bluesoyaji’s blog

定年後の趣味、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、化石採集、鉱物採集、文学、読書、音楽など。高校生や受験生のみなさん、シニア世代で趣味をお探しのみなさんのお役に立てばうれしいです。

STRAY SHEEPのなぞを考える 美禰子と恋人同士のようにいちゃつく「三四郎」夏目漱石 

引っ越しの手伝いで、美禰子と心が通うようになった三四郎。

広田先生の本を片付ける場面では、二人が恋人同士のようにいちゃつく、ほほえましい様子が描かれています。

 本文は青空文庫から引用しました。

美禰子と三四郎が戸口で本をそろえると、それを与次郎が受け取って部屋の中の書棚へ並べるという役割ができた。

「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り回す。

「だってないんですもの」

「なにないことがあるものか」

「あった、あった」と三四郎が言う。

「どら、拝見」と美禰子が顔を寄せて来る。「ヒストリー・オフ・インテレクチュアル・デベロップメント。あらあったのね

「あらあったもないもんだ。早くお出しなさい」

 三人は約三十分ばかり根気に働いた。しまいにはさすがの与次郎もあまりせっつかなくなった。見ると書棚の方を向いてあぐらをかいて黙っている。美禰子は三四郎の肩をちょっと突っついた。三四郎は笑いながら、

「おいどうした」と聞く。

「うん。先生もまあ、こんなにいりもしない本を集めてどうする気かなあ。まったく人泣かせだ。いまこれを売って株でも買っておくともうかるんだが、しかたがない」と嘆息したまま、やはり壁を向いてあぐらをかいている。

 三四郎と美禰子は顔を見合わせて笑った。肝心《かんじん》の主脳が動かないので、二人とも書物をそろえるのを控えている。三四郎は詩の本をひねくり出した。美禰子は大きな画帖を膝《ひざ》の上に開いた。勝手の方では臨時雇いの車夫と下女がしきりに論判している。たいへん騒々しい。

「ちょっと御覧なさい」と美禰子が小さな声で言う。三四郎は及び腰になって、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪《あたま》で香水のにおいがする。

 絵はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴がぐるりと腰を回って、向こう側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛《くし》ですきながら、すき余ったのを手に受けながら、こっちを向いている。背景は広い海である。

「人魚《マーメイド》」

「人魚《マーメイド》」

 頭をすりつけた二人は同じ事をささやいた。この時あぐらをかいていた与次郎がなんと思ったか、

「なんだ、何を見ているんだ」と言いながら廊下へ出て来た。三人は首をあつめて画帖を一枚ごとに繰っていった。いろいろな批評が出る。みんないいかげんである。

 

 

コミュニケーション能力が低いこれまでの三四郎とは打って変わって、別人のように美禰子と楽しそうにいちゃつく三四郎の姿が印象に残ります。

なんだ、やればできるじゃないか三四郎、と声を掛けたくなる場面です。

顔を三四郎に寄せてくる美禰子。三四郎の肩をつつく美禰子。ボディタッチです。そしてふたりは顔を見合わせて笑います。

ひそひそ声で話しかける美禰子。顔を近づける三四郎。美禰子の髪から香水の香りがたちあがります。これが三四郎の本能を直撃したことは間違いありません。

裸体の女の絵(人魚像)を見て、頭をすりつけた二人は同じ事をささやきます。

「マーメイド」!

漱石先生にしては珍しく、官能的な描写が続きます。これでふたりが互いに好意を抱いていないとは決して言えません。恋人同士のじゃれ合いとしか読み取れないのです。

 

次には、現代から見るとふさわしくない表現が含まれます。文学鑑賞という次元で考察するため、そのまま引用します。

「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」

 三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概《こうがい》を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷《どれい》に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚《じっけんだん》だとして後世に信ぜられているという話である。

「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。

「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」

「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」

「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、

「書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地《ここち》である。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。

 

 

与次郎と美禰子の軽妙な会話のカモにされた形の三四郎ですが、美禰子の振りに対して、気の利いた反応ができません。

ああ、三四郎が関西出身なら、どんなによかったでしょう。

美禰子のせっかくのツッコミに対して、ボケで返すことができない三四郎。

会話の妙を楽しむ訓練を受けてきていない三四郎が気の毒でなりません。

酔った心地でいる場合じゃないだろう、三四郎。

 

先に見た恋人同士のような親密さは、所詮、美禰子が演出したものだったのでしょう。

三四郎はこの後、チャンスを活かせるのでしょうか。気になります。

 

続く(予定)

STRAY SHEEP ストレイシープ 共同作業で美禰子と親しくなる 「三四郎」夏目漱石を読んで考えた

美禰子の身体の描写を指摘しておきます。これまでは肌の色と目だけでした。

本文は青空文庫から引用しました。

女は白足袋《しろたび》のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁《ふち》がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいな色である。女は箒を取った。
「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖《そで》の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端《はじ》からは美しい襦袢《じゅばん》の袖が見える。茫然《ぼうぜん》として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。

美禰子の二の腕を見て茫然とする三四郎。色気に当てられてしまったのでしょうか。

 

