21世紀の感染症と文明 山崎正和 中央公論ダイジェスト コロナ・文明・日本 を読んで考えた
中央公論7月号に掲載された山崎正和先生によるコロナの論考を読みました。
コロナに対するとらえ方が、大変参考になったので、自分の勉強のためと、みなさんへの紹介もかねて、数回に分けて掲載します。
今回は第1章。
まずは、形式段落の要旨です。
通し番号は形式段落ごとに、私が付けました。
世界史的な時間への復帰
1コロナウイルス肺炎の蔓延は歴史的事件である。
一つは画期的な惨事として未来の文明に影響を残す点。
もう一つは近代人の傲慢に冷や水を浴びせ、過去の文明への復帰を促す点である。
2近代化により、人びとは昔とは別世界にはいったと妄信したが、悪疫の流行による惨事はこの傲慢をあざ笑った。中世のペストや日本の瘧(熱病)と違いがない。今回のウイルスは逃げ場がないという意味では前近代と同じである。
3現代人の不安と恐怖は、中世人より過酷である。中世は死が日常にあって、人びとはそれに耐える感性を備えていた。
4民衆は信仰心も強く無常感も身につけていた。
5現代人は死から目を背ける習慣を養ってきた。特に第二次世界大戦後の日本人は、長寿社会で死を直視する強靱さを失ってきた。コロナによる死者の数を知り、死が他人事ではない恐怖を深く感じている。
6パンデミックの記録はあまり記憶されていない。スペイン風邪は日本人だけでも39万人の死者を出したが、容易に忘れられたのは、第一次世界大戦の終末期だったからだ。人心が人間の死に慣れ、平和の興奮に湧いていたからであった。
7二〇年後、第二次世界大戦も起こり、スペイン風邪は歴史的記念碑とはならなかった。
新型コロナ肺炎は独特であり、歴史の転換点を刻印するものになる可能性が十分ある。
考えたこと
コロナについては、マスコミでは自然科学の専門家の独壇場となっていますが、人文科学の専門家の出番はないのでしょうか。
いや、むしろ人文科学の知見が求められる出来事だと考えます。
コロナウイルスの蔓延を考えるとき、過去のパンデミックと比べる論が見られます。
以前の記事で紹介した、こちらもそうでした。
私たちは、スペイン風邪から教訓を学べていなかったことは指摘通りです。
東北大震災でも、「三陸海岸大津波」吉村昭 で過去の大津波の詳細なルポルタージュがありましたが、備えができていませんでした。
私たちは、平和な生活に麻痺してしまい、パンデミックや大災害などは、無縁のものと思い込んでいたのかも知れません。
その現代人の弱点を突いて、今回のコロナウイルスの蔓延は、発生しました。
当然、今までの社会のあり方や個人の生き方では通用しないものがどんどん出てきます。
山崎先生は、過去の日本人のあり方を引用して論じています。
ひとつ気になったのは、日本人の「無常感」というように、「無常観」ではない「感」を使っていることです。
形式段落4で、「無常感」が使われています。
「観」とは違うことを強調しているのかと思いましたが、文脈から考えて、ここは「観」ではないかと思うところもあります。
厳密に校正しているはずなので、間違いではないでしょうが、かなり気になりました。

- 価格: 950 円
- 楽天で詳細を見る