夏目漱石「三四郎」を読んで考えたことを書いていきます。
今なぜ、漱石「三四郎」なのかというと、米津玄師さんの新譜のタイトルが「STREY SHEEP」だからです。
ストレイシープと言えば、漱石、三四郎。
この世界が大変な中で、米津さんが、なぜ「ストレイシープ」というメッセージを発するのか。そのヒントは、漱石「三四郎」の中にあるはずだと考えたからです。
1908年(明治41年)に発表された、百年前の小説が、現代のアーティストで、若者だけでなく幅広い世代から絶大な支持を受ける米津さんの心をなぜとらえるのか。
全くわかりませんが、三四郎を読み解くことで、その謎の一端にでも近づければおもしろいのではないかと思います。
1、汽車の女
九州から上京する三四郎が、汽車で同席になった女。
女の記述で気になる箇所を挙げていきます。
1乗ったときから三四郎の目についた。第一色が黒い。
2この女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。
3けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くない。
4ただ顔立ちからいうと、この女のほうがよほど上等である。
5それで三四郎は五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の目がゆきあたることもあった。
6三四郎は鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後ろ姿を見送っていた。
7三四郎はともかくもあやまるほうが安全だと考えた。「ごめんなさい」と言った。女は「いいえ」と答えた。まだ顔をふいている。三四郎はしかたなしに黙ってしまった。
1~6を見ると、女は三四郎が好むタイプの女性であり、三四郎は並々ならぬ関心を寄せていることがわかります。
旧制高等学校を卒業した三四郎の年齢は、二〇代前半、宿帳には二三歳と記入します。
女性に対して、気恥ずかしくて声も掛けられない青年、ではありません。
じゅうぶんに、女を意識していることがよくわかります。
6の弁当のおかずをくわえたまま、女の後ろ姿を見るという描写からは、三四郎のちょっと間抜けた様子がうかがえます。
気になっている女に、自分から話しかけることはしません。
三四郎は弁当がらを汽車の窓から投げ捨て、女にそれがあたってしまいます。
現代では仰天もののこの場面では、そんなつもりはなかったとはいえ、三四郎が女に迷惑をかけています。
ある意味で、女への関わりが出来ました。
自分の行為が他人に害を与えたとき、三四郎は、「あやまるほうが安全」と考え、「ごめんなさい」と言います。
ここからは、素直で率直なひとがらが読み取れます。
まあ、これであやまらないなら、よほどのへそ曲がりか、鼻持ちならぬ高慢な人ですが。
三四郎は、黙り込んで、目をつぶってしまいます。
逆縁によって女と対話することになりながら、その機会は続きません。しかし…
つづく(予定)