親しくなるには共同作業をするのがよいそうですが、三四郎と美禰子は掃除をすることで「だいぶ親しく」なります。
今までの三四郎の奥手ぶりとは違って二人の関係の進展が期待できそうです。

 美禰子が掃くあとを、三四郎が雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。
 三四郎がバケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。
「ちょっと来てください」と上から三四郎を呼ぶ。
「なんですか」とバケツをさげた三四郎が梯子段《はしごだん》の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎はバケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。
「なんですか」
「なんだか暗くってわからないの」
「なぜ」
「なぜでも」
 三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟《さん》のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。
「まだあからなくって」
 美禰子は反対の側へ行った。
「こっちです」
 三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。

薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。」

 

一尺は約30cmです。パーソナルスペースは、「排他域50 cm 以下。絶対的に他人を入れたくない範囲で、会話などはこんなに近づいては行わない。」(Wikipediaより引用

)とあるので、異常に密接しています。

 

「三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。」


三四郎の心臓がドキドキする音が聞こえてきそうです。その刹那、バケツを蹴飛ばすなんて、よしもと新喜劇のギャグみたいでほほえましいですね。漱石先生のサービス精神でしょうか。

 

やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面《そと》をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾をバケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。
「何を見ているんです」
「あててごらんなさい」
「鶏《とり》ですか」
「いいえ」
「あの大きな木ですか」
「いいえ」
「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」
「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」
 なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。
「駝鳥《だちょう》の襟巻《ボーア》に似ているでしょう」
 三四郎はボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、
「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、
「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉《こ》で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風《ぐふう》以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、
「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、
「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。
「なぜです」
「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」
「そうですか」
「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」
「あなたは高い所を見るのが好きのようですな」
「ええ」
 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。

 

 


「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。
「なぜです」
「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」


野々宮さんの受け売りを披露した三四郎ですが、美禰子には否定されてしまいます。
そんな科学的なうんちくよりも、「遠くから眺めているかい」のほうが、美禰子には価値があるのです。


美禰子が野々宮さんとは根本的に合わないことの暗示とも受け取れます。(後に美禰子と野々宮の会話で、かみ合わなくて対立する場面が出てきます)

 

「あなたは高い所を見るのが好きのようですな」
「ええ」
 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。

 

美禰子は何か考え事でもしているのでしょうか。他でも、美禰子が空を見上げている場面が出てきます。


美禰子と親しく会話が出来るようになった三四郎。ほのぼのとした場面ですが、この後の展開が気になります。

 

続く(予定)

STRAYSHEEP 美禰子に急接近 「三四郎」夏目漱石を読んで考えた

美禰子に急接近

 


広田先生の引っ越しを手伝う三四郎と美禰子

二人が急接近する場面です。

三四郎の態度を考察します。

 本文は青空文庫 から引用しました。


そのうち

そのうち高等学校で天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎はベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒《ほうき》がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。

 二方は生垣《いけがき》で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪《き》って、瓶裏《へいり》にながむべきものである。

 この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。

「失礼でございますが……」

 女はこの句を冒頭に置いて会釈《えしゃく》した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉《のど》が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸《ひとみ》に映った。

 

 


池の女とは、三四郎が野々宮さんを訪ねて行ったときの帰り、池のほとりで出会った女のことです。

 
そして、野々宮さんの妹よし子の入院先に用事で行った時、再び出会って言葉を交わした女です。

名前はわかっていませんでした。

三四郎は、この女に出会いたくて池の周りをよくうろついていたのでした。

その女が広田先生の引っ越し先に突然現れたので、三四郎は驚きます。

 


初めの印象は、「花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである」

綺麗な花は切って花瓶に入れて愛でるのがよいという意味です。

ゆっくりと身近に置いて鑑賞したいということでしょうか。

まるで俳画のようです。三四郎にしては、余裕のある心境ですね。

会釈をして三四郎を見つめる女の目が三四郎の瞳に映ります。『夢十夜』にもこんな描写がありました。

 


二、三日まえ

 二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶《えん》なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪《た》えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。


女の目の描写がややこしい。

美学の先生が用いたヴォラプチュラスという語を女に当てはめて、官能に激しく訴えくるもので苦痛であり、ぜひこびたくなる残酷な目つきと説明しています。

ちょっと漱石の筆が滑りすぎではないのかとツッコミを入れておきます。

目は心の窓と言いますが、これでは女の内面から欲望が溢れ出ていることになります。

獲物を見つけた猛獣といったところでしょうか…

 


広田さんの

「広田さんのお移転《こし》になるのは、こちらでございましょうか」

「はあ、ここです」

 女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである。三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。

「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。

「まだ来ません。もう来るでしょう」

 女はしばしためらった。手に大きな籃《バスケット》をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞《しま》だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである。

 

 
三四郎は、探し求めていた女が目前に出現したにもかかわらず、気の利かない反応をしてしまいます。

 


上から桜の

上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋《ふた》の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。

「あなたは……」

 風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。

「掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから、三四郎は自分でおかしくなった。すると女も笑いながら

「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、

「あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。

 名刺には里見美禰子《さとみみねこ》とあった。

 

 

「風が女を包んだ。女は秋の中に立っている」

ここも俳句が浮かびそうな描写です。

 
「『あなたは…』風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。」

 

「風が止んだ時」と言わないところがいいですね。「風が隣へ越す」という表現は初めて見ました。おしゃれな感じです。

恋愛ドラマを観ているみたいです。

 
「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言う女の言い方に「大いに愉快」になる三四郎です。ぶっきらぼうに「ああ」と答えます。

 
三四郎は、言葉が続かないのです。女を前にして、緊張しているのか、女性と話すのが苦手なのかわかりません。とにかく三四郎は不器用です。

 


あなたにはお目に

 

「あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂《たもと》へ入れた三四郎が顔をあげた。

「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。

「まだある」

「それから池の端《はた》で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、

「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、三四郎は、

「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人《ふたり》は桜の枝を見ていた。梢《こずえ》に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越しの荷物はなかなかやってこない。

「なにか先生に御用なんですか」

 三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である。

「私もお手伝いに頼まれました」

 

 


女は病院と池の端で三四郎と出会ったことを覚えています。

三四郎には美禰子と会話を続けるチャンスです。

ところが、「それで言う事がなくなった」。

 

三四郎のコミュニケーション能力が低すぎます!

読者は、三四郎の態度にイラっとするでしょう。

まるで大人と子供の対話みたいです。

さらに、「何か先生に御用なんですか」と問うあたり、間が抜けています。

これには、さすがに女も、「あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった」のです。

 

しかし、不器用でも誠実さがあれば、好感度が上がります。

さて、三四郎はどうでしょうか?

 

三四郎はこの時

 三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。

「砂でたいへんだ。着物がよごれます」

「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、

「掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。

「まだやらんです」

「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」

 

 

 


凝った派手な模様の着物が砂で汚れるのに気づき、注意する三四郎。気にしない女。

掃除はしたのかと尋ねる女の笑顔に、三四郎は「慣れやすいあるもの」を認めます。

女の示す親近感を意識します。

 


続く(予定)

 

STRAY SHEEP「三四郎」夏目漱石 美禰子と三四郎の出会いⅡ(美禰子と再会する)

美禰子と三四郎の出会いⅡ(美禰子と再会する)

 

美禰子の容姿と行動について見ていきます。

本文は青空文庫から引用しました。

 

 

美禰子との再会

 

野々宮さんに頼まれて、妹よし子の病室に荷物を届けに行った帰りに、病院の廊下で美禰子(池の女)と再会する場面です。

美禰子は、よし子の病室を尋ねてきており、三四郎に病室の位置を尋ねます。

 

 挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布《カンバス》の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道の廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋《はつあき》の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢と服装を頭の中へ入れた。

 

 

 

長い廊下の先が明るい四角になっており、そこに美禰子のシルエットが逆光で浮かび上がります。

「暗く描かれた女の影」とあるように、絵画としてとらえているのは最初の出会いと同じです。

振り返る美禰子の先には何もありません。これは意図的な所作でしょうか。

三四郎に早くから気づいて、交差するタイミングを計っているのでしょうか。

 

美禰子の容姿

 

着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木《ときわぎ》の影が映る時のようである。それはあざやかな縞《しま》が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三|分《ぶ》一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。

 うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。

 

 

明治時代の中頃の着物を調べてみると、「銘仙」と呼ばれるものがありました。モダンな柄のものもあったようです。美禰子の着物も銘仙だったのでしょうか。

「ハンケチ」は、後に重要な小物として出てきます。

 女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼《ふたえまぶた》の切長《きれなが》のおちついた恰好《かっこう》である。目立って黒い眉毛《まゆげ》の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。

 

 

 

美禰子の一瞥、第二弾です。第一弾は、池の畔で初めて出会ったときでした。

今回はより具体的な描写があります。

二重瞼の切長、黒い眉、きれいな歯、つまり、笑顔を伴った一瞥です。

三四郎に効き目があった事は間違いありません。三四郎に「忘るべからざる」印象を与えました。

 

 

きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光《ひ》にめげないように見える上を、きわめて薄く粉《こ》が吹いている。てらてら照《ひか》る顔ではない。

 肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。

 

 

薄化粧の趣味もよく、肉の引き締まった顔は平坦ではなく、柔らかさと奥行きを感じさせる。

なんとも細かく描写されています。

これだけの情報を、わずかの間に三四郎は美禰子の顔から読み取っているのです。驚くべきべき集中力、観察力を行使しています。それだけの緊張感を強いる存在と言ってもよいでしょう。

 

美禰子の行動

 

 

女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。

「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいだから出た。きりりとしている。しかし鷹揚《おうよう》である。ただ夏のさかりに椎《しい》の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。

 

 

美禰子の上品で洗練された所作が三四郎を驚かせます。

「夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそう」とは、美禰子と初めて出会った場面で、美禰子が連れの看護婦に尋ねたことを指しています。

秋に実がなることを知らない、そんな当たり前の事がわかっていない子供じみたところがある、と言った意味でしょうか。。

椎の実は、それを生で食用にしたそうです。明治時代とはいえ、都会の東京では、そういった習慣はなかったのかも知れません。田舎育ちの三四郎には、知っていて当然の事なので、気になったのでしょう。

 

美禰子との会話

 

「十五号室はどの辺になりましょう」

 十五号は三四郎が今出て来た部屋である。

「野々宮さんの部屋ですか」

 今度は女のほうが「はあ」と言う。

「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」

「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。

「ええ、ついその先の角です」

「どうもありがとう」

 女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎は赤面するばかりに狼狽《ろうばい》した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。

 三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。

 

 

美禰子と初めて言葉を交わします。野々宮の妹、よし子の部屋を尋ねるものでした。

ついさっきまで、その部屋にいた三四郎は、直接案内する事を思いつきません。美禰子の後ろ姿に見とれて立ちすくむだけです。

そこへ、突然の振り返り。美禰子の視線にとらえられて三四郎はうろたえます。にこりと笑う美禰子。三四郎が気の毒に思えるほど、余裕たっぷりです。

もう、勝負は最初からついているようなものです。

 

三四郎の行動

 

三四郎はどうすればよかったでしょうか。

野々宮よし子の部屋を尋ねられたとき、自分も用件があって訪れていた事を話して、直接部屋まで案内する、その際に自己紹介をして、相手の名前とよし子との関係を尋ねる、これくらいの事は、やってもおかしくありません。

でも、三四郎は、それが出来ないのです。人見知りなのか、勇気がないのか、慎重なのかわかりません。

事後にあれこれ考えつづけるぐらいなら、瞬発力を持って行動した方がよいように思えるのですが。

 

ところで、この場面だけをみると、三四郎のふがいなさが目につきます。しかし、この場面までの流れを確認してみると、また違った見方も出来ます。

  

 これまでの流れ

三四郎は、野々宮さんに用事があり、野々宮宅を訪問します。野々宮さんには妹がいて、入院しています。その妹から電報が来て、野々宮さんは三四郎に留守番を頼んで、病院に出向きます。

その夜、三四郎は「ああああ、もう少しの間だ」と言う声を聞きつけ、直後に汽車が轟音を立てて通り過ぎます。若い女が身投げをして、上半身だけの轢死体になっているのを目撃します。若い女の死ぬ直前の声を聞き、直後の死に顔を見てしまうという体験をしています。

翌朝、帰宅した野々宮さんから妹への用事を頼まれ、病院に出向きます。

初対面のよし子は、三四郎には好ましい女に映ります。病名や病状はわかりません。

そして、病室を退去した直後に、美禰子に出会うのです。

 

自殺した女、病気の女、生き生きした女、つまり、死→病→生という流れがあります。

三四郎は、これらを一日も経たないうちに経験しているのです。

平常心でいられるほうが不思議です。過酷な(?)心理状態に置かれた中で、美禰子と遭遇し、言葉を交わしています。その時の反応がふがいないからといって、三四郎を責めるのは酷かもしれません。

三四郎にとっては、昨夜の女の死体、初対面のよし子に続いて、再会した美禰子の美しさは、際だって印象深かったでしょう。

 

「三四郎」には、こういった重層的な仕掛けがあります。

この他も美禰子と三四郎について、さまざまな点から見ていきます。

 

続く(予定)

STRAY SHEEP 夏目漱石「三四郎」美禰子と三四郎の出会いについて考えた

美禰子と三四郎の出会い

「三四郎」本文は、青空文庫から引用しました。


三四郎が初めて野々宮さんを理科大学に訪ねていった帰り、池の畔で孤独を感じていると、

活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。――現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。

「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と三四郎に言った、同宿した女の事を思い出していると、美禰子が登場します。

 ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖《がけ》の木立《こだち》で、その後がはでな赤煉瓦《あかれんが》のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇《うちわ》を額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋《たび》の色も目についた。鼻緒《はなお》の色はとにかく草履《ぞうり》をはいていることもわかった。もう一人はまっしろである。これは団扇もなにも持っていない。ただ額に少し皺《しわ》を寄せて、向こう岸からおいかぶさりそうに、高く池の面に枝を伸ばした古木の奥をながめていた。団扇を持った女は少し前へ出ている。白いほうは一足|土堤《どて》の縁からさがっている。三四郎が見ると、二人の姿が筋かいに見える。

団扇をかざす美禰子の姿は、後に原口さんによって絵に描かれます。二人の姿に見とれる三四郎に、女は近づいてきます。

団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それをかぎながら来る。かぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、目は伏せている。それで三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいととまった。
「これはなんでしょう」と言って、仰向いた。頭の上には大きな椎《しい》の木が、日の目のもらないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水ぎわまで張り出していた。
「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。

1間は、1.8メートル。至近距離まで来た美禰子は、三四郎を一瞥します。

「そう。実はなっていないの」と言いながら、仰向いた顔をもとへもどす、その拍子《ひょうし》に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒目の動く刹那《せつな》を意識した。その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬある物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。

どうですか、この美禰子の破壊力。一瞥しただけで、三四郎を震え上がらせるほどの力は何なのでしょうか。
それは「なんともいえぬある物」と表現されています。
しかも、汽車の女(同宿した女)に「度胸がない」と言われたときの感じに似るそうです。
三四郎を打ち砕いたあの感じ。出会いのこの一瞬で、三四郎の敗北が決まったかのように感じます。
美禰子は、三四郎の言う「現実世界」の権化なのでしょうか。
こののちの、三四郎の美禰子に対するあれこれが、敗者の悪あがきにも見えてしまう、なんとも強烈な出会いです。続きを見ましょう。

 二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。看護婦は先へ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色のなかに、白い薄《すすき》を染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇《ばら》を一つさしている。その薔薇が椎の木陰《こかげ》の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。

美禰子は三四郎の前に、今まで嗅いでいた白い花をわざと落としていく。まるで飢えた犬の前にえさを投げるようなものです。
あるいは、打ち砕かれた三四郎にさらなる一撃を与えたものとでも言えるでしょうか。
気の毒な三四郎は、混乱してしまいます。

三四郎はぼんやりしていた。やがて、小さな声で「矛盾《むじゅん》だ」と言った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目つきが矛盾なのだか、あの女を見て汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二道に矛盾しているのか、または非常にうれしいものに対して恐れをいだくところが矛盾しているのか、――このいなか出の青年には、すべてわからなかった。ただなんだか矛盾であった。
 三四郎は女の落として行った花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いている。

美禰子は一瞬の出会いで、これだけ三四郎に深刻な思索をさせるほどの影響をもたらしています。今後、美禰子の一挙手一投足が三四郎に与えるであろう影響(ダメージ)が明示された場面です。
当然ですが、白い花そのものには何の効果もありません。美禰子が持っていたからこそ、三四郎は拾い上げ、香りを嗅いでみたくなったのです。単なる物体なので、三四郎は池に投げ込みます。

 

続く(予定)

 

マンガで読む名作 三四郎

マンガで読む名作 三四郎

 

 

「三四郎」夏目漱石 を読んで考えた 「STRAY SHEEP」その2 宿屋での女

今回は「三四郎」の山場(?)のひとつ、女と宿屋に同宿する場面です。

前回見たように、女と話す機会を失った三四郎ですが、今度は女から話しかけられます。三四郎の対応に注目しましょう。

 

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宿屋での女

1及び腰になって、顔を三四郎のそばまでもって来ている。三四郎は驚いた。

2女はようやく三四郎に名古屋に着いたら迷惑でも宿屋へ案内してくれと言い出した。一人では気味が悪いからと言って、しきりに頼む。

3なにしろ知らない女なんだから、すこぶる躊躇したにはしたが、断然断る勇気も出なかったので、まあいいかげんな生返事をしていた。

 

女に対し、慎重だが、「断る勇気も出ない」点から、三四郎が受身的であることがわかります。

三四郎の好みである女性に同宿を頼まれる、その状況に三四郎は自分の意志を発揮しません。僥倖を喜ぶというわけでもなく、迷惑だから拒絶するわけでもない。

この優柔不断なところが、読者には「うぶ」でよいのかも知れません。三四郎が「イケイケ」だったら興ざめするでしょう。この作品自体が破綻してしまうかも。

 

手頃な宿屋を見つけてはいります。

4上がり口で二人連れではないと断るはずのところを、(中略)やむを得ず無言のまま二人とも梅の四番へ通されてしまった。

5もうこの夫人は自分の連れではないと断るだけの勇気が出なかった。

 

宿の人に、同伴でないと断る機会を失い、二人連れと思われ、同部屋に入ります。

「勇気が出ない」という三四郎の本領(?)が発揮されています。

この後の展開が見物(読みどころ)です。


6三四郎は着物を脱いで、風呂桶の中へ飛び込んで、少し考えた。こいつはやっかいだとじゃぶじゃぶやっていると、廊下に足音がする。
7例の女が入り口から、「ちいと流しましょうか」と聞いた。三四郎は大きな声で、「いいえ、たくさんです」と断った。
8しかし女は出て行かない。かえってはいってきた。そうして帯を取り出した。三四郎と一緒に行を使うと見える。別に恥ずかしい様子も見えない。
9三四郎はたちまち湯船を飛び出した。そこそこにからだをふいて座敷へ帰って、座蒲団の上にすわって、少なからず驚いていると、下女が宿帳を持ってきた。

 

どうでしょう、女は完全に三四郎に好意を抱いており、三四郎の自分への並々ならぬ関心もわかっている。夫も子どももいる女は、完全に三四郎を食ってしまっています。

(旧制)高等学校を卒業し、帝国大学(東京大学)に入学する三四郎の知性や教養は高くても、人生経験は女のほうがはるかに上回っています。

 

三四郎のこの場面から、「高野聖」を連想しました。

泉鏡花「高野聖」(明治33年)に若い修行僧が、山奥の谷川で、美しい女性に身体を流してもらうという場面があります。

「高野聖」では、その「お嬢様」に欲情した男は、牛や馬や猿や蟇、蝙蝠に姿を変えられてしまうと言います。

三四郎は、女の誘いに驚き、逃げ出してしまいました。

 

10すると女は「ちょいと出てまいります」と言って部屋を出て行った。三四郎はますます日記が書けなくなった。どこへ行ったんだろうと考え出した。

列車が遅れて名古屋に止まることになったのを実家に知らせるために、女は電報でも打ちに行ったのでしょうか。それとも…いろいろ想像させられます。

 

11「失礼ですが、私は癇性で人の蒲団に寝るのがいやだから少し蚤よけの工夫をやるから御免なさい」
12三四郎はこんなことを言って、あらかじめ、敷いてある敷布の余っている端を女の寝ている方へ向けてぐるぐる巻きだした。そうして布団のまん中に白い長い仕切りをこしらえた。女は向こうへ寝返りを打った。
13その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭の外には一寸も出なかった。女は一言も口をきかなかった。女も壁を向いたままじっとして動かなかった。

 

これは子供じみた振る舞いに思えます。女との間に心理的な壁を設けることで、女からの誘いや、女に身をゆだねてしまう自分の性欲に、歯止めをしたつもりでしょう。

三四郎の体面か、自己抑制力か、人生経験の不足か。いろいろな解釈ができておもしろい場面です。

「手も足もこの幅の狭い西洋手拭の外には一寸も出なかった」という記述が窮屈な三四郎の心情を語っています。

 

 

14女はにこりと笑って、「昨夜は蚤は出ませんでしたか」と聞いた。三四郎は「ええ、ありがとう、おかげさまで」というようなことをまじめに答えながら、下を向いて、お猪口の葡萄豆をしきりに突っつきだした。

 

翌朝の女の言葉は、皮肉にも聞こえます。三四郎のきまり悪そうな様子もいじらしく感じられます。

 

そして、駅での別れの場面。衝撃の一言。

15ただ一言、「さよなら」と言った。女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。
16三四郎はプラットフォームの上はじき出されたような心持ちがした。車の中へはいったら両方の耳がいっそうほてりだした。しばらくはじっと小さくなっていた。

 

なんとも三四郎が気の毒になる場面です。正義感か道徳心か、とにかく三四郎を抑えていたものが、この女の一言で、木っ端みじんに吹き飛んでしまいます。

恐るべし、女の一言。

 

ここには意気揚々と、東京大学に進学する前途ある青年の姿はなく、大きな失敗をやらかして、自分の弱点を見事に指摘され落ち込む青年の姿が示されます。

 

しかし、まだ序の口です。このあと東京では、もっと手強い女性に出会うことになります。

 

つづく(予定)

「三四郎」夏目漱石を読んで考えた「STRAY SHEEP」

夏目漱石「三四郎」を読んで考えたことを書いていきます。

今なぜ、漱石「三四郎」なのかというと、米津玄師さんの新譜のタイトルが「STREY SHEEP」だからです。

ストレイシープと言えば、漱石、三四郎。

この世界が大変な中で、米津さんが、なぜ「ストレイシープ」というメッセージを発するのか。そのヒントは、漱石「三四郎」の中にあるはずだと考えたからです。

 

1908年(明治41年)に発表された、百年前の小説が、現代のアーティストで、若者だけでなく幅広い世代から絶大な支持を受ける米津さんの心をなぜとらえるのか。

全くわかりませんが、三四郎を読み解くことで、その謎の一端にでも近づければおもしろいのではないかと思います。

 

1、汽車の女

九州から上京する三四郎が、汽車で同席になった女。

女の記述で気になる箇所を挙げていきます。

 

1乗ったときから三四郎の目についた。第一色が黒い。

2この女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。

3けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くない。

4ただ顔立ちからいうと、この女のほうがよほど上等である。

5それで三四郎は五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の目がゆきあたることもあった。

6三四郎は鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後ろ姿を見送っていた。

7三四郎はともかくもあやまるほうが安全だと考えた。「ごめんなさい」と言った。女は「いいえ」と答えた。まだ顔をふいている。三四郎はしかたなしに黙ってしまった。

 

1~6を見ると、女は三四郎が好むタイプの女性であり、三四郎は並々ならぬ関心を寄せていることがわかります。

旧制高等学校を卒業した三四郎の年齢は、二〇代前半、宿帳には二三歳と記入します。

女性に対して、気恥ずかしくて声も掛けられない青年、ではありません。

じゅうぶんに、女を意識していることがよくわかります。

 

6の弁当のおかずをくわえたまま、女の後ろ姿を見るという描写からは、三四郎のちょっと間抜けた様子がうかがえます。

気になっている女に、自分から話しかけることはしません。

 

三四郎は弁当がらを汽車の窓から投げ捨て、女にそれがあたってしまいます。

現代では仰天もののこの場面では、そんなつもりはなかったとはいえ、三四郎が女に迷惑をかけています。

ある意味で、女への関わりが出来ました。

 

自分の行為が他人に害を与えたとき、三四郎は、「あやまるほうが安全」と考え、「ごめんなさい」と言います。

ここからは、素直で率直なひとがらが読み取れます。

まあ、これであやまらないなら、よほどのへそ曲がりか、鼻持ちならぬ高慢な人ですが。

 

三四郎は、黙り込んで、目をつぶってしまいます。

逆縁によって女と対話することになりながら、その機会は続きません。しかし…

 

つづく(予定)

 

 

現実主義と無常感の両立へ 21世紀の感染症と文明 山崎正和 を読んで考えた

現実主義と無常感の両立へ

21世紀の感染症と文明 山崎正和 を読んで考えた

 

第4章 最終章です。

現実主義と無常感の両立へ

23日本人の美徳が国難に勝ち、無事に最終局面を迎えられるかはわからない。コロナの後に、どんな世界を残さねばならないかが課題である。


24 十四世紀のペスト流行の結果、西洋社会は封建時代の終わりを準備した。人口減により、労働生産性を高めて産業近代化への道を開いた。
同じ程度の変化が起こるとは考えがたい。世界は緊急の問題を抱えていることが暴露された。


25それはグローバル化である。これがコロナの防御に何の役にも立たなかったことは明白だ。民衆を守ったのは国家であり、自衛のために一国主義的に働く国家である。


26今後の人類はグローバル化の暴走に慎重になり、巨大グローバル企業に批判的になるだろう。


27国家が急ぐべきことは、未来世代との平等問題であり、巨大な借財の処理である。そのためには思い切った所得税改革や海底資源の国有化もよいだろう。


28現実の課題以上に重大なのは、国民の世界観の転換だろう。現代は疫病が社会を揺るがすことはないという通念が近代的な傲慢にすぎなかったことを思い知らされた。


29現代も古代や中世に直結しており、文明の進歩と呼べる飛躍はなかった。人類は、文明を進歩させるという迷信は諦めるべきだ。


30今後の日本人は、このように考えを改めるだろうし、そうあってほしいのが私の願いだ。今回の経験が、伝統的な日本の世界観、無常感の復活に繋がってほしい。
無常感は健全な思想であり、感傷的な虚無主義ではない。現実変革に知恵と技を発揮しながら、それを無常と見明きらめる醒めた感受性である。


31「いろは歌」を通じて学んだ真実が今、共有されつつある。

 

感想

グローバル化が後退するのは、その通りだと思います。

ある種の鎖国が、この21世紀に行われるとは想像すらできませんでした。

 

大学や高校などの教育現場でも、グローバル化は絶対的な命題になっていた感がありました。

その見直しがどの程度まで行われるのか、全く予想できません。

 

経済の対策も、未来の世代への責任として必要でしょう。しかし、日本近海のレアアース採掘者に高額税をという提言は、首をかしげました。採算が取れないでしょうから。

 

さて、今回の論文の眼目は、28~31です。

近代的な世界観、進歩主義は迷信であり諦めるべきだという主張は、ある意味、過激です。

そして、今後の私たち日本人は、無常感を持つべきだと説きます。

 

その無常感とは、30段にあるように、「現実変革に知恵と技を発揮しながら、それを無常と見明きらめる醒めた感受性である」というものです。

この章のタイトルが「現実主義と無常感の両立へ」とあるとおりです。

最後に31段で、それは「いろは歌」の精神であることが示されています。

 

ウィキペディアによると、「いろは歌」は、「いろは歌を記した文献としては最古とされる『金光明最勝王経音義』(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)は、承暦3年(1079年)の成立であることから、いろは歌は10世紀末から11世紀中葉までの間に成立したものとみられる。」とあります。

 

仏教的無常観が「いろは歌」の根本であることがわかります。

これを現代の私たちが学ぶ機会を考えてみると、中学校か高校で、古文を学ぶときに、かなの成立や歴史的仮名遣いの学びとして、接することがほとんどです。

精神の中味まで深く学ぶ機会は、少ないのです、

 

「仏教的無常観」は「方丈記」や「徒然草」などの古文で触れることがありますが、「いろは歌」を通じて学んだ真実とまでは、言えないのではないでしょうか。

 

近代社会をくつがえすような感染症の流行に対し、中世以来の無常感で乗り越えるという山崎先生の論考は、非常にユニークであり、示唆に富むものです。

 

ただ、一点の異を唱えるならば、「仏教」という語を用いていないところにあります。

中世以来の仏教的無常観が「いろは歌」のベースであるのは、先に見たとおりです。

山崎先生は、あえて「仏教」という言葉を使わなかったのでしょうか。

さらに、現代は、無常観を学ぶ機会がほとんどないことも考慮しなければなりません。

 

逆に、この「21世紀の感染症と文明」を読むことで、無常感に注目し、新たに学ぶ人が増える効果があるともいえるでしょう。

 

 

 

 

半世紀の公徳心向上の成果 21世紀の感染症と文明 山崎正和 を読んで考えた

21世紀の感染症と文明 山崎正和 を読んで考えた

 

第3章です。

半世紀の公徳心向上の成果


18「緊急事態宣言」後の日本人は、外出自粛や自主休業など、その自制心は特記に値する。企業の在宅勤務や零細自営業者の休業も自ら行われている。


19日本人の良識と自制心は、長い歴史を持つ。公徳心は東京オリンピックを迎える1960年代前半、行政の努力によって街からゴミが消えた。


20日本人の社会感覚が変わり、美と倫理の基準が芽生え直したのは1970年代初めである。「モーレツからビューティフルへ」という標語を実現するものになった。


21経済成長の内容は、量産一点張りからデザインやコンセプト重視へと移った。商品デザインの多様化が進み、文化産業への傾倒が強まった。


22身辺を美しくすることに関心が移るとともに、行いを美しくするようになった。その頂点として、ボランティア活動が不動の風習となったのが一九九五年一月である。

 

感想

1960年以降の日本人の意識の変容が書かれています。

私は1960年代生まれなので、この記述内容にあるとおり、社会の変化を実感してきました。

この半世紀でずいぶん日本人の公徳心も向上したことがわかります。

その頂点が、阪神淡路大震災のボランティア活動であるという総括は、的確です。

 

山崎先生の記述内容からは離れますが、国の行政、政治家の働く姿勢という面から見ると、向上というよりも、むしろ、劣化が目につくように思います。

特に今回のコロナ危機に対する政府の取り組みは、多くの国民が不満と不安を抱いています。

国民の公徳心は向上した、そのおかげも有り、コロナの蔓延は防いでいるように思える。

しかし、その一方で国は、政治は、公徳心を発揮して、本来の目的を果たせているのだろうか…

 

こういったもやもや感がぬぐえません。

 

 

当面の恐怖と不安の特殊性  21世紀の感染症と文明 山崎正和 を読んで考えた

 21世紀の感染症と文明 山崎正和 を読んで考えた

続きです。今回は第2章にあたります。

当面の恐怖と不安の特殊性

 

8感染症は見えない敵のため、不安は倍加する。
9そのうえ、恐怖がいつまで続くか、先行きが見えないため焦燥を煽る。スペイン風邪は三波にわたり、コロナは、何波が襲来するかわからない。
10この災害が耐えがたいのは、対抗して「する」ことがないためだ。国民に要請されたのは、外出しないこと、出勤しないこと、営業しないこと、何かをすることの正反対である。
11欧米など諸外国の政府は、都市封鎖や外出者に罰金などの荒業を行ったが、日本の国民は自分の意志で何かを「しない」という決断を強いられた。
12目下働いているのは医療従事者と輸送や物流を支える人々である。一般国民は彼らの奮励や自己犠牲を見て、自分が何もしていない現実を思い知る。
13近代人は休むことが美徳であることはなかった。特に日本人は近代以前から勤勉で、休むことが奨励されたことはなかった。
14もう一つ、近年のボランティア活動の普及である。阪神淡路大震災以降に定着し、日本人の社会意識の大きな転換を反映した。何の縁もない被災者を救済した。
15これは日本人の新しい公徳心の目覚めと考える。しかし、今回は助けに行か「ない」ことが美徳とされる。国民は深いところで耐えている。
16政府もジャーナリズムも、コロナとの闘いをいいながら、負け戦のような有様に重点を置き、攻めの部分を十分に伝えないのは奇妙である。治療法と特効薬の発見については情報不足が著しい。
17日本人の糧になるのはワクチンの開発段階の情報である。

 

感想

阪神淡路大震災は、1995年。あの時、大勢のボランティアが、バイクや車や徒歩で被災地に駆けつけたことは、被災地に住んでいた私もよく覚えています。

山崎先生は、1995年まで大阪大学の教授をされていたので、阪神淡路大震災のことは、よくご存じなのでしょう。

 

阪神淡路大震災の時に、倒壊した家屋の下敷きになった人を救助したのは、自力で脱出が35%のほか、家族32%、友人や隣近所の人が28%、通行人2.6%、救助隊1.7%

内閣府防災情報のページより

http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h26/zuhyo/zuhyo00_02_00.html

つまり、プロに助けられた割合は、1.7%しかなく、ほとんどが、家族、隣近所、通りすがりの他人に助けられています。

国内でボランティアの機運が高まる以前に、被災地では、他人が人命を助けるという行為を行っていたことになります。

 

山崎先生の言う「日本人の新しい公徳心の目覚め」が、コロナによって、後退するのではないでしょうか。

 

今回のコロナには、ボランティアが活躍できないという点でも、特殊性があります。

子ども食堂が開けなくて困っているというニュースがありました。同様の事例は全国中に見られるのでしょう。

 

逆に、自粛警察と言われる、ゆがんだ正義感によるボランティア(?)は、活発に活動しています。

 

また、感染者の少ない自治体が、都市部からの帰省や来訪を拒むという事例が多発しました。

コロナを恐れる心情は理解できますが、地方と都市部の分断につながるのは、残念です。

私も半年以上、一人暮らしの親のもとに帰省できていません。

県外ナンバーの車に投石やあおり、傷付けなどが多発した県なので、帰省するのもはばかれるなあと思案しています。

 

ボランティア活動の制限、都市住民と地方在住者の分断がコロナ後の日本の社会の特徴であるなら、「歴史の転換点を刻印するものになる可能性が十分ある」ものかもしれません。