青空文庫 『三四郎』夏目漱石
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―あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。
この部分について言及されているのが、次の文章です。引用します。
「漱石のことば」姜尚中 集英社新書
「三四郎」の中で、東京帝国大学に受かった三四郎が、熊本から上京する汽車の中で教師の広田先生に出会う場面があります。時は明治四〇年頃。日露戦争の戦勝によって、世の人はみな、これで日本も一等国へ仲間入りしたと自惚れムードに浸っています。そんな様子を斜に見て、先生はこう言い放ちます。「滅びるね」
三四郎は日本人ではない者に出会った気がして、仰天します。
当時の日本は欧米列強に追いつけ追い越せで近代化への道を突っ走っていました。が、漱石はそのありようを疑問の目で眺めていました。広田先生は漱石の分身的な人物であり、つまり、彼は漱石の気持ちを代わりに語っているのです。
明治以降、近代化へ突っ走る日本の行き着く先を予見していた漱石の鋭い批評として、発せられた言葉。
その予見が三六年後、日本の敗戦となって的中しました。優れた作家の時代を見る目はすごいですね。
現代でもこのような発言をすれば、炎上すること間違いなしでしょう。
改めて夏目漱石の知性を認識しました。
次は、大西巨人の特集からです。
「大西巨人 抒情と革命」河出書房新社
この頃の風潮の中でいけないと思うのは、「これだ」と言う主張することがなんとなく憚られるように考えられていること。「俺は、いろいろ検討した結果、こうする。たとえ、『牢屋にぶちこむぞ』と言われても、決意は変わらない」とはっきり言うのは、駄目なんです。歓迎されるのは、「Aと言う考え方はいいが、Bも正しい。Cも悪くない」というよたよたっとした言い方。こういう言い方をすると、「なかなか幅広い考えの持ち主である」と評価される。
対談の一部を引用しました。
ネットでもこの種の「よたよたっとした」意見が散見されます。
熟考せず、他人の意見を鵜呑みして、あちこちから引用し続けると、このような「歓迎される」意見の発信者になってしまうのでしょう。
私も気をつけます。