21世紀の感染症と文明 山崎正和 を読んで考えた
続きです。今回は第2章にあたります。
当面の恐怖と不安の特殊性
8感染症は見えない敵のため、不安は倍加する。
9そのうえ、恐怖がいつまで続くか、先行きが見えないため焦燥を煽る。スペイン風邪は三波にわたり、コロナは、何波が襲来するかわからない。
10この災害が耐えがたいのは、対抗して「する」ことがないためだ。国民に要請されたのは、外出しないこと、出勤しないこと、営業しないこと、何かをすることの正反対である。
11欧米など諸外国の政府は、都市封鎖や外出者に罰金などの荒業を行ったが、日本の国民は自分の意志で何かを「しない」という決断を強いられた。
12目下働いているのは医療従事者と輸送や物流を支える人々である。一般国民は彼らの奮励や自己犠牲を見て、自分が何もしていない現実を思い知る。
13近代人は休むことが美徳であることはなかった。特に日本人は近代以前から勤勉で、休むことが奨励されたことはなかった。
14もう一つ、近年のボランティア活動の普及である。阪神淡路大震災以降に定着し、日本人の社会意識の大きな転換を反映した。何の縁もない被災者を救済した。
15これは日本人の新しい公徳心の目覚めと考える。しかし、今回は助けに行か「ない」ことが美徳とされる。国民は深いところで耐えている。
16政府もジャーナリズムも、コロナとの闘いをいいながら、負け戦のような有様に重点を置き、攻めの部分を十分に伝えないのは奇妙である。治療法と特効薬の発見については情報不足が著しい。
17日本人の糧になるのはワクチンの開発段階の情報である。
感想
阪神淡路大震災は、1995年。あの時、大勢のボランティアが、バイクや車や徒歩で被災地に駆けつけたことは、被災地に住んでいた私もよく覚えています。
山崎先生は、1995年まで大阪大学の教授をされていたので、阪神淡路大震災のことは、よくご存じなのでしょう。
阪神淡路大震災の時に、倒壊した家屋の下敷きになった人を救助したのは、自力で脱出が35%のほか、家族32%、友人や隣近所の人が28%、通行人2.6%、救助隊1.7%
内閣府防災情報のページより
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h26/zuhyo/zuhyo00_02_00.html
つまり、プロに助けられた割合は、1.7%しかなく、ほとんどが、家族、隣近所、通りすがりの他人に助けられています。
国内でボランティアの機運が高まる以前に、被災地では、他人が人命を助けるという行為を行っていたことになります。
山崎先生の言う「日本人の新しい公徳心の目覚め」が、コロナによって、後退するのではないでしょうか。
今回のコロナには、ボランティアが活躍できないという点でも、特殊性があります。
子ども食堂が開けなくて困っているというニュースがありました。同様の事例は全国中に見られるのでしょう。
逆に、自粛警察と言われる、ゆがんだ正義感によるボランティア(?)は、活発に活動しています。
また、感染者の少ない自治体が、都市部からの帰省や来訪を拒むという事例が多発しました。
コロナを恐れる心情は理解できますが、地方と都市部の分断につながるのは、残念です。
私も半年以上、一人暮らしの親のもとに帰省できていません。
県外ナンバーの車に投石やあおり、傷付けなどが多発した県なので、帰省するのもはばかれるなあと思案しています。
ボランティア活動の制限、都市住民と地方在住者の分断がコロナ後の日本の社会の特徴であるなら、「歴史の転換点を刻印するものになる可能性が十分ある」ものかもしれません。
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