2022年京都大学 前期 国語 文系学部
第二問 高橋和巳『〈邪読〉について』
形式段落の内容をまとめました
1 「千夜一夜物語」の語りは、物語が物語を生み、登場人物が語り出した物語の中の人物がまた一つの物語を語り出す
2 これはアラビア文化圏特有の存在論が背後にある
3 私は青春の一時期、この発想に近い読書の仕方をしていた
4 死の誘惑から逃れるため手当たり次第に読書した。読んでいる時の思念は気ままな膨張をした
5 当時、的確精密な要約をする友人がいたが、私はそれができず妄想的読書にのめり込んだ
6 これは邪読であり、自己を一たん無にして他者の精神に接するべきであり、確実で体系的な知識を身につけるために読書すべきである
7 しかし、邪なるものには悪魔的魅力があるものだ
8 ある領域に長じるための唯一の方法は、それに耽溺することである。それは客観的精神の芽生えと矛盾しない
9 耽溺のあと忘却がやってくるが、これにも意味がある
10 創造的読書は必ず忘却を契機とする
11 読書は大部分の消失がなければ、精神の自立はなくなる
12 ものごとは失いかけた時にそのことの重大さを意識する。邪読についても同じである
13 邪読は一つのあり方で、他の読書のあり方を排除するものでない
14 求道型や生活の知識、知恵を得るため、存在の奥底から発するものなど、その人の個性にあったかたちを造り出せばいい
15 理想はさまざまの読書の型をそれぞれの人生の時期に経過することにある。しかし、人は一つの読書のあり方に比重をかけたまま人生を終わらざるをえない
問一 傍線部1(こうした発想法)はどのような発想法か、説明せよ。
「こうした」は直前を指します。1段の「物語が物語を生み~」と、ある物語から別の物語が次々と派生していくような発想法のこと。
問二 傍線部2(しばしば自分の読書の仕方に対するある後ろめたさの念におそわれた)について、筆者が「ある後ろめたさ」を感じたのはなぜか、説明せよ。
友人との対比を説明します。
的確精密に理解したことを要約する友人の読書法に対し、自分はそんな仕方ができず、妄想的読書にのめり込んでいるから。
問三 傍線部3(これはむろん読書の態度としては、いわば〈邪読〉であって)のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。
本来は、自己を無にして他者の精神に接し、確実で体系的知識な知識を身につけるべきだが、筆者はそれに反する妄想的読書を行っていたから。
問四 傍線部4(その〈忘却〉にも、意味がある)のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。
創造的読書は、読んだ大部分を顕在的な意識の上からいったん消失することで精神に自立をもたらすため。
問五 傍線部5(読書の本質)について、筆者にとっての「読書の本質」とはどのようなものか、本文全体を踏まえて説明せよ。
「本文全体を踏まえて」とあるのが難しい。
段落要旨をつないでみました。
読書は、思念が気ままに膨張し妄想が広がり耽溺させるものだ。ある領域に長じるには耽溺が必要で、その後の忘却によって精神の自立がなされる。多様な読書のあり方をそれぞれの人生の時期に経過すればよいが、一つの型に比重をかけたままにならざるをえない
河合塾と駿台の解答速報を見てみましょう。
河合塾は語句やまとめ方が高レベルで、受験生はなかかけない解答です。むしろ駿台の解答例が本文に即した言葉遣いになっています。
どちらがよいということではなく、両方目を通して参考にしましょう。
まとめ
読書、邪読のすすめといった趣旨の文章です。京都大学が学生に求める智のあり方が具体的に示されていると思います。
筆者のいうように、私も読書の内容はほとんど忘れてしまっています。しかし、的確な要約や知識の蓄積ができていなくてもいいのだと筆者に認められたように感じて、うれしくなりました。
出典 『高橋和巳全集』全20巻(河出書房新社、1977.5~1980.3)第14巻 評論 4