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「失われた時を求めて」
1スワン家のほうへ Ⅰ
吉川一義訳 岩波文庫
長いこと私は早めに寝(やす)むことにしていた。ときにはロウソクを消すとすぐに目がふさがり、「眠るんだ」と思う間もないことがあった。ところが三十分もすると、眠らなくてはという想いに、はっと目が覚める。いまだ手にしているつもりの本は下におき、灯りを吹き消そうとする。じつは眠っているあいだも、さきに読んだことをたえず思いめぐらしていたようで、それがいささか特殊な形をとったらしい。つまり私自身が、本に語られていた教会とか、四重奏曲とか、フランソワ一世とカール五世の抗争とかになりかわっていたのである。目が覚めても、数秒の間はそのような想いが残り、べつに私の理性に齟齬をきたすこともなく、目の上にうろこのように重くかぶさり、そのせいかロウソクが消えているのかもわからない。ついでその想いも、やおら理解できなくなるのは、霊魂が転生したあとでは前世で考えたことがわからなくなるのと同じである。
注「寝む」の読みを(やす)とつけました。原文はルビ。
第一篇「スワン家のほうへⅠ」
高遠弘美訳 光文社古典新訳文庫
長い間、私はまだ早い時間から床に就いた。ときどき、蠟燭が消えたか消えぬうちに「ああこれで眠るんだ」と思う間もなく急に瞼がふさがってしまうこともあった。そして、半時もすると今度は、眠らなければという考えが私の目を覚まさせる。私はまだ手に持っていると思っていた書物を置き、蠟燭を吹き消そうとする。眠りながらも私はいましがた読んだばかりの書物のテーマについてあれこれ思いをめぐらすことは続けていたのだ。ただ、その思いはすこし奇妙な形をとっていて、本に書かれていたもの、例えば教会や四重奏曲やフランソワ一世とカール五世の抗争そのものが私自身と一体化してしまったような気がするのである。そうした思い込みは目が覚めても少しの間は残ったままだ。それは私の理性を混乱させることはないが、鱗のように目に覆いかぶさるので、燭台の灯がもう消えているかどうかを確かめることはできない。だが、かような思い込みはしだいに意味不明なものに変わってゆく。あたかも輪廻転生を経たあとの前世の思考のように。
第一篇「スワン家の方へ
鈴木道彦訳 集英社文庫
長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。ときには、蠟燭を消すとたちまち目がふさがり、「ああ眠るんだな」と考える暇さえないこともあった。しかも三十分ほどすると、もうそろそろ眠らなければという思いで目がさめる。私はまだ手にしているつもりの本をおき、明りを吹き消そうとする。眠りながらも、たったいま読んだことについて考えつづけていたのだ。ただしその考えは少々特殊なものになりかわっている。自分自身が、本に出てきたもの、つまり教会や、四重奏曲や、フランソワ一世とカルル五世の抗争であるような気がしてしまうのだ。こうした気持ちは、目がさめてからも数秒のあいだつづいている。それは私の理性に反するものではないけれども、まるで鱗のように目の上にかぶさり、蠟燭がもう消えているということも忘れさせてしまう。ついでそれはわけの分からないもになりはじめるー転生のあとでは前世で考えたことが分からなくなるように。
私が一番読みやすかったのは、吉川訳の岩波文庫です。
難しい言葉や漢字が少ない、文が短めでつながりがわかりやすいという印象でした。
「蠟燭」と「ロウソク」、 「鱗」と「うろこ」など
一太郎で文章の読みやすさを調べてみました。
吉川訳は、総文字数が少なく、文数も8文で最少でした。漢字も20%と少ないです。
ちなみに新聞コラムの測定値は、平均文長40文字、漢字使用率48%だそうです。
吉川訳は、簡潔で、文の意味がつかみやすいという特長があると思います。
私は谷崎潤一郎の文体が好きで、一文の長い文章には慣れているのですが、「失われた時を求めて」は、どちらかというと、簡潔で短めの文章が読みやすいと思いました。
みなさんも自分にとって読みやすい訳の本を選び、このやっかいな長編小説の読了を目指しませんか。