだろうか。特に理系の人たち。20点少々と言えば、難易度ランクで2ランクぐらい下がってしまう。出願先の変更を余儀なくされてしまう。これは気の毒だ。


これから受験を控えている方は、田村の「現代文講義」をマスターして、ゆらぎのない安定した読解力を身につけて、志望校に合格して欲しい。

 

 新・田村の現代文講義―代々木ゼミ方式 (1) 評論〔基本問題〕篇 https://www.amazon.co.jp/dp/4896803728/ref=cm_sw_r_cp_api_ggfQybCDCR072

 

 

化石採集 勝浦町 山歩き

 

 


勝浦町で再び化石の採集に挑戦しました。
お正月なのに暖かい日で、沢を登り始めると、汗をかくほどです。

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あちらこちらに先行者が石を割った形跡があります。それをおこぼれがないか一通り確認してさらに登ると、黒い泥岩の転石の中に、貝の化石が入っているのを見つけました。

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辺りをよく見回すと、一抱えほどの落石に貝の化石が密集しているものが見つかりました。堅くてハンマーでは割れません。近くに片手で持てるサイズの石を見つけてそれを割り、採集することが出来ました。

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白い部分が貝化石です

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もう少し登ると頂上ですが、時間切れで化石の路頭は確認できませんでした。

白亜紀の地層なので、1億年以上も前の貝です。しばし悠久の時間を想います。

 

登りは夢中でどんどん上がることが出来ましたが、下りはルート取りを間違え、身動きできなくなるときもあり、慎重に下りました。

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このピンがすごいグリップ


今回は、ピン付きの地下足袋を着用しました。これがグリップ絶大です。急な斜面でも安定した足取りで、体がふらつくことなく登れました。下りもルート間違いをのぞいては、滑ることなく安心して下ることが出来ました。さすが山仕事用の地下足袋です。
今までは登山靴や、トレラン用のシューズでしたが、ハードな場所ではよく滑りました。ピン付きの地下足袋の威力を体感しました。靴下は五本指ソックスを履いています。
地下足袋なんてかっこわるいかなと思っていましたが、山では実用的なものが一番と見直しました。

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壮快堂 スパイクシューズ 朝霧 I-88 

 

 

投資家が「お金」よりも大切にしていること 藤野英人著 星海社新書 読書感想

 

投資家が「お金」よりも大切にしていること

藤野英人

星海社新書

 

お金、働くと言うこと、社会貢献、自他の幸福、金融教育、世の中を良くすること、変化こそ安定
これらの項目について、著者の考えがわかりやすく書かれている。
学校教育の中では、こういった項目について、その本質を学ぶことがない。
著者は具体的なエピソードを引きながら、これらの本質を提示する。それが解りやすく、説得力のある内容なので、非常に読み応えがある。高校や大学の教養課程で学んでおく必要のあることだと思う。
例えば、「人を信じられず、お金しか信じられない。それが日本人の本当の姿なのです。」「自分の喜びは他人の喜びにつながり、他人の幸福は自分の幸福につながる。だから、みんなの幸せを考えることが、最終的に自分の幸せを考えることにつながっていく」などの言葉が印象に残る。
著者も「自他不二」と言うように、大乗仏教の教えに通じるものがある。

若者にとって先行きの見えない現在の閉塞感は、これからの社会がどうなっていくのか、会社で働くとはどういうことなのか、お金を稼いで生きるとはなどの根本的な問いに対する答えをきちんと提示できる大人が少ないことからも来ているのではないか。
本のタイトルが「投資家〜」とあるので、一部のお金に興味のある人向けの本だと思われてしまうかもしれないが、全く違う。
若者だけでなく、いい年をした大人も考えておかなければいけないお金の本質を示した内容である。

著者の語り口は、誠実で、情熱にあふれている。この日本の現状をなんとかしたいとの思いが感じられる。ぜひ一読をお勧めします。

 

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恐竜の里ウォークラリー続き

 

 

 

化石を採集しました。
恐竜の骨は見つけられなかったけど、小さな貝の化石が入った石をいくつか拾いました。
出発地点にもどる途中で、一緒になった小学生に話しかけると、何も見つからなかったと言うのであげました。f:id:bluesoyaji:20161225195637j:image


これは1個だけ持ち帰ったものです。

小型のシジミのような二枚貝が10個ほど、2センチくらいの巻き貝が1個入っています。
化石クリーニングに挑戦しました。

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本やホームページに載っているクリーニングのやり方を参考に、挑戦しました。

 

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母岩が堅くてうまく削れませんでした。技術と根気のいる作業です。
早々とあきらめて、別の石で練習します。

 

化石クリーニングの練習用に購入した石

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北海道産アンモナイトが見事に入っています。

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立川でもこんなのを見つけてみたい。

でも、化石が出来たときの条件が北海道とは違うので、難しいそうです。

 

岩石や化石に興味を持つようになり、調べていくうちに、徳島の自然の豊かさ、面白さを知ることが出来ました。


徳島に帰省する度に、石探しに出かけます